第十話 内紛
~~♪
休日の朝、赤山のスマホに電話が掛かってくる。
「ダレダ?コンナ朝早クカラ・・・。」
昨夜一人カラオケで喉を酷使した赤山は、かすれた声のまま電話に出る。
「ハイィ、赤山デスゥ・・・ゴフッ。」
「恐れ入ります。わたくし、退職代行サービス"エフケー"の小林と申します。スーパーマーケット"サンセット"のお惣菜責任者の方でお間違いないでしょうか?」
「退職代行サービス?ナンデスカソレハッ?」
過去に執着し、「最近のもの」にあまり関心のない赤山は、退職代行サービスという名前以外、あまり詳しくは知らない。
「そちらに在籍中の山口様より、昨日私どもにお電話をいただき、本日付で退職したいとのことでしたのでご連絡しております。体調不良により長期休暇中とのことでしたが、どうしても会社に出向けないとのことで私どもからご連絡した次第です。」
「ナ、ナンダッテー!?」
どうやら、「はやり病」で長期休暇中のフルタイムの山口が、そのままフェードアウトするように退職を申し出たようだ。
退職代行を利用すると、会社に出向かずに即日退職することができる。
「つきましては、後日私どものスタッフが山口様の代わりに返却物の受け渡しに参りますので、お手数ですが店長様にもその旨お伝えください。」
「ッ゛ウェェッ、チョッツアッ、マットゥッ・・・!!」
「で、では失礼いたします。」
代行業者は赤山が奇人だと判断し、そそくさと電話を切った。
赤山本人はどうやら「えぇー、ちょっと待って!」と言いたかったらしい。
死人に口なしならぬ、赤山に口なし。
昨夜は自身の自慢の美声(他人にとっては奇声または音痴)により悦に入った赤山だったが、休日の朝っぱらから絶望のどん底に突き落とされた。
一体どうしてこんなことに・・・。
(ッッカア゛ア゛ーーーーー!!)
「!?!?」
ちょうどゴミ捨てのためにアパートの共用通路に出ていた隣人は、赤山の雄叫びがハシボソガラスの鳴き声に聞こえてしまったようだ。
ゴミが狙われていると勘違いし、大急ぎでゴミ捨て場に向かう。
私、前野友子には願望がある。
それは、杉田初枝を「トップの座」から引き摺り下ろすことだ。
私は正直、彼女を友達だとも尊敬できる人生の先輩だとも思っていない。
私は普段、「杉田の右腕」「杉田の腰巾着」として、できるだけ杉田の承認欲求を満たしてあげる立ち振舞いをしているが、本当は違う。
本当は、わざと周りの人の粗を杉田に密告し、「わざと杉田を怒らせている」のである。
杉田は72歳の高齢者だ。
おそらく高血圧のリスクも、57歳の私より高いであろう。
また、彼女は物事を歪曲して捉える癖があり、自分の都合の良いように話を進めるため、多少の精神攻撃は効かない。
そこで私が思い付いた作戦は、「杉田の高血圧リスクを意図的に上げる」ことで引退せざるを得ない方向に持っていくことである。
例えば、同じパートの白石さんが今も子供を学校に送り迎えしていることを杉田に教え、打刻ギリギリに来ないことをわざと「いつも遅刻するよね」と言う。
ひねくれた性格の杉田はこういう時単細胞になるので、私が「遅刻」というワードさえ出せば「間に合っていても遅刻と判断する」のである。
そうなればこっちのものだ。
これで、激昂した杉田は白石さんに突っかかる「高血圧モード」に入る。
これは、旧ソ連のスターリンが高血圧と動脈硬化でぶっ倒れた事例を元に、私なりに考えた作戦である。
実際、杉田もスターリンのように独裁的で過激派であるので、激昂するところを見るたびにスターリンの生まれ変わりかと見紛う。
独裁者のくせに仕事は尋常じゃないくらい遅くて、私が手伝わねば定時を迎えてしまう。
仕事できないのに、のさばっちゃって。
先日松山君が入社し、杉田はますます歯止めが効かなくなっている気がする。
いつも私は「杉田をなだめる親切な前野」を演じているが、内心しめしめと思っている。
「松山君、もっとやれ!」とさえ思っている。
さあ、あんなお婆さん、早く失脚させてあげましょう!
そして私が惣菜部門の長になるのよ!
ただ、職場での孤立のリスクは避けたいので、ここは責任者である早川店長や赤山さんに同情を買うことでも言っておくか。
* * *
私、白石は絶句した。
私が家族三人でファミリーレストランから帰って来る最中のことだ。
友達のはずの釘本さんが、私の苦手とする松山の、その自宅らしきところから見送りされているのをたまたま見てしまったのだ。
「なんで・・・?」
私には友達だと呼べる人は釘本さんしかいないのだが、何だか裏切られた気がした。
釘本さんと親しくして良いのは、私だけなのに。
私の子供のことで嫌なことを言ってきた松山が釘本さんと親しくするなんて許せない・・・!
