第二十一話 幻
リビングの扉は、一番手前の扉ではないことだけは分かる。
リビングから玄関に向かう時に扉を通り過ぎた記憶はあるからだ。
そうなると、二つ目以降の扉がリビングであるはずだ。
ダメもとで二つ目の扉を開けてみる。
残念、違った。
そこは応接室のような、ソファーとテーブルだけが置かれた部屋だった。
改めて、三番目の扉を開けてみる。
そこは倉庫のような部屋だった。
なんで家の中に倉庫があるんだ?
この家は本当に不可解だ。
"普通"なら絶対にありえないほど扉がある。
まるで「誰かの脳内の引き出し」でも開けているような、ちょっと気味の悪い感覚すらある。
あれ?
今入ってきたはずの扉が・・・無い?
いや、そんなことはありえない。
夢やフィクションでもなければ、こんなこと起こるはずがない。
もしや、私は夢でも見ているのだろうか?
私は自分の頬を叩いてみた。
痛い・・・やはりここは現実のはずだ。
しかし、何が起きているのか、全く分からない。
ここから出なくては・・・。
私はこの倉庫のような部屋から出られそうな手がかりを探すことにした。
この部屋には、引っ越しの荷物でもまとめたかのように、段ボールがたくさん置いてある。
カーテンを閉めた窓際には机がある。
今は使われていないような、マットレスが取り外された骨組みだけのベッドもある。
段ボールの口はガムテープで貼られているわけではないので、中身は確認できる。
見ても良いのだろうか・・・?
人の家の荷物を漁るなんて空き巣同然だが、扉が無くなるなんて非現実的なことが起きている以上、ここから脱出する手立てを探すほか無い。
最も私の近くに置いてある段ボールを覗いてみると、男性物の衣類が入っている。
一つ手に取ってみると、かなり大きなサイズであることが分かった。
こんな大きなサイズの服、一体誰が着るんだろう?
松山も松山父も、比較的華奢で高身長というわけでもないから、二人のどちらかが着るには大き過ぎる。
私はふと思い出す。
松山のLINEプロフィール・・・背景の家族写真に写っていた「大柄な少年」の姿を。
あれは、一体誰なのか?
その真相がこの部屋にはあると、私は直感した。
私は隣の段ボールを開けてみる。
そこに、中学生か高校生の体操着が入ってあった。
衣類の内側に名前の記入欄があり、そこには"松山剛"と書いてあった。
剛・・・これは、松山のLINEアカウント名"剛優"を連想させた。
この"松山剛"は、一体誰なのか?
この家族には、一体どんな秘密が隠されているのか?
「知り過ぎてはいけない」と感じながらも、私は調べることをやめられなかった。
次に私は、机の引き出しを調べることにした。
鍵がかかってるかもしれないと思ったが、すんなりと開けることができた。
そこに、遺書が入っていた。
「家族へ
いつも迷惑ばかりかけてごめんなさい。僕は脳無しです。僕は普通じゃないです。学校でも社会でも何もうまくいきません。でき損ないの人間です。使えない人間、頭がおかしいと会社の人たちに言われました。生きる価値もないと言われました。ずっといじめられてきました。生きたくない。優みたいに生まれたかった。 剛」
私は何も言葉が思い浮かばなかった。
どこか既視感があるようにも思える。
これ以上、この遺書を見ていられない。
「釘本さん、ついに気がついたんですね。」
「え!?」
物音も足音もなく、誰かが背後に立っていた。
恐る恐る振り返ると、白衣を着た松山だった。
いや・・・これは、松山優か?
