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第四話 神様

(・・・なんなんだ、この松山という男は。)


松山と杉田の大乱闘を至近距離で見ていた私は、松山の動じない姿に心底驚かされた。

今まで、杉田に詰められた従業員たちは精神的に耐え兼ね、次々と退職していったというのに。


白石さんと同い年の私は、仕事以外でも彼女と交友関係にある。

昨日は仕事終わりの白石さんから連絡が入り、「娘を学校に送っていることを杉田に非難され、辛くて仕方がない」のだと泣き付かれた。


私は白石さんが可哀想だと思いつつも、彼女が杉田の標的になっていることで、自分に矛先が向かないことに内心ホッとしている。


ホッとしている自分が嫌になる。

結局は、私は自分自身が可愛いのだろう。


それでも、少しでも存在を悟られてしまったら、終わりなのだ。


(私は目立ってはいけない。)


私はいかなる時でも感情を無にし、カメレオンのように周囲に擬態するのである。

「それでは松山さん。青果コーナーに行きましょう。」

「はい!」


釘本さんは、今後僕が一人立ちした時のために、リンゴをもらう様子を見せてくれるという。

こと細かく教えてくれて、親切な人だなぁ。


「釘本さんって、惣菜の仕事は何年くらいやってるんですか?」

「今年で3年目です。昨日パックを担当していた白石さんと同期で、同学年なんです。」

「そうなんですね!昨日白石さんが"あいにく私は明日休みですが、釘本さんという別の人が明日出勤なので、私から伝えておきますね"と言っていたので、仲良しなんですね!」

「・・・はい、そうですね。仕事以外でも時々食事に行ったりしています。」


ベテランだと思ってたけど、まだ3年目なんだ。

そうやって話をしている間に、青果コーナーにたどり着いた。


「お疲れさまです。今日もリンゴをもらいに来ました。」

「お疲れさまです!あれ?新人さんも一緒?」

「はい!初めまして、松山優と申します。優と書いて"すぐる"と読みます。よろしくお願い致します!」

「あれ?男の子だったんだ!今どきのキレイな子だから女の子だと勘違いしちゃった!私も老眼ね~!」

「僕、女性に間違われることはよくありますから、老眼ではありませんよ。まだお若いんですから、あまりご自身を卑下なさらないでください!」


青果コーナーにいるパートのマダムが親しげに話しかけてくれた。

「老眼ではない」と言われたことが嬉しいのか、ニコニコしながらボディータッチしてくるし、「何歳?」とか「彼女はいるの~?」とか聞いてくる。


そういえば、今まで僕に親しげに話しかけてくれた人たちは、しきりに僕を触ろうとしたり彼女がいるのか確認したりするけど、なんでだろう?

僕は人に関心がないので、その感覚がよく分からない。


「はい、リンゴ3個ね!」

「ありがとうございます。今後、私や白石さんだけでなく松山さんも取りに来ることがあるかもしれませんので、よろしくお願いします。」

「え!本当ぉ~?分かったわ!松山君、いつでも来てねぇ~!」

「はい!分かりました!」


ただリンゴをもらいに来ただけだというのに、パートのマダムは作業場から店内に出てきてまでお見送りしてくれた。


* * *


・・・何やら、精肉コーナー辺りから、わめき散らす男性の声が聞こえてくる。


「何なんだこの小間切れ肉は!ぐちゃぐちゃに入っているじゃないか!俺が若い頃肉屋をしていた頃はもっとキレイに見栄えよく入れていたぞ?!お前たちはこんなものを売り物にしているのかね?!」

「も、申し訳ありません・・・。」

「申し訳ないと認めたな?!そう言うぐらいなら、初めから商品なんかにしてる場合じゃないだろう!!」

「い、以後気をつけます・・・。」

「以後じゃダメだろう!俺は今すぐ小間切れ肉を買いたいんだ!このパックを一からキレイに入れ直せ!」

「えっと・・・。」

「"えっと"とは何だね?このスーパーは言葉の教育もできないのか!それにその化粧はなんだ、けばけばしい!会社にしてくる化粧じゃないだろ!見てくればかり気にしやがって!これだから若い女は!」