釘本さんも釘本さんで、松山と両親らしき人たちに見送られる時ニコニコしちゃって。
私にそんな笑顔、見せてくれたことあった?
もういい、何だか失望した。
友達だと思ってたけど、本当は違ったのかも。
昨日の友は、明日の敵だ。
でも釘本さんと関わらなくなると、職場で孤立するのは怖い。
本当は嫌いだけど、ここは何とか杉田の懐に入れる手立てはないだろうか・・・?
杉田は敵に回すと面倒だけど、味方にすると心強いタイプだと思うので、どうにか彼女のお眼鏡に叶う立ち振舞いをしたいところだ。
そうだ、娘の話を、杉田の同情を買う内容で伝えれば良いんだ!
本当は「グレーゾーン」だけど、「身体が弱い」とか「病弱」とか言えば、もしかしたら同情してくれるかもしれない。
それと、私が昨夜見かけた、釘本さんと松山の件も話しちゃおっかな。
そうすればきっと、ターゲットが私から釘本さんに入れ替わるに違いない・・・!
明日だけは娘の送迎を夫にお願いして、早く出勤して先手を打とう。
* * *
・・・ぉぇっ。
くそ、やっぱり昨日の暴飲暴食で気持ちわりぃ~。
私は昨夜の嘔吐事件で、松山一家に助けられた。
いつも私は「心が埋まらない何かの感情」に追い詰められ、お菓子やお酒に貪りついては吐いてしまう。
しかし昨日、松山から思いもよらぬ助け船を出してもらったことで、私は「居場所」というものを人生で初めて得た気がした。
弱音は、吐いてもいいんだね。
昔、毒親にそんなことを話すと「甘えだ」だの「そんなことどうでもいい」だの言われ、まともに悩みを聞いてもらえた試しがなかったから、弱音は吐いちゃいけないものだと思って育った。
だからか、松山に本音を話した時、とても不思議な感覚だった。
まるで排水溝のゴミを取り除き、水が勢いよく排出されたような、すっきりとした気持ちだった。
そして、不思議と胸の奥がじんわり熱くなるような、不思議な感覚。
・・・しかし、今日は松山と赤山さんは休みなんだよな。
杉田、前野、白石さん、私のシフトの時は、いつも以上に「嫁姑バトル」みたいな陰険で息が詰まる雰囲気だから、居心地が悪い。
私は今日も白石さんの聞き役をしなきゃいけないんだよな・・・はぁ。
昨日松山に本音を話した時、私は「白石さんと友達として付き合っていない」と気づかされてしまった。
そのため、「今日から会う白石さん」にどんな顔をして、どんな接し方をしたらいいのか悩んでいる。
くそ、考えても仕方ねぇ!
私はいつも通り「カメレオン」になりきればいいのだ、多分。
・・・多分?
はっきりと言い切れなくなった自分に動揺しつつ、私はスーパー「サンセット」に向かった。
* * *
「おはようございます。」
「・・・。」
「・・・。」
え、何この空気?
「白石さん、おはようございます。」
「・・・どうも。」
は?
いつもなら挨拶を返すはずの白石さんが、急に素っ気ない態度に変わっている。
すると杉田と前野がニヤニヤしながら私に話しかけてくる。
「あらぁ~釘本さん!昨晩はお楽しみだったのぉ~?隠してもバレてるんだからね~!」
「本当ー!白石さんに聞いてビックリしたー!」
「あの、昨晩とは、何でしょうか?」
「白石さんが夜遅くに見かけたんだって~!あんたが松山の家からニコニコしながら出てきたところを!」
「!?」
「バツイチ独身だからって、後輩に手を出すなんてー!」
「・・・フッ。」
あ、裏切られた。
白石さんがほくそ笑むところを、私は見逃さなかった。
そうか・・・最悪なところを見られてしまったようだ。
私と松山の自宅はサンセットからそう遠くない。
職場の誰かに見られてもおかしくないだろう。
よりによって、それが白石さんとは、何たる皮肉だろうか。
それにしてもおかしい。
なぜ杉田・前野コンビと白石さんが急に仲良くなっているのか?
数日前まではあんなにギスギスしてたのに・・・。
まあ、これが女の世界ってやつよね。
女同士の友情なんて、本当に存在するのか怪しいし。
それに大抵の場合、仲が一度でも拗れたらおしまいだ。
その上、一対一で対立するならまだしも、女同士はまず外堀から固めるように味方を付けた後、束になって城に責めて来るようなところが面倒くさい。
どうして周りを巻き込んでまで喧嘩するんだろう?
