後編
「さて、あのダニエル殿下は、いったい何周目なのでしょうね、エルザお嬢様?」
夜会の会場から出るなり、ラシフェルがそう呟いた。
「ラシフェル、二人の時は、いつもの喋り方でいいわ」
「ククク、そうかよ」
ラシフェルは前髪を掻き上げながら、ネクタイをグイと緩めた。
――私はラシフェルと出逢った、数日前に思いを馳せた。
「カァ……カァ……」
「あら?」
その日私は、一人で屋敷の裏庭を散歩していた。
するととある樹の下で、一羽のカラスがうずくまってぐったりしていた。
見れば全身傷だらけで、今にも死にそうだ。
野犬にでも襲われたのかもしれない。
「大変だわ。ちょっと待っててね」
私はカラスをそっと抱きかかえながら、魔力を込める。
「隔てた崖に あなたを想う
届けるためには 風では足りない
命を燃やして 初めて届く
――【命の風】」
カラスの身体が光り、全身の傷はたちどころに治った。
よし、成功ね。
【命の風】は、自分の寿命と引き換えに、どんな傷でも治療する魔法だ。
私の寿命を数年削り、その対価としてカラスの傷を治したのだ。
「――! カァ! カァ!」
すっかり元気になったカラスが、翼をバサリと広げながら鳴く。
「よかったわね。さあ、もう行きなさい。今度は野犬に気を付けるのよ?」
「……カァ」
カラスはお礼のつもりなのか、すぐ側に咲いていた菫の花をくちばしで一輪摘むと、それを私の手のひらにポトリと落とした。
「まあ、ありがとう。大事にするわね」
「カァ」
カラスは大空に、颯爽と羽ばたいて行った――。
「おはようございます、エルザお嬢様」
「――!!」
そして次の日の朝。
私が起きて部屋から出ると、執事服を着た見知らぬ背の高い男が、私に頭を下げてきた。
烏の濡れ羽色の髪をした、恐ろしいほどに綺麗な顔の男だった。
「な、何者なの……!? 新しい使用人がくるなんて話は聞いてないわよ!?」
瞬時に私は男から距離を取り、警戒する。
「まあ、エルザお嬢様が冗談を言うなんて珍しいですね」
「そうそう、お嬢様が専属執事のラシフェルのことを忘れるはずがないじゃありませんか」
「――!」
周りのメイドたちが、クスクス笑っている。
専属執事……!?
――そんなもの、私にはいない。
「フフ、エルザお嬢様は、最近演劇の練習が趣味なのです。これもその一環ですよ」
「まあ、そうなのね」
「頑張ってくださいね、お嬢様!」
ラシフェルと呼ばれた謎の男は、すっかり周りに馴染んでいる。
まるで長年の同僚の如く――。
「フフ」
「……!」
ラシフェルが私に、妖しい笑みを向ける。
……どうやらこの場は、変に騒ぎ立てないほうが賢明なようね。
私は依然警戒を緩めず、少しの間ラシフェルを監視することにした。
「エルザお嬢様、こちら、食後のコーヒーでございます」
「……ありがとう」
だが、朝食が終わる段になっても、ラシフェルは特に変な素振りを見せることはなかった。
それどころか、お父様やお母様を含め、この屋敷に住む人間全てが、ラシフェルのことを昔から私に仕える専属執事だと認識している。
どうやら事態は想っていたよりも、深刻なところまできているらしい。
「ねえあなた、この後、私の部屋に来てくれないかしら?」
「フフ、承知いたしました、エルザお嬢様」
こうなったら、早急に白黒つけてやるわ――。
「で? 何者なの、あなた?」
私の部屋で二人きりになった途端、私はラシフェルにそう尋ねた。
「ククク、これ、本当に大事にしてくれてるんだな」
「――!」
ラシフェルは前髪を掻き上げながら、ネクタイをグイと緩めた。
そして私が昨日カラスから貰った、菫の花を挿した小さな花瓶を見下ろした。
この菫のことを知ってるってことは、もしや――!
