第3話 vs.男爵
「こ……これはまた……」
明かりの元へとなんとかたどりついた私は、その建物ーーの範疇に入るかも疑わしい小さな木造の小屋ーーを見て絶句した。住んでいた屋敷のニワトリ小屋よりもさらに狭く小さい。しかし窓から複数の人の話し声がもれ聞こえたので、ため息をついて仕方なく小屋の戸をたたいた。
しばらく待っているとそっと引き戸が引かれて、顔を出したのは質素な服を着た背の低い老婆だった。私の頭のてっぺんから足の先までをゆっくりと見てからまた顔を見て、しわに埋もれた小さな目をぱちぱちさせている。
「……どげんしたけ?」
「レイブン男爵の城に行きたいの。誰か道案内を」
きっぱりと言ったところで、老婆のうしろからわっとたくさんの声がした。見れば、小さな子どもから年配の老人まで家の中からどやどやと人が出てきている。
「なんやなんや」
「うわ、お姫様や!」
「お姫様!? お姫様うち来たん!?」
「妖精さんとちゃうんか?」
「ちょっと見えないー!」
戸口に立つひらひらドレス姿の私を見てめいめいが口々にしゃべりだす、その数ざっと六人。老婆を入れて七人。こんな小さな家にどうして、全員家族だろうかと圧倒されていると老婆が小さく首をかしげて言った。
「男爵様の城っちゃ立派なモン、ここらにはないけんどねえ」
「そ、そんなはずないわ! あるはずよ!」
城がないと聞いた私は、まさかと思いながらも必死に言いつのった。城。私の城。どうかあって! あると言って!
「そげんこつ言うてもなあ」
なおも首をかしげる老婆のうしろで、幼児を抱っこしたひっつめ髪の中年の女性が声を上げた。
「あっこのこっちゃねえか? ほら『お城さん』よ」
「ああ、お城さんのことけ!」
それを聞いた老婆が大きくうなずいたので、私は思わず歓喜の声を上げた。
「やっぱりあるのね! 誰でもいいわ。私をその城に連れて行ってちょうだい!」
「あんら、物好きなお嬢さんだわあ。あんなところに用があるだか?」
「当たり前でしょう!」
良かった。助かった。ようやく温かい食事とふかふかのベッドにたどりつける。安堵に胸をなでおろす私の前で、老婆が後ろを振り向いた。
「だんれか、このお嬢さんをお城さんまで連れてってあげんなあ」
「んじゃ、ワシが」
スッと手を上げたのは最年長に見える老人だった。たちまち周囲にいた幼い子どもたちが声を上げる。
「じっちゃ、ズルいズルい!」
「わちも行きたい!」
「わちもわちも!」
「こらこら。もうじき日も暮れるけえ、良い子で留守番しとりゃあね」
「ちぇ」
「ちぇー」
じっちゃ、と呼ばれた老人が群がる子どもたちの頭を順ぐりになでながら笑顔でなだめている。その温かい光景になぜだか胸がチクリと痛んだ。黙って見ている私に、老人がやわらかな声で言う。
「じゃ、行きなさんかね」
◆
「……嘘でしょう……」
老人に連れられてまたしばらく歩いた先。「ここが『お城さん』だがね」と言われた場所で私は言葉を失い立ちつくした。手からどさりとカバンが落ちる。そこにあったのは城ではなく『もともと城だったもの』、つまりすっかり廃墟になってしまっていたのだ。
石造りの城壁は無残に崩れさり、むきだしの断面にカケスが巣をかけている。厚くおいしげる雑草がこの城が無人になってからの長い年月を如実に表していた。
「レイブン男爵たぁ、ここらを領地にしてたお人じゃが、十年ばかり前に夜逃げしていなくなってしもうたんじゃ」
「……夜逃げ」
「酒グセも悪い女グセも悪いで有名な御仁でなあ。女に貢いでは商人に借金ばして、最後は賭博に手を出してスッテンテンの無一文になって逃げたとか聞いとるがよ。それで怒った商人連中が城の壁やら屋根やらみーんな打ち壊していっただよ」
レ、レ、
レイブン男爵ぅ~~!!!
あまりのことに私はこぶしを握って地団駄を踏み、顔も知らない男爵に向かって口の中で呪詛を吐いた。そろいもそろって、私の家系にはクズの血しか流れていないんじゃなくって!? 誰かひとりくらいまともな人間はいないのかしら!?
「まあ見晴らしも日当たりもいい場所だで、村のモンみんな、好きに洗濯物ほしたり家畜を散歩させたりしとるでよ」
「……もう結構よ」
物見遊山の観光客を案内するかのようにのんびりと言う老人を、私は手のひらで制した。頭が痛い。誰でもいいから助けてほしい。今ほどこの身に流れるドクズの血を恨んだことはなかった。
「んだらば、帰るべな」
老人はそう言ってきびすを返した。その場から一歩も動けずにいる私を見て不思議そうな顔になる。
「どげんしたね?」
瞬発的な怒りのあとに、襲ってきたのは深い絶望だった。頼りの(クズ)男爵もおらず住むはずだった城もなく。どこかに行きたくても馬車もない。たとえあったとしても王都に帰れるはずもない。
どこへも行けない。
私には居場所がない。
張りつめていた気持ちがプツンと切れて、私はついぽろぽろと涙をこぼしていた。そんな私を見てますます不思議そうな顔になる老人に、私は鼻をすすりながら言葉を告げる。
「あ、あなたは、グスッ、家にお帰りなさい、ズビッ、私のことは、グスッ、もう放っておいて……」
「あんれ、一緒に帰らんねか? まだどこか行きたいんだべか?」
「……へ?」
間抜けな声を上げて涙にぬれた顔を上げる私に、老人は日に焼けた顔で当然のようにうなずいている。予想外のセリフに私はあわてて顔の前で手を振った。
「で、でも私、払えるお金も宝石も何も持っていないの。だから」
「そげに仰々しく考えなさんな。袖ふり合うも他生の縁、ちゅうてな。狭い家じゃが、細っこいお嬢ちゃん一人くらいなんてことねえよ」
「あなた……」
「とりあえず晩飯さ食っていけ。そうしねえ」
思いがけないその言葉に、私はグスグスと鼻をすすってうなずいた。
「あり、ありが、ありがとう……!」
「はは、泣くことねえべ。なんてことねえよう」
手を背中で組んで私を見ながらにっこりと笑う老人に、私はしゃくりあげながら言った。砂煙を上げて一度も振り返ることなく去っていった、名を知らぬ御者の背中を不意に思い出して口を開く。
「わ、わた、私の名はミリア・グリゴール」
「そうかあ。立派なええ名前じゃあ」
「ええ。……よかったらあなたの、お、お名前を私に教えてくださらないかしら?」