男同士の喧嘩ってどんな感じなんだろう?
一対一で喧嘩するのかな?
喧嘩した後もさっぱり仲直りするのかな?
・・・他人事みたいに考えてる場合じゃない。
松山邸から出てくるところを見られて噂にされているということは、私の「本性」が露呈されつつあるのだ。
やばいよやばいよ!
どうする?こんな時、ポンコツ王子ならどうする?
イレギュラーなことに慣れていない私は、毅然とした態度を保ちつつ、内心動揺している。
「ッウォハヨウ、ゴザイマスッ!!」
「は?」「え?」「ん?」「?」
突然、カスカス声で片言の日本語が聞こえた。
作業場の入口に向かって四人で一斉に振り替えると、それは赤山さんだった。
「あら、赤山さん!今日は休みじゃなかったの?」
「ソレガ、欠勤中ノ山口サンガ、退職代行ヲ、ツカッテ、ヤメテシマイマシタ!!」
え、マジで?
退職代行サービスを使う人ってやっぱりいるんだ。
まあ、こんな職場なら仕方ないよな。
最終出社日の1ヶ月前までに申し出ると、他のパート・・・特に杉田に知られたら、どんな嫌がらせを受けるか分かったもんじゃない。
このままだと、私にもそんな日が来るかもしれない・・・なんてね。
「何なのよ、退職代行サービスって!それで辞めたですって?!最近よくニュースで見るけど、自分の口で直接言わなきゃ社会人としてダメよ!これだから最近の若者は!!」
「そうだよー、卑怯だよねー!」
「わ、私も杉田さんの言ってることが正しいと思います。」
「そうでしょう?!白石さんも、少しずつ分かってきたじゃない!」
「赤山さんはどうするんですかー?」
「トリアエズ、店長二報告シタラ、ワタシ、カエリマス!!」
そう言い残して赤山さんは急いで出て行った。
「全く、これだから最近の若い子は!本当に根性がないんだから!!」
「本当ー!意気地無しだよねー!」
「わ、私が杉田さんを見習って、山口さんの分まで頑張りますから・・・。」
「そうよ!あなたはまだ若いんだから!しっかり頑張りなさいよ?」
「も、もちろんです!」
白石さん、うっぜぇ~な。
私から離れた途端、杉田にゴマすりやがって。
杉田も杉田で急に可愛がり始めて、バカかよ。
でも、山口さんの話題のおかげで私から注目が逸れた・・・?
* * *
杉田が鳥頭のおかげで、悪口の標的が私から山口さんに変わり、助かった。
午前中は、山口さんの話題のおかげで私への注目がなくなり、なんとか命拾いした。
もし山口さんが職場復帰してたら、午後は私と二人体制に戻れたかもしれないが、またワンオペである。
でも、私はむしろそれが良い。
ワンオペは忙しくて大変だけど、その代わり誰にも気を使わずに済むから、気持ちが良いのだ。
おまけにこの職場は、お客さんから作業場が見えない特殊な構造なので、変に視線も感じなくて済む。
マスクの下で顔面体操してもバレないし。
さあ、今日のお昼はチョコクロワッサンでも食うか~!
私は食材の発注を済ませた後、店内でパンを買うことにした。
「あ!釘本さん、お疲れさまです!」
「・・・お疲れさまです。」
なんで松山が買い物に来てるんだよ。
昨日の今日、酔っぱらいからシラフに戻った私は、いつも以上に気まずい。
私は周りに聞こえぬよう、小声で話しかける。
(松山、昨日のことは絶対に誰にも言うなよ?)
(え?昨日何かありましたっけ?)
(何かありましたっけ、じゃねぇよ。私が路上で吐いてあんたんちにお世話になったことだよ!)
(あぁ、忘れてました!僕、一日寝ると忘れちゃうんですよ!)
(・・・。)
この男、結局ポンコツ王子か。
私は昨日「本当の松山」を推理しかけたものの、考え過ぎだったのかもしれない。
でも、今私が周りに聞かれたくない会話を「言わなくても状況を察して、私のひそひそ声に合わせて話す」ところは実に有能だと思う。
う~ん・・・どっちなんだ??
知ろうとすればするほど分からなくなる、不思議な男である。
(では、僕は帰りますね!)
(え?松山は買い物に来たのでは?)
(いえ、釘本さんにこれを渡しに来ただけです!)
そう言って松山は一切れの紙を私に手渡す。
なんと、松山の連絡先ではないか!
それと、彼のご自宅の住所や固定電話まで書かれていた。
(釘本さんは人に弱音を吐く練習をすることで、本当の意味で"自立できる大人"になれると思うんです。僕の両親も協力しますから、いつでも遊びに来てください!それと、僕は夜11時には寝るので、連絡はそれまでにお願いします。)
(あ、ありがとう・・・。)
昨日のことは覚えてないとか言いながら、しっかり覚えとるやないかい!