「――あなた、昨日のカラスなの?」
「ククク、ああそうさ。もっとも、あれは仮の姿だがな」
「……でしょうね」
ラシフェルの背中から、カラスの羽がバサリと生えた。
――明らかに人外の存在だ。
今のこの人間の姿も、仮初めのものなのかもしれない。
「いやぁ、昨日はホント助かったぜエルザ。お前は文字通り命の恩人だ。改めて、礼を言わせてもらうぜ。ありがとう」
「……」
ラシフェルは芝居がかった大袈裟なポーズで、頭を下げる。
もしかしたら私は、とんでもない奴を助けてしまったのかもしれない――。
「あなたほどの存在が、なんであんな大怪我をしていたの?」
「ククク、それがよぉ、情けない話なんだが、上司とちょっと、仕事の方向性の違いで揉めちまってよぉ」
上司――!
まさかこの男は――。
「……そう。で? 屋敷の人間の記憶を弄ってまで私に近付くなんて、いったい何が目的なの? 言っておくけど私はたまたま家柄に恵まれただけの女で、大した力は持っていないわよ」
「ククク、そういう謙虚なところも、益々惚れ直したぜ」
「――!?」
ほ、惚れ……!?
「オレの目的は至ってシンプル。お前と恋人になることさ、エルザ!」
「……変な冗談はやめて。それに、私はこれでも一応、ダニエル王太子殿下の婚約者なのよ。あなたと恋人になるなんて、無理に決まってるでしょ?」
「ククク、近々そのダニエルから、婚約を破棄されるとしてもか?」
「――!!」
こ、こいつ――!
「お前も薄々気付いてるんだろ? あの男は浮気してるぜ? キャサリンとかいう、あざといだけのつまらない女となぁ」
「……」
確かに最近、ダニエル殿下とキャサリン嬢との間には、ただならぬ雰囲気を感じてはいた。
でも、まさか、王太子という立場でありながら、王家が決めた婚約を私情で破棄するだなんて……!
そこまで愚かな人だとは思わなかったわ……。
「……仮に私がダニエル殿下から婚約を破棄されるとしても、だからといってあなたと恋人になるわけにはいかないわ」
あなたと私では、そもそも文字通り住む世界が違うのだから……。
「ククク、強情だなぁ。そんなところも可愛いぜ。――じゃあこうしよう。オレから一つ、エルザにプレゼントを贈ろうじゃないか」
「プレゼント……?」
「ああ。オレがダニエルに、呪いを掛けてやるよ」
「――!!」
そ、そんな――!
「やめなさい! いくらダニエル殿下が許されないことをしたからといって、命まで取ることは――」
「まあまあ、落ち着けって。呪いといっても、そんな大したもんじゃない。むしろ殺傷力は一切ない、ちゃちな呪いさ。それどころか、ダニエルに反省の機会を与えるための、救いにすらなり得るもんだ」
「え? そうなの……? いったいどんな呪いなのよ」
「ククク、それはな、『時を巻き戻す』呪いさ」
「――!」
時を――巻き戻す――!
「そうだな、キーワードは『理由をお伺いしてもよろしいですか』にしておこう。お前がそのキーワードを言ったことがトリガーとなり、ダニエルに呪いが掛かる。そしてダニエルは、それから1時間の間だけ、死ぬたびに、キーワードを言った直前まで、記憶を保持した状態でタイムリープするのさ」
「……」
つまり1時間以上ダニエル殿下が死ななかったら、呪いは消えるということ……?
確かにそれなら、大した呪いではないように思える。
――だが、人外がこんなことを提案してくる以上、そんな簡単な話ではないことは想像に難くない。
下手をしたら、死ぬよりも、余程酷い結果が待っているかもしれないわね――。
「なるほどね、まあ、使う機会はないとは思うけれど、一応いただいておくわ」
「ククク、そう言うと思ったぜ」
ダニエル殿下、信じていますよ――。
どうか私に、呪いを使わせないでくださいね――。
「エルザ……僕は君との婚約を……破棄する」
「「「――!!」」」
だが、私の希望も虚しく、その翌日に開かれた夜会で、私はダニエル殿下から婚約を破棄されてしまった。
嗚呼、愚かな人……。
この国の未来を背負う立場でありながら、一時の欲で道を踏み外すとは――。
――これは、反省の機会を与えてあげなくては。
「理由をお伺いしてもよろしいですか、ダニエル殿下?」
この瞬間、黒い靄のようなものが、ダニエル殿下の左胸に吸い込まれていくのが見えた。
――どうやら呪いが掛かったようね。
「ククク」
私の横でラシフェルが、妖しく笑った――。
その美しい笑みは、まるで悪魔のようだった――。
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