「・・・。」

「あーくそ!!お前じゃ話が通じない!責任者を出したまえ!!」


どうやら精肉担当の、僕と同世代ぐらいの女性が、おじいさんにクレームを入れられているようだ。

今にも泣き出しそうである。

周りにいるフロア担当者たちは、気になりつつも見て見ぬふりをしながら商品を補充している。

その時、黙り込む精肉担当の女性を、おじいさんは突き飛ばして転ばせた。


「松山さん。あのお客さんはモンスタークレーマーで有名な方です。絡まれると厄介なことになります。裏の勝手口から回り込んで作業場に戻りましょう。」


お惣菜コーナーは精肉コーナーと隣り合っていて、一つのスイングドアを使って「店内」から「通路」を経由し、それぞれの「作業場」に繋がっている。


このスーパー「サンセット」の構造だと、荷物の搬入口である「バックヤード」から一旦「屋外」に出て、建物の外周を回って「勝手口」から「通路」に入れば、さっきのおじいさんがいるスイングドアの目の前を通らずに「作業場」に戻ることができる。


釘本さんはその線で、おじいさんから見つからないように作業場へ戻るつもりなのだ。

でも、僕には引っかかっていることがある。


「釘本さん、僕はその路線には乗りません。一人でお戻りください!」

「え?」


僕は急いで突き進み、精肉担当の女性とおじいさんの目の前に立った。


* * *


「!?」

「なんだね君は!ここの責任者かね?!」

「僕は責任者ではありません。初めまして、松山優と申します。優と書いて"すぐる"と読みます。あなたのお名前は何ですか?」

「ふんっ!なんでお客様の俺がお前なんかに名前を教えなければならないんだ!」

「僕はおじいさんに聞いていません。精肉担当のこの女性に聞いているんです。」

「なんだとぉ?!」


僕は、床にお尻をついているこの女性に手を差し出す。


「あ、ありがとうございます。私は、梅崎です。」

「梅崎さんですね、教えてくれてありがとうございます!お怪我はありませんか?」

「は、はい。大丈夫です。」

「それなら良かった!話を戻しましょう。おじいさん、さっき"俺が若い頃肉屋をしていた頃は"って言ってましたよね。それはいつの時代のお話ですか?」

「はぁ?!」

「時代と歴史と様式は、その都度移り変わるものです。おじいさんが若い頃お肉屋さんで働いていた時は、均等に並べてパックすることがルールだったかもしれませんが、我々の精肉コーナーの小間切れ肉は、こうして肉のいろんな面が見えるように広げてまばらに入れることがスタイルです。これは僕が小学生の頃から見ているので間違いありません。それにさっき、梅崎さんに"見てくればかり気にしやがって!"って言いましたよね。そう言いながら、"お肉の見てくれ"を一番気にしているのはおじいさんではありませんか?」

「!?」


僕は、間違ったことは言っていない。

それを聞いたおじいさんは、赤山さんに負けないくらい真っ赤な顔をして叫び出した。


「このボウズ!お客様に向かってなんてことを言うんだ!おじいさんなんて呼びやがって、俺はお客様だ!お客様は神様だぞ!!俺は法律に詳しいんだ!どうなっても知らないからな?!」

「左様でございますか!それなら、刑法208条をご存じだということでお間違いないでしょうか?」

「そ、そんなこと当たり前さ!お客様への侮辱は罪に当たるんだ!」

「ブッブー!残念です。法律にお詳しいと仰りながら、刑法208条も知らないなんて。」

「お、お前はどうなんだよ!どうせ口から出まかせだろ!?ボウズのくせに、知らないくせに!」

「僕はボウズ(坊主)ではありません。制服の帽子を脱げば、髪の毛が生えています。ちなみに刑法208条は"暴行罪"に当たります。お客様、さっきは梅崎さんを突き飛ばして転ばせましたよね。あれは立派な暴力に当たりますよ。それに、もし相手が怪我をしていなくても成立します。う~ん、でも、刑法204条かもしれませんし、刑法234条かもしれませんね・・・。これは素人の僕には判断しかねます。あとで警察や弁護士に相談すれば、プロが判断してくれると思いますので、しばらく結果をお待ちくださいませ!」

「!?お、俺は困っていたからこの女に問い詰めただけだ!それなのにこの女がお客様の要望に応えないから、この女が悪いんじゃないか!」

「この女ではありません。梅崎さんです。それより、お客様はさっき"お客様は神様だぞ!!"って言いましたよね。ちなみにお客様は何にまつわる神様なのですか?」


こちらの神様は、一体何の神様なんだろう?