そう心の中でツッコミを入れるも、松山の良心と両親に、思わず涙が出そうになる。
私は涙を必死にこらえて、彼の後ろ姿をそっと見送った。
赤山は事務所に赴き、早川店長に事の経緯を説明した。
「あら~、あのクールビューティー山口さんが辞めちゃったのぉ?」
「ハイ・・・ハヤリ病ノ欠勤ニシテハ、随分長イナ~トハ思ッテマシタガ、モウ出勤モ嫌ダッタミタイデス。」
「なるほどね~。それより山ちゃん、その声可笑しいから止めてよ!真剣な話なのに笑っちゃうじゃない!」
「昨日カラオケデ、歌イ過ギマシタ・・・。」
赤山は恥ずかしさのあまり赤面になる。
そこに、仕事終わりの前野がやって来た。
「店長ー、赤山さんー、お疲れ様ですー。」
「前野さん、お疲れさまです。どうしたんですか?」
「私、今悩んでるんです。杉田さんのことなんですけど・・・。」
「エ?ドウシマシタカ?」
前野は二人に話した。
杉田がいつも争いを起こすこと、そのせいで退職者が止まないこと、ターゲットを白石から釘本に乗り換え彼女を追い詰めようとしていること、逆になぜか白石が杉田のお気に入りに成り上がったことで、前野自身がターゲットにされる懸念などを。
「私、もう怖くて仕方なくて。次は私かもしれなくて、毎日ストレスです。赤山さん、杉田さんは72歳の高齢者ですよ?もう彼女が倒れる前に引退してもらった方が良いと思うんですけどー・・・。」
「ソウシタイ、トコロデスガ、今ノ時代リストラハデキナインデス。本人ガ申シ出ナイ限リ。」
「そうですか。なら、赤山さんは私が辞めても問題ないんですね?」
「エ"ッ!?」
「まあ辞めませんけど。その代わり、私のことをちゃんと守って欲しいんです・・・。表ではできるだけ杉田さんの怒りを鎮める役割を果たしますから、その代わり私が狙われないよう、赤山さんは私を守ってください。私、本当は強くないんです。店長も、どうか・・・。」
「そう言われたならお守りするっきゃないですね~!ね、山ちゃん?」
「・・・ワカリマシタ、気ニカケマスノデ。」
「ありがとうございます!では、お先に失礼しまーす!」
前野は店長と赤山と「公約」を結び、自身の身を守りつつ、今まで通り「スターリン高血圧作戦」のため、暗躍することを決めた。
「前野さんも策士だね~!」
「デスネ。イツモ杉田サンニ、付イテ回ッテルノニ"私、本当は強くないんです"ナンテ・・・。」
「狙われるのが怖いって意味では弱い人なのかもしれないけど、こうして裏取引ができる時点で強い人でしょ~。」
「確カニデスネ。」
早川と赤山は呆気にとられつつ、一応は前野が狙われないよう気にかけることにした。
* * *
釘本さんは、これから大丈夫だろうか?
彼女は毅然とした態度だが、「過去」の話を聞くに、とても弱い女性に違いない。
"俺"は父さんに報告するための「証拠」を集めている最中である。
在宅ワーク中の父さんの仕事、それは「労働局に極秘で雇われた、コンプライアンス外部顧問」という、特殊業務だ。
例えば、ブラック企業に労働局が直接赴いたところで、表面上は良い部分しか見せないだろう。
そこで、弁護士を引退した"理詰めの松山"こと父さんの噂を聞きつけた労働局のお偉いさんが、外部コンサルタントとして父を雇ったのである。
その息子である"俺"が現場に入り、「スパイ活動」を行う。
表面上は「ポンコツ」を装い、相手にボロを出させるのである。
後は「証拠」をこっそり回収し、父さんに報告するのだ。
また"俺"には"俺"の目的があるから、「スパイ活動」を行いながら「研究結果」を集められて、都合が良い。
サンセットの惣菜部門の作業場入口付近にこっそりと設置した、遠隔操作可能の高性能ボイスレコーダーには、杉田たちの陰険な会話が記録されている。
しかし、まだ出るところではない。
"俺"の役目は、本当に弱い人間を救うことだ。
今はもういない兄の、二の舞になる人間は見たくない。
かつて「ポンコツ」と蔑まれ、精神的に追い詰められこの世を去った「グレーゾーンの兄」を、俺は守れなかった。
その償いには決してならないが、「本当に弱い人間」も同じ道を歩まないよう救い出したい。
"俺"は明日も「ポンコツ」を演じ、「強い人間を演じている釘本さん」を救う手立てを、もう少し探ることにした。