「松山。やっぱりお前、"偽物"だったんだな。」
「ああ・・・気づいてしまったんですね。そうです、俺は"僕"ではありません。」
「なんで今まであんなことを?」
「"あんな"だなんて、失礼だなぁ~。俺は兄さんを蘇らせてただけなのに。」
「蘇らせる・・・お前がお兄さんである剛さんを演じることで、剛さんの概念はまだ生きている・・・ということ?」
「ご明察。さすが釘本さんです。生物学的に兄さんは死にました。でも、兄さんの魂はまだ生きてると俺は思うんです。兄さんが"グレーゾーン"を苦にしてこの世を去ったことで、兄さんの特性を否定していじめて精神崩壊させた者たちへの"遺族の怒り"として、兄さんは形を変えて蘇りました。その概念を俺が取り込み、世の中の胸糞悪い人間もどきの存在を潰せるチャンスだと思いました。"頭がおかしくて普通じゃない兄さん"が許されずに粛清を受けるなら人間もどきの存在だって"頭がおかしい"んですから、許されないってことで良いですよね。いや、許されないじゃない、許してはいけない。世の中は"社会に順応できなかった奴が悪い"とか"カウンセリングは弱い人間が受けるもの"だなんて勘違いしてますが、本来は"根っこが腐っているいじめる側こそカウンセリングが必要"なのに。ああいう奴らこそ隔離して拷問でもしたら良いのに・・・世の中おかしい。笑っちゃいますね。」
松山・・・。
「釘本さん、"出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない"って言葉がありますよね。兄さんももし"グレーゾーン"ではなくて"0%の頭が足りない人"だったら、周りは情けをかけてくれたんでしょうか?なぜ人間は"完全"じゃないとダメなんでしょうか?60%でも70%でも30%でも良いはずなのに、人は"完璧"を求めたがる。この世のものは全て失敗するものなのに、"完璧"を求めるなんてバカらしい。"完璧"なんてそもそもこの世に存在しないのに。少しぐらいピースが欠けていても良いですよね。そう思いませんか?」
「・・・。」
私は、何も言い返すことができない。
「まあ、同意しなくても良いです。"中途半端でも良いですよね?"と意見を強要する時点で、それも"決めつけ"に過ぎないですから。"自己言及のパラドックス"みたいなもんです。忘れましょう。」
目の前の松山は、私に言い聞かせているのか自分に言い聞かせているのか、良く分からない哲学を口にする。
「釘本さん、もう良いですよ。これで終了です。」
「え?」
「釘本さん、今日で終了です。お疲れさまでした。」
「何?何を言ってんの?」
「何って、嫌だな~。俺があなたと初めて出会った時点で"終わりの始まり"だったんですよ。」
「え?どういう意味?"終わりの始まり"って何?」
「そっか~、分からなかったんですね。じゃあ言いますけど、ここは"現実の世界"ではありません。」
「・・・は?」
「だから、"現実の世界"ではありません。あ、ちなみにあの世でもありませんからご心配なさらずに。」
「?」
「だから、"これまでの世界"は、釘本さんが見ている"幻"なんですよ。つまり"現実の世界"ではないということです。ここは、釘本さんの"精神世界"とでも言えば分かってもらえるでしょうか?」
「せ、精神世界?」
この男は、一体何を言っているのか?
ここはこの世でもあの世でもなく、幻?精神世界?
まるで私が小説やゲームの登場人物みたいな言い方をする。
「釘本さん、あなた自身が"幻"で言ってたじゃありませんか。"目に映るもの全てが正しいとは限らないと、私が一番知っている"って。つまり、今釘本さんの目に映っているこの世界は"正しい"とは限らないんですよ。信じられないにせよ、幻だという可能性も、否定できないということです。」
「・・・。」
本当に、私には何も理解できない。
これが、私の中の"幻"だと?
じゃあ、今まで私を助けてくれた"松山優"は誰だったのか?
私を温かく迎え入れてくれた"松山一家"は一体何だったのか?
今日までの日々は、無かったことなのか?
分からない
分からない
分か ら な い
あ れ? だ んだ ん 頭 が ボ ーっとし てき た
私 は 消 え る
「釘本さん。」
「うわあああああ!!」
そこは謎の部屋ではなく、松山邸のリビングだった。
「釘本さん、起きてください!いつまで寝ているんですか?ここは僕の家であってあなたの家ではありませんよ。人の家のリビングでソファーを占領するように寝るなんて、なかなか厚かましいですね。それにもうすぐ23時です。僕ら家族は寝る時間なので、そろそろお帰りいただきたいのですが。」
「あ・・・夢か。ごめんごめん、帰るわ。すんません。」
どうやら私は、松山一家、白石親子とゲームで白熱しすぎて、途中で寝てしまったらしい。
白石親子は二時間前に離れの方へ戻ったそうだ。
しかし、今見た夢は一体何だったんだろう?
