後日談6:笑顔の魔法
季節は巡り、サイラスの屋敷にはすっかり冬が訪れていた。王国は海沿いにあり、降雪が多い。屋敷の庭はすっかり白い雪で覆われてしまっていた。
「レティシアさん、少しいいですか」
そんなある日の午後、レティシアはサイラスに呼ばれて研究室を訪れていた。ずっとお互い仕事に忙しかった上、レティシアの研究はもう終わったので、この部屋に来るのは本当に久々だ。
散らかしっぱなしのメモや本が、とても懐かしく感じる。
ふと視線を感じて窓の外――庭を見ると、雪景色に埋もれるようにしてロードリックが立っていた。レティシアに気付き、軽く手を振ってくれる。
最近、屋敷の使用人たちはああやってレティシアとサイラスを見ていることが多い。クレアの、いつかの「意地悪禁止」のための監視を、まだ実行し続けているのかもしれない。レティシアは軽く手を振り返した。
「座ってください」
サイラスに言われるがまま、いつかの研究の時と同じように片隅にあるソファに座った。反対側にサイラスが着席し、腰の魔道書をローテーブルに置く。
まるで、あの時に巻き戻ったかのようだった。
「飲み物は、紅茶で構いませんよね」
その言葉に、思わず目を見開いてしまった。サイラスが微笑んで、レティシアの答えを待つ。
「……はい!」
「わかりました」
サイラスが魔道書に触れる。淡い光が散った。いつかと同じようにがたんと音がして、キャビネットのガラス戸がひとりでに開く。そこからティーセットが飛び出した。以前よりもずっと、その動きはスムーズだ。
ティーセットがひとりでに紅茶を淹れ始める。魔法を操るサイラスの表情は真剣そのもので、レティシアは密かに見とれてしまった。彼はたぶん、魔法に一生懸命で気付いていない。
「サイラス様」
魔法が終わり、ティーセットが動きを止めた直後に、レティシアはサイラスに呼び掛ける。
「たくさん、練習して下さったんですね」
レティシアは柔らかな声で言う。しかし、サイラスはばつが悪そうに色付いた液体に視線を落とした。
「……バレてしまいましたか。そうです。エヴァン様のように、大切な貴女にちゃんとしたものを振る舞いたかったんですよ」
自身の努力を打ち明ける姿に、胸が詰まった。レティシアは指を伸ばし、ティーカップを持ち上げる。深みのある香りに包まれた。
サイラスの視線が、レティシアの指先に集中する。
「いただきます」
レティシアはゆっくりとティーカップを傾けた。口に含んだ液体はまろやかで、ほんのりと渋みがある。
「……美味しいです。今までで一番です」
レティシアが告げ、微笑む。サイラスは息を吐いて、背もたれに寄りかかった。力を抜いたその姿から、目が離せない。
「努力の甲斐がありました。貴女が笑ってくれて良かった」
サイラスが弱々しく笑う。その姿に、とっさにレティシアは席を立っていた。胸の高鳴りが命じるままに、彼の隣に移動する。
「レティシアさん?」
サイラスが姿勢を正す。
「……私が笑えたのは、お茶じゃなくて……貴方が、貴方だったからですよ」
ここに来たばかりの頃を思い出しながら、レティシアは言葉を紡ぐ。サイラスの青い瞳は、まっすぐにレティシアだけを見つめている。
「貴方が魔法を楽しそうに使う姿に、私は惹かれました。サイラス様は私にとって、笑顔をくれる魔法使いです。最初から、ずっと」
この気持ちが伝わりますように。願いを込めて、サイラスの手を握った。視界の端、雪の庭で、ロードリックがわざとらしく明後日の方向を向いたのが見えた。
「……貴方が、好きです」
サイラスが目を見開く。レティシアは構わず、彼との距離を詰めた。サイラスの肩に手を乗せるようにして、顔を近付ける。
躊躇いは、なかった。
彼の唇に、自分のそれをゆっくりと重ねる。サイラスは逃げなかった。ただ硬直し、されるがままになっている。
レティシアは彼の後頭部に、空いている手を沿わせた。少しも離れたくない。そんな一心だった。
「レティシアさん……!」
サイラスの色々を堪能していたら、我に返ったらしい彼に強い力で引き剥がされた。顔が赤く、息が荒い。こんな風に余裕なさげな彼を見るのは初めてで――なぜか、余計に気持ちが溢れて止まらない。
想いを込めて、彼を見つめる。
「もっと、近くにいてはだめですか?」
言ってみたら、無言で首を横に振られた。
「貴女の方が、俺よりずっと意地悪だと思います」
「……そうでしょうか」
「はい。間違いなく」
サイラスは大きなため息をついて、それからレティシアの髪を掬いとった。
「……結婚したら、もう我慢しませんよ。意地悪な貴女への仕返しをたくさんさせて貰います」
言葉とは裏腹に、髪を撫でる手つきは優しかった。レティシアはその手に体を寄せて、ぬくもりをめいっぱい味わう。
「はい、楽しみにしています」
笑いながらそう返したら、なぜかとても渋い顔をされた。
そんな顔も愛おしくて、レティシアは彼の手に自分の手を重ねる。
朝と夜が来て、季節が巡る。
どれだけ時が過ぎても、魔法使いとお姫様が暮らすお屋敷には、常に笑顔が溢れていた――
これにて後日談も完結です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。




