敵対する者たち――1
そして、『シャーキャ族の聖者』、ゴータマ・シッダールタの声望は日増しに高くなっていく。こうなると出家者の中には、ゴータマ・ブッダを嫉み憎む輩が出てきた。
チンチャー・マーナヴィカーという女性遍歴行者も、その一人であった。
彼女がたまたまシュラーヴァスティーの行者たちを訪ねたとき、彼らはチンチャーにこぼした。
「いまゴータマが道を説いているので、日に日に我等の帰依者と供養とが奪われている。もし汝の力でゴータマの徳を傷つけ、人々の崇敬を絶つことが出来るならば、誠に仕合せである」と。そして、彼らは姦計をこっそり打ち明けた。
同じくゴータマ・シッダールタの存在を快く思っていなかったチンチャーは、すべてを聞き終ってから艶然と微笑んだ。
「よろしゅうございますとも、皆さま。それは妾の仕慣れた仕事です。どうぞ、ご心配なく……」
翌日から、シュラーヴァスティーと祇園精舎との間の道にチンチャーが姿を現した。
人々が祇園精舎から帰る頃、彼女はえんじ色の着物をきて香や花鬘を身につけた姿で精舎へ向い、また人々が精舎に行く時には、帰る途中であるかのように見せつけた。
しばらくすると、チンチャーは夜泊まっているのは精舎の中の香堂であると云い出した。そして三、四ヶ月過ぎたのち、彼女は布で腹をくるみ妊婦の格好に見せかけ、その上に赤い着物をきて人目につくところをさまよい歩いた。さらに八、九ヶ月たってからは腹に木製の円い板を結びつけ、その上へ赤い衣をまとって疲れ切った表情を人々に見せた。
チンチャーの様子は臨月近い婦人のようであったため、仏陀に帰依していない人々の間では疑惑が広がっていった。
よからぬ噂が広がった頃合を見計らい、彼女は世尊の説法の会座に入り込んで、法話の最中に突然立ち上がった。
「出家よ、汝は大法を人々に説いている。しかし何で妾のために産屋をつくらないのか。汝には大きな施主がたくさんいる。楽しみを充分に貪っておきながら、何故いまその結果を恐れるのか!」
大衆の耳目がチンチャーに集まり、どよめきが起こった。
「この女は、何を云っている」
「仏陀は出家の戒を破ったのか」
「きっと、言いがかりであろう」
「では、あの腹は……」
疑いと動揺のざわめきの中、釈迦牟尼世尊は静かに、しかしはっきりと応えた。
「この事の真偽は、汝と私とが知っているのみである」
柔らかなまなざしを向けられても、チンチャーは世尊を憎々しげに睨みつけている。
「真実……これは妾と貴方のみが知っていること……」
と、云いながら彼女は心の中で、にんまりとした。
騒ぎが大きくなった。
「まことか!」という者、「否、違う」と言い張る者。師の言葉の意味を自分なりに解釈し、互いに言い争う。
そのとき、会堂に一匹の鼠が現れた。鼠はチンチャーに近づき、その腹帯を噛み切った。
風がにわかに起こり、衣を払って、腹に仕込まれていた木の盆を床へ落とした。
乾いた音が響く。と同時に、その場が静まった。
人々の注視を浴びて、チンチャーの顔が赤く、次に青くなった。
「嘘つきめ!」
怒った人々は、いっせいに罵り始める。
物が投げつけられ、捕まえようとする者たちの手を振り払いつつ、チンチャーは精舎から逃げ出した。その後、彼女の姿を見た者はない。
チンチャーと行者たちの謀はこうして破れたのだが、さらに陰惨な奸計をめぐらす者どもがいた。その犠牲となったのは、白衣の女遊行者スンダリー(孫陀利)であった。
その沙門は、スンダリーとゴータマ・ブッダが男女の関係であるかのように言いふらし、そののち人に彼女を殺させ、祇園精舎の塵溜へその遺体を棄てさせた。
「ゴータマは、女を犯して殺した!」
沙門は世尊の非を鳴らしたが、この謀計はたちまち破れて、パセーナディ王は彼と仲間を捕らえ、厳しい刑に処したのだった。