23:青い薔薇の魔法
クレアに誘われて、レティシアは部屋を出て、厨房にやって来ていた。夜遅い時間だから、明かりも消え、しんと静まり返っている。
「お待ちくださいね」
彼女は慣れた手つきでお湯を沸かし、手早くハーブティーを淹れた。ほっとするような、爽やかな香りが漂う。
「はい!」
クレアが差し出したトレイには、ティーポットとカップが二つ載っている。思わず受け取ると、クレアは一歩分、足を引いた。手を後ろに回し、ニコニコとレティシアを見つめている。
「……クレアさん?」
「ついでですから、サイラス様にも持っていってくれませんか?」
そう言って、悪戯っぽく笑う。
「ゆっくりお茶を飲んで、おしゃべりして、気分転換してきて下さい。サイラス様に仕事をさせたらダメですよ?」
レティシアは一拍おいて、クレアが言いたいことを理解した。仕事漬けのサイラスを休ませるための口実なのだろう。
「責任重大、ですね」
「はい。サイラス様はこの時間なら地下にいると思います」
クレアはひらひらと手を振る。レティシアはしっかり頷いた。
*
レティシアがサイラスの屋敷に来てからそれなりに経つけれど、地下に降りるのは初めてだった。
地下への階段は廊下の端にひっそりと存在している。狭く、照明も少なめ。屋敷の他の場所とは雰囲気が異なっている。
階段が終わると、すぐ目の前に扉があった。僅かに開いている扉の隙間から、かん、と軽い音が聞こえてくる。
そっと覗くと、中は思ったよりも広い、玄関ホールくらいはありそうな大きな部屋になっていた。サイラスは魔道書を構えて、静かに立っている。
その横顔からは、いつもの穏やかさが消えている。レティシアの視線に気付かず、右の指先に魔法の光を宿す。
放たれたのは、3本の光の矢。光は空間を切り裂き、3つの的の中央を正確に貫く。かん、と先ほど聞こえた音が、再び聞こえた。矢は砂のようにさらさらと崩れて消える。
サイラスは再び魔法を放ち、的を狙う。その繰り返し。
真剣な立ち姿と正確な魔法に、レティシアは呼吸も忘れて見入ってしまう――
「……オルコット嬢?」
声をかけられて、はっと我に返った。サイラスがこちらを見て、ふわりと雰囲気を緩ませる。
「ご、ごめんなさい。覗いてしまって」
「構いませんよ。むしろ、より一層頑張れそうです」
空気の温度が一気に熱を持ったような気がした。サイラスの微笑みを直視できなくて、俯く。
「そのお茶……さては、クレアですね」
サイラスは魔道書をブックホルスターにしまうと、こちらに近寄ってきた。
「一緒に頂きましょうか。こちらへどうぞ」
地下室の片隅に、休憩用なのか2人掛けの椅子とテーブルが置かれていた。レティシアが座った後、躊躇うことなくサイラスも隣に腰を下ろす。
身動きしたら触れてしまいそうな距離。
レティシアはほんの少しだけ、端に寄って小さくなる。
緊張を誤魔化すようにハーブティーに手を伸ばした。すっきりとした味わいと優しい温度に、肩の力が抜けていく。
「無理はしていませんか?」
「え?」
予想外の問いかけだった。
「昼間別れた後、少し疲れた顔をしていました。玄関ホールで」
心臓が跳ねる。見られていたらしい。てっきりあの女性との会話に夢中になっていると思っていた。
体の芯がぽかぽかと暖かい。抱えていたモヤモヤも、洗い流されたかのように消えている。ハーブティーの効果がそうさせるのか、それとも――
「今は、大丈夫です」
「そうですか? ……クレアのお陰かもしれませんね。彼女のお茶は疲労によく効きますから」
サイラスはそう言って、お茶を一口含む。その所作がどうしてか眩しくて、レティシアはまた見とれてしまう。
「あの、魔法の訓練をされていたんですか?」
咄嗟に話題を逸らした。そうしなければ、よくわからない衝動が溢れてしまいそうだった。
「はい。魔法も他の物事と一緒です。使わなければ、技術は錆び付いてしまいますから」
サイラスはブックホルスターに仕舞ってある魔道書に優しく触れた。そのまま、指先から一筋の光の矢を飛ばす。矢は的の真ん中に吸い込まれるように刺さり、崩れて消えた。
「その魔道書、とても大切にしているんですね」
レティシアの何気ない問いかけに対して、サイラスの表情に一抹の寂しさが浮かぶ。けれど瞬く間に、いつも通りの彼に戻っていた。
(公爵様……?)
