少女の秘密
街の喧騒を尻目に祐一とツヴァイは、とあるビジネスホテルの一室に居た。
一応言っておくが、いかがわしい目的の為ではない。
むしろ、祐一自身は疲れ切ったようにぐたっと手足を伸ばした姿勢でソファに座り込み、ツヴァイはツヴァイでベットに腰を降ろして備え付けのミネラルウォーターを飲んで一息入れているような状況である。そんな事をしている気力も体力もない。
ここは、ツヴァイが前もって仮住まいとして借りていたホテルの一室で、一人用のシングルとしては可もなく不可もなくの一般的な間取りのものだ。
犬飼憲剛から逃れ、一連の出来事にパニックを起こしていた祐一を宥めつつ、自分が宿泊しているホテルまで連れて来てからかれこれ一時間以上経過している。
とりあえず話を聞いて貰える程度には落ち着いて貰う必要があったので、敢えて話し掛けるでもなく黙って様子を見ていたが、そろそろ頃合いだろうかとツヴァイは口を開く。
「そろそろ、落ち着いた?」
「……あぁ…」
「まずは自己紹介をしましょう。私はツヴァイよ」
「……自己紹介って言いながら、あからさまな偽名を使うんだな。ツヴァイってドイツかどっかの国の数字だろ? それってコードネームか何か?」
険のある言い方でいかにも疑わしそうに見やる祐一の目は、不審者を視るような不信感に溢れている。発現にちょっとした皮肉を含める辺りもその証左か。
ツヴァイ自身、それも仕方がないとは思う。
その他大勢の人達からすれば魔術を使える人間は常識の埒外であり、それこそ不審者どころか化け物と罵られることもありうる。誰だってなんの知識もなくあんな手先から火炎放射したり、地面から土の壁を造るような所業を見せられれば恐怖を覚えるだろうし、そのまま錯乱してもおかしくはないと思う。はるか昔起こった魔女狩りなどその最たる例だろう。表向きは宗教的な理由から広まった異端審問とされているが、後世の調査結果、あれは魔術師の力を恐れた権力者と魔術を自分達だけで独占したいという教会の思惑が一致した結果起こされた魔術師を標的とした計画的な殺戮という|裏側(本命)の目的があった判明している。
話が反れたが、ともあれ、魔術と無縁の祐一が受けただろう衝撃は決して軽くはなかったと思われる。
だが、険はあっても理性はちゃんとあり、こちらの話もとりあえずは聞いて貰えそうで内心、ツヴァイは安堵していた。ここで無視されたり、怯えから暴れられたりしようものならどう対処したら良いのか見当が付いていなかったのだ。
そんな内心もあってツヴァイは特に気にした様子もなく、ただし僅かな苦笑を交えて返答する。
「別に偽名ってわけじゃないんだけどね。ただ、私を創造した人がそうとしか呼ばなかったから、私もそれに合わせてたの。特に不都合もなかったし」
「…………」
祐一はただ無言で、ツヴァイを見つめ返すだけ。その眼は、さらにありありと不信感を募らせているようで、下手な言い訳を認めまいとするような目力がこもっているかのよう。
「悪かったわ。ごめんね。じゃあ改めて名乗らせて。私の名前はフィオナ・ニコル・ツヴァイ。ツヴァイっていうのが胡散臭く感じるなら、フィオナでもニコルでも好きなように呼んでくれていいわ」
「…まさか、ツヴァイって本名だったのか……?」
「まぁ言いたい事は分かるわ。日本風に言えば、自分の名前が弐っていうようなものだし。いわゆるキラキラネームってヤツよね」
「いや…まぁ、そう、なのかもな」
拙い事を言ったと思ったのか、祐一の目が泳いでいる。
先ほどまでの不審者を視るような姿勢から一転、今度は祐一自身が不審者っぽくなってしまっている事にツヴァイは少々可笑しくなった。
さて、ここからが本番だ。気を引き締め直して話を続ける。
まずは、名前の繋がりから自分の生い立ちを話しておこう。
「もっとも私の場合は意味合いが違うのだけれど。さっきあなたが言ったコードネームっていうのも、あながち間違いじゃないのよ?」
「……? どうゆう事?」
「まず前提として、私は普通の人間じゃない。……因みに、魔術師だからって話じゃなくてね。魔術師だって魔術が使えるってだけの人間だし。で、それを踏まえて私の場合、分類上は人間だけれど、いわゆる父親の精子と母親の卵子が受精して生まれてきたわけじゃない。だから、“普通の人間”とはちっとばかり事情が違う。……っと、ここまではいい?」
「いや、良いも悪いも、そもそも意味が分からない。じゃあ、お前は何なんだ?」
「私は、『フィオナ・ニコル』として生み出された失敗作。そうねぇ、分かり易く言うならフィオナ・ニコルの魔術的なクローンとでも言えば理解し易いかしら? そもそも「ツヴァイ」って名前は、その2番目の実験体って意味合いの単なるナンバリングだし」
いまいちピンと来ていない為か祐一の表情は、どこか怪訝なものだ。いきなり目の前の人物がクローン人間だと言われても、そんなのはSFの領域である。実際、クローン技術は動物実験が関の山で人間のクローンは未だ作られていないという現実的な理由もあって、言葉としての意味は分からなくはないが、実感がないのだろう。
だが、実際、ツヴァイは『フィオナ・ニコル』という女性を完全再現して蘇らせようとしたとある男が創り出した存在なのは間違いない。
「信じられないって顔してるね? なら証明してあげようか?」
そう、それを証明するのは実に簡単だ。多少の痛みを耐えればいい。