下々の者の一員である僕は、恐れながらも神様に属性を問う。


「は、はぁ!?いい加減にしろ!それよりも責任者を出したまえ!お前たちじゃ話にならん!!」

「お前たちではなく、梅崎さんと松山優です。優と書いて"すぐる"と読みます。」

「松山優だな!?覚えたぞ!後でどうなっても知らないからな!!」

「どうなっても何も、僕には貯金がありませんし、友達は一人いますが、恋人はいません。そもそも人に興味がないのです。何も持っていない、守るものもない、どこの馬の骨かも分からない僕がどうにかなったところで、神様はご満足ですか?」

「!?お、お前は頭がおかしい店員なんだな?!」

「はい、そうかもしれません。今日、僕は先輩に"異常者"だと言われましたから。だからと言って、僕には失うものもありませんし、仮に"異常者"であっても僕の人生には何の支障もありませんから。」

「へっ!やっぱり頭がおかしいんだな!!あー、可哀想だ!親の顔が見てみたいよ!!」

「あのー!私の息子に何か御用でしょうか!?」

「あ!父さん!」

「!?」


そこに、たまたま買い物に来ていた父が現れた。


母が「父とお揃いで身に着けたい」と買ってきた、レース付きのピンクタータンのエプロンを着て、いつも父は買い物に出かけるのだ。

母のお友達は「奥様思いで素敵」「チャーミングな旦那様」と父を褒めてくれる。


「父さん、買い物に来てたんだ!」

「優、どうしたどうしたー?さっきから店内中に声が聞こえてたぞ!?」

「今ちょうど、神様と名乗るお客様とお話をしてたんだ。小間切れ肉の入れ方がキレイじゃないから入れ替えろと大声を出してたから、僕も気になって来たんだ!」

「へー!あなたは、神様なんですね!息子がお世話になっておりますー!」

「な、なんだこの気持ち悪いピンクエプロンの男は!こいつの父親か!?」

「はい!お惣菜担当・優の父ですー!それより、私の息子に何か御用でも?」

「ふんっ!息子の父親も、やっぱり頭がおかしいんだな!!」

「・・・え?もう一度、言ってみてください。私と息子の、頭が、何ですって?」


父は笑顔のまま、今にも神様と接吻しそうな至近距離まで詰め寄る。

接吻を迫られる神様は、見る見るうちに青ざめていく。


「なんだよ・・・ん?お、お前どこかで・・・!!」

「私と息子の、頭がおかしいと聞こえましたが、どうかしましたか?私のことをどこかで見たことがあるような反応ですが、あなたに、何か、不都合なことでも、ございますか?」

「いや、べ、別に・・・。」

「あなた以外にも買い物をしている、慎ましい神々の御前で、ご無礼な言動だと、ご自覚はないのですか?」

「・・・。」

「私の息子に、どうなっても知らないとおっしゃいましたが、あなたこそ・・・ご自身の心配をしなくて、大丈夫ですか?」

「・・・。」


店内に流れるBGM以外、時が止まったような静寂が訪れる。

気がつけば店内にいるお客様、フロア担当者、品出し中の生鮮担当など全員がこちらに注目していた。


「す、すいません。俺が、俺が悪かったです・・・。」


父に質問される神様は、突然勢いを失くし、だんだん縮こまっていく。

そのまま、何も入っていない買い物かごを店内に戻した後、逃げるように出て行った。

神様、一体どうしちゃったんだろう?

急に天界へ帰らなければいけない用事でもできたのだろうか?