彼が見せた珍しい表情に、少し戸惑う。
そういえば、ここに来てからサイラスとは多くの時間を過ごしているのに、レティシアは彼の過去をほとんど知らない。そんな事実に、今さら気付いた。
「はい。これは恩師から託された教え、そのものなんです」
サイラスは周囲をぐるりと見回した。地下室には、ダミー人形や結界を作る魔石など、魔法の訓練に使う様々な道具が並んでいる。
「魔法を愛すること、魔法の可能性、全部彼が教えてくれたんです。俺は彼に恥じない魔法使いになりたいと、今でもずっと思っていて――」
サイラスの言葉が途切れる。それから、バツが悪そうに笑った。
「すみません。俺ばかり話してしまいましたね」
「いえ……お話、聞けて良かったです。その方のことを、とても尊敬しているのですね」
「はい。とても」
短い返答の中に、隠しきれない大きな感情が滲んでいる気がした。
サイラスが軽く顔を傾けて、レティシアを覗き込む。
「また、見に来ますか?」
「はい! ……あ」
思わず大きな声で返事をしてしまい、レティシアは顔を赤らめた。くすくすと笑われて、視線を背ける。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。また来て下さい。貴女なら大歓迎です」
穏やかな声だった。
「……は、はい」
対するレティシアは、小さく、それだけ返事をするのが精一杯。嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な心地に包まれる。
「そうだ。貴女にこれを差し上げようと思っていたんです」
サイラスが言いながら懐から取り出してきたのは、クレアちと同じ、青い薔薇がデザインされたピンブローチだった。
「それ……!」
思わず声を上げたレティシアを見て、サイラスは嬉しそうに頷いた。
「貴女のものですよ。それを着ければ、魔道装置を使えるようになるはずです……理論上は」
珍しく、サイラスが自信なさげにしている。
震える手で、ピンブローチを受け取った。小さな青い薔薇が、レティシアの手の上で咲き誇っている。
「試してみますか?」
「はい、お願いします」
サイラスに案内され、レティシアはこの訓練場の照明スイッチの前にやって来た。彼が魔石に触れると、一部の明かりが消えて光量が落ちる。
「やってみます」
一度深呼吸をしてから、レティシアはおずおずと手を伸ばし、魔石に触れた。瞬間、きらりとピンブローチが輝いた気がして――ぱっと、明かりが点いた。
「……!!」
レティシアは目を見開く。間違いなく、明かりは光を放っている。
生まれて初めて、自分の手で魔道装置を動かしたのだ。他人から見たらひどく些細なことだけれど、レティシアにとってはとても大きな出来事だった。
「できました! 私、自分で……!」
生まれてからずっと付きまとってきたものから、解放された。
思わず目尻が熱くなり、涙が浮かびそうになる。レティシアは慌てて指先で拭った。
そんな様子も、サイラスは微笑ましそうな眼差しで見つめている。
「良かった……本当に、私にもできた……」
「成功して良かった。貴女には魔力がありませんから、他の魔力を使うことで代用してみました」
「他、ですか?」
レティシアが聞き返すと、サイラスは苦笑いを浮かべる。
「具体的には、俺の魔力ですね。貴女が魔道装置に触れる瞬間だけ、俺の魔力がそのピンブローチに流れるようになっています」
つまり、サイラスから離れたら使えなくなってしまうということになる。それでも、レティシアには十分だった。
「本当に、ありがとうございます……!」
勢いよく、サイラスに向かって頭を下げる。
「顔を上げてください。……ふふ、そんなに喜んで頂けるなら、作った甲斐がありました」
サイラスに指摘されて、咄嗟に顔を背けてしまった。そう言われてしまうくらい、しまりのない顔を晒してしまっただろうか。
「す、すみません。はしたない真似を……」
「構いませんよ。もっと見せて頂きたいくらいです」
サイラスの軽口が、いつもよりもずっと意地悪に聞こえた。
レティシアはピンブローチの花の部分を優しく撫でる。サイラスと繋がっているそれから、温もりすら感じられるような気がしてしまう。