「証明って、何をする気だよ。血統書でも出すのか?」
「あはは。そんなものないし、そんな紙切れよりも確実な方法があるんだよ。それはね……」
にこやかに祐一の発言を否定したツヴァイはどこからともなく取り出したナイフを右手に持ち、その鋭利な刃を自らの左手首にあてがった。そして、
「こうするのッ!」
左手首の動脈を横一文字に深く切り裂いた。途端に走る痛みをやせ我慢で耐えながら、その傷口を祐一に見せ付ける。
一方の祐一は軽いパニックに見舞われる。なにせ、目の前の少女が自らの発言を証明すると言って、突然、リストカットを図ったのだから戸惑うなという方が無茶だろう。中途半端に腰を浮かせて、どうしたらいいのか分からず、無様なくらいに狼狽える。
「心配しなくていいから、傷口を見せ貰える?」
動揺する祐一を落ち着かせるように、なるべく落ち着いた声音でツヴァイはリストカットした傷口をアピールする。
「……なんだ、コレ…」
果たしてそこには、祐一が想像したような血まみれのえぐい光景は存在していなかった。かといって傷口から機械が露出しているようなSF的描写もなく、そこにあったのはあふれ出る淡い光。
ツヴァイが自ら切り裂いた傷口からは一滴の血すら流れ出る事はなく、代わりに薄く青み掛かった弱々しい光が頼りなさげに漏れていた。祐一も数秒前の慌てようが嘘のように、気付けばその光を食い入るように見つめていた。
「“普通の人間”じゃないってゆうのは、こうゆう事よ。ちょっとごめんね。清らかな水の聖霊よ、我が手に癒しを――――『curo』」
治療の魔術を唱えると途端に傷が初めから無かったように消滅し、そもそも傷を作り出した凶器もいつのまにかどこかへ消え失せている。
「…とまぁ見ての通り、魔術的な手法で創られた私の身体には血が通っていない。うーん。なんて説明したら理解し易いんだろ……あぁ、そうだ!」
ツヴァイは少し思案すると、さきほど自ら飲んだペットボトルを手に取る。
「このボトルが普通の肉体、そして中身の水が魔力だとします。通常、魔術師というのはボトル=身体の中に水=魔力を満たして、必要に応じて体外に放出する事で魔術を発動させるわけなんだけど、まぁ私の事とはそんなに関係ないから詳しくは置いておこうか。とにかくそんな感じなんだけど、私の場合、魔術的に創られたせいかボトルに相当する器がありません。でも、実際ここに、こうして実体があるのは何故か? その答えは、この中身にあります」
ツヴァイはペットボトルに入った水をチャプチャプ揺らしながら次第に熱弁していき、祐一も黙ってそれを聞く。
「水が温度によって状態が変わるように、魔力もとある手段を使う事で圧縮して押し固める力技が可能になる、らしいんだよね。この辺、私も理屈はよく分からないんだ。ともかく、そんなわけでこのボトルと同形状に成形した氷、それがいわば私の身体ってわけ。こんな例えで説明しておきながら何だけど、平たく言えば生きた魔力の塊が私の正体って事になるのかな。……ここで質問を一つ。結構、真面目な質問だから真面目に答えてくれたら嬉しいかな。さて、私の歳は幾つでしょう?」
真面目にと言いながら、悪戯っぽくからかうような笑みを浮かべて問いかける。
問われた祐一は一瞬呆けて、今までの話と何ら脈絡があったと思えない場違いな質問に戸惑うばかりだ。
「……は? 今の話と何の関係があんだよ?」
「真面目な質問って言ったでしょ? ……で? 何歳だと思う?」
真意こそ分からないが、とりあえず答える祐一。
「えーと俺と同い年くらい?」
「残念。正解は、生後5年――つまり私の実年齢が5歳って言ったらあなた信じる?」
「はぁ!? サバ読むにも程があるぞ。どう見ても幼稚園児には見えねぇよ」
「でもそれが真実なんだから仕方がないわ。実際、私がこの世に生を受けて5年しか経っていないのは紛れもない事実だし。だからこそ、私は“普通”ではあり得ない。そうゆう経緯で創られているから外見は初期設定でどうとでもなるし、知識や技術、記憶なんかも最初からプログラムを組むみたいに植え付けておけば生まれて直ぐに子供も成人も老人も自由自在ってね」
「…………」
「それで私が何者かって話になるわけだけど、さっきは便宜上、クローンって言ったけれど私は創られた人間。人造――いえ、由来を考えれば神造人間。文字通り、神と呼ばれる存在の力で創られた人間。それが私よ」
「クローンって時点でどうかと思ってたら、今度は神様と来たか。それなんて宗教だよ? 妖しげなカルト教団のお誘いにも聞こえてくるな。人が真面目に聞いてりゃ、アホらしい」
「そう思うのも無理はないわ。でも、あなたは魔術という存在を見て、聞いて、知ってしまっている。そうゆう埒外の力が実在する事を知った今のあなたに、私の話を一笑に付す事が出来る?」
「それは……」
「なにも私のパーソナルデータを暴露したくてそんな話をしてるわけじゃないのよ。この話は、単なる取っ掛かりに過ぎない。あの場所で私があの男に殺され掛かっていた理由、呆然としてたあなたをこの部屋に連れ込んでまで知っておいて欲しかった事情、それら全てを知って貰うのに私という存在を理解して貰うのが一番早いと思ったからこそ、この話をしているの」
「……」
「全てを理解して貰う必要はないけど、あらましだけは知っておいた方が良い。何より、それがあなた自身の為にもなる」