31 披露宴
僕は張り倒されて床に這いつくばり、フレイアは「こんなことしてる暇があったら、さっさと風呂入って着替えろ!」と叫ぶ。
《みんなの見てる前でキスするとか無理!恥ずかしすぎるからもう知らない!アルヴィンなんか…アルヴィンなんか…》
嫌われた…?
《世界で一番大好きなんだから!》
ほっとしていいのか照れていいのか、それとも彼女を引き止めて謝るべきなのかわからない。迷っているうちにフレイアは「くそが!!」という捨て台詞を残して、部屋を出て行ってしまった。
ぽかんと取り残された僕に、ハンリネ婆とジェンがにやにや近づく。
「よくやった、旦那」
「まじそれな、婆ちゃん」
「…これで正解だった?」
ジェンがぱちっとウインクしてくれる。
「大正解。ロマンス小説風に言えば、”二人の心の中でくすぶっていた火種が、ようやく燃え始めた…”みたいな?旦那もやればできるじゃん!フレイアってまじで浮いた噂ひとつなくて恋愛初心者だから、あれくらい攻めないと動き出せないのよ」
ハンリネ婆がぱんと手を叩く。
「さて、旦那の準備だ!今度はフレイアを驚かせるよ」
「押忍!」
針子やメイドたちがいそいそ動き出し、僕は「まず汗を流しといで」と湯殿に放り込まれる。
一人になるとさっきのキスを思い出して、しないほうがよかったのか、なぜ自分を止められなかったのか考えてしまう。
だけどあんなに可愛いなんて反則じゃないか?どこに「待て」と言われて我慢できる男がいるというんだ?
いやでも、ルピは「待てる男がいい」と言っていた。だとするならば、待てなかった僕は十五歳の少年未満…
「最低だ…」
そう絞り出したときに「いつまで入ってんだい!」と湯殿から引きずり出され、気づけば僕は「胸板が厚いから、詰め物はなしでいいね」「あらあら、太ももがぎりぎりだったわ。お見それしました」なんて言われながら、正装に着替えさせられていた。
立ち襟の豪奢な衣装は体格がよく見える。
「テムの男は周囲を威圧してなんぼだからね」と、婆や針子たちが満足げに頷いた。
緑に金色の縁取り。
「夫婦でお揃い…?」
「その通り。熱いキスを見せてくれるカップルにお似合いだよ」
その一言で、またさっきの感触が生々しく蘇ってしまう。身体は確かに筋肉質だったけど唇はやわらかくて、漏れてくる声は甘くて、また身体が熱を帯びてくる。
「旦那、顔真っ赤だよ」
「…!」
「顔整えてね。私たちが旦那がフレイアにデレてるのを見られて楽しいけど、ケルツ族の爺さんはよく思わないかもしれないし」
そうだ、テム三大部族のひとつ、ケルツ族の部族長。
今日の披露宴で一番注意しなくてはいけない、僕を敵視しているであろう相手。
…浮かれている場合ではない。
僕がフレイアのそばにいることを彼に認めてもらわないと、フレイアが難しい立場に陥ってしまうのだから。
「難しく考えなくていいよ。私たちは旦那の味方だから。さ、お行き」
ハンリネ婆に背中を押され、僕は披露宴会場へと足を踏み入れた。
大広間にはすでに人が集まっていて、ざわめきが満ちている。音楽、肌を露出した踊り子、笑い声、視線、ジュリネ婆が作った料理の香り。
その中心に、フレイアがいる。緑と金のドレスを纏って、僕よりずっと逞しい男たちに囲まれている。
「来てくれてありがとう。奥方の産後の肥立ちはどうだ?」
「久しぶりだな。領地の災害復興は順調か?足りない物があれば言ってくれ」
「おいおい、会うなりまた金の無心か?勘弁してくれ」
「その件は外交担当のノーランと詰めてるとこだ。心配するな、来週には知らせるよ」
臣下たちからの相談や陳情を振り分け、答え、さりげなく気を遣っている。
気さくなのに威厳があって、親切なのに弱くはない。
こんな人が、僕の妻。僕みたいな化け物の、妻。
臆病で本当のことさえ言えない僕は、彼女にふさわしいのだろうか。
さっきまで「彼女の隣に並んで彼女に触れて、できることならここから連れ出してしまいたい」と思っていたのに、足が止まってしまって、遠くから見ているしかできない。
さっきまで僕の腕の中にいたのに…
「お前がアルヴィンか」
その声で振り向くと、顔にいくつも傷のある老人。いかにも「歴戦の勇士」といった風貌だ。
周囲のざわめきが緊張と好奇心を帯びて、教えられなくてもわかった。
彼がケルツの部族長、セリムだ。




