バラモンたち――4
一方、『目覚めたる人[ブッダ]』と呼ばれるゴータマ・シッダールタを一人の聖者として認め、接するバラモンたちもいた。
その老いて腰の曲がったバラモンは、釈迦牟尼世尊のもとへやってきて、自らの生涯を振り返り問う。
「世尊、私は年老いて死に臨んでおります。しかも私は為すことをなさず、恐れを去ることをなしておりません。どうぞ、私の永久の幸いとなる教えをお示しください」
「バラモンよ、真に汝の云う通りである。老いと病と死とに運び去られるこの世においては、身と口と意の三つを制えることが、死にゆくおのれの護りとなり、拠り所となり、灯火となり、支えとなるものである」
また、あるバラモンは素直に自分の疑問をぶつけた。
「世尊、世尊の教えはこの現在に果報があるものと云われていますが、どのように現在の果報があるのでしょうか。直接の効があり、来たり見よと示すことができ、心に持つ値ある法とは如何なるものでありましょうか」
「バラモンよ、貪欲に燃えている心は、自らを害い他人を害い、自他両方を害うことを思い、心の中に苦しみと悩みとを覚えるものである。貪欲を去ればこれらの悩みはない。
バラモンよ、瞋りに狂わされている心も、愚かさに迷わされている心も同じことである。その瞋りを去り愚かさを離れれば、これらの害いの思いはなくなる。これが現在の果報である。そしてこれが直接の効があり、来たり見よと他に示すことができ、心に持つ値のある法である」