深夜ともいえる時間になってしまったため、松山が私の家まで送ってくれることになった。
家を知られると後々面倒なことになりそうな気もしたが、わざわざ数十メートルのためにタクシーを呼ぶのももったいないし、松山の「女性を深夜に歩かせるのは危ない」というご厚意(?)を受け取り、一緒に私の家まで歩く。
「松山。一つ聞いても大丈夫かな?」
「はい、何でしょう?」
「松山のLINEプロフィールの背景画像、家族写真だよな?」
「はい、僕ら家族の写真です。」
「あの、背の高い男の子は・・・実は秘密のお兄さんです~みたいなこと、だったりする?」
私がそう述べると、松山は立ち止った。
しまった・・・やっぱり聞いてはいけなかった。
軽率な自分が嫌になる。
「もしそうだとしたら、釘本さんはどう思いますか?」
「・・・え?」
「もし僕に"秘密にしなければならない兄"が居るとすれば、釘本さんはどんな印象を抱きますか?釘本さんは僕にどんな言葉をかけますか?なんで隠してたの、聞いてごめんね、それは可哀そうだね、お兄さんは"普通じゃない"んだね、それは家族として恥ずかしいね、隠したくもなるよね、失敗作だね、父親は立派なのに残念だね、優秀な弟とは違うんだね、初めから言ってくれれば詮索しなかったのに、って言うんですか?」
「言わないよ、そんなド畜生みたいなこと。」
「じゃあ、今の話が本当なら、釘本さんはどう思いますか?」
「どう思うか?う~ん・・・分からない、としか言えない。私は気の利いた受け答えができるような人間じゃないから、何も言い返せずに沈黙になると思う。松山自身が話したいと思わなかったから話さなかったんだろうな~としか思わないというか。ごめんな、薄情な人間で。私は軽率な人間です。煮るなり捌くなり好きにしてください。」
「・・・釘本さんは、"あの人たち"とは違うんですね。よかった。」
「え?」
「いえ、なんでもありません。それより、立ち止まってないで早く釘本さんのお家まで向かいましょう!明日も仕事で忙しいんですから、僕は早く寝たいんです!睡眠時間が減るのは、肌のターンオーバーの阻害になります!ニキビ知らずの僕の美肌連続記録が止まってしまいます!さあ、早く!」
「ごめんごめん!(あんたが立ち止まって話し始めたじゃねーか!)え~っと、そこのアパートが私の家だから。ここまで来ればもう大丈夫。じゃ、おやすみ。明日な!」
私はさっきの話に対する気の利いた返しが思い浮かばず、逃げるように玄関まで小走りした。
玄関に入るまで、松山から消されるかもしれない警戒を怠ってはいけない!
鍵を開け、中に入る間際に松山の方を振り返ると、そんなことはなかった。
松山は船でも見送るかのように、全身を使って笑顔でバイバイしていた。
なにそれ、子供みたいで可愛いじゃない。
いやいや、愛着が湧いている場合じゃない。
結局、「剛らしき男の子」の話は曖昧なまま終わってしまった。
でも、そこでおしまいで良いと思う。
松山本人が語りたくないということは、こちらもそれ以上踏み込んではいけないということだ。
世の中の嫌な人間は、根掘り葉掘り聞いてプライバシーを侵害し、心を腐敗させていく悪性ウイルス、もしくはバクテリアだと、私は思っている。
そんな悪性ウイルスやバクテリアにならないためにも、知り過ぎてはいけないのだ。
本人が語りたくなった時、ただ聞いてあげられる人間に、私はなりたい。
松山が私に救いの手を差しのべてくれたように、ただ話を聞いてくれる存在さえいれば、松山もまた何か変わるかもしれない。
なんて、恩着せがましいことを考えてみる。
・・・考えても分からん!
そもそも私の推理が確定したわけでもないし。
なるほど、よく分かりません!
私にはよく分かりません!
記憶にございません!
松山の口癖を真似してみる。
私も明日は仕事なので、シャワーと歯磨きを大急ぎで済ませ、畳の間に敷きっぱなしの布団にダイブした。
あ~!やっぱりソファーより家の布団が気持ちええな~!