* * *


再び、店内の時が動き出す。


「優!あの神様は一体、何にまつわる神様だったんだい?」

「僕にもよく分からないよ!小間切れ肉に文句を言った後、そこにいる梅崎さんを突き飛ばしたから、何があったのか話を聞いてみようと近づいたら、大騒ぎになっちゃったんだ!」

「そうか!優、勇気のある行動で、今日も偉いぞ!ちなみに・・・さっきのお肉は、正式には"小間切れ肉"じゃなくて、"切り落とし肉"だ!!」

「さすが父さん!」


毎日料理を作ってくれる父は、商品の違いまで見分けられるらしい。


「・・・さて、そちらの方は梅崎さんとおっしゃるのかな?お怪我はありませんか?」

「ヒッ!?だ、大丈夫です!ま、松山君が、助けてくれたので・・・。」

「え?僕は何も助けていませんよ。神様の言っていることが気になって、その意味を知りたくてこっちに来ただけですから。それと、梅崎さんのお化粧、とても素敵ですよ!ギャルメイクって言うんですよね、確か。ギャルでありながら、生鮮部門だから手のネイルはちゃんと外してお仕事されていて、とても尊敬に値します!」

「え・・・!ま、マジ!?そこまで見てくれたの、松山君だけだよ。・・・ありがと。」


仕事であることを一瞬忘れた梅崎さんは、突然砕けた話し方になる。


ふと視線を感じ、振り返ると、バックヤードへ向かったはずの釘本さんがまだ居たことに気づく。

それと、ムンクの『叫び』のようなポーズをした赤山さんと、興奮したように鼻の穴を膨らませた早川店長もそこにいた。


* * *


「松山君、君はクレームオジすら撃退する才能を持っているようだね~!」

「店長!あなたは責任者なんだから、本来ならあなたが彼らを止めに入るべきでしたよ!」


キラキラ目を輝かせる店長に、顔を真っ赤にした赤山さんが物申した。


どうやら店長と赤山さんは、僕らの様子を知った従業員の誰かに呼ばれ、止めに入るつもりが見入っていたらしい。


「店長、僕はあの神様を名乗るお客様を撃退していませんよ。撃退してくれたのは、買い物に来ていた僕の父です!」

「え!?ピンクエプロンのイケオジは、松山君のお父さんだったの!?お客さんがお客さんを撃退するなんて、まるでドラマでも見てるような気分だったよ!」

「店長、何能天気なこと言ってるんですか!あのまま終息に向かわなかったらどうするつもりだったんですか?!」

「その時はその時だよ!俺でなくても、山ちゃんが止めに入っても良かったんだよ~?」

「い、いや、あfjhふぉあrlk・・・。」


赤山さんは、どうやら自分に話を振られると読解不可能の音声でごまかす性質のようだ。


「それにしても、松山パパはどうやってあのクレームオジを撃退したの?」

「それが、僕にもよく分かりません。神様とこそこそ何か話した後、"あなた以外にも買い物をしている、慎ましい神々の御前で、ご無礼な言動だと、ご自覚はないのですか?"と言ったのは聞き取れました。」

「わぁ~!何それカッコイイ!俺も松山パパの真似しようかな~!」

「店長がやってもお笑いコントにしかならないから、やめてください!」


店長と赤山さんって仲良いんだなぁ。


僕は事務所からそっと抜け出し、お昼休憩に入ることにした。

松山がクレーマーに立ち向かった時、私は勝手口には向かわず、事の経緯を見届けることにした。

トラブルに巻き込まれてはいけないと分かっていながらも、私は松山の雄姿をもう一度見たかった。

人を陥れる杉田が、松山に陥れられる様子が清々しくて堪らなかったのだ。


「仮に"異常者"であっても僕の人生には何の支障もありませんから。」


私は"カメレオンの姿"をいつ見破られるのかと、いつも怯えている。

もし見破られてしまったら、きっと私の感情は崩壊するだろう。


でもこの男はどうだ。

どんなことがあっても、どんなことを言われても、そもそも気にすらしないのだ。

飛んで火に入る夏の虫と思わせておきながら、相手に墓穴を掘らせる巧妙な戦略を兼ね備えている。


この男がいれば、もしかしたら私は"カメレオンの姿"を脱ぎ捨てられるかもしれない。

私は松山に「世界を変えてくれるかもしれない」と、淡い期待を持ち始めた。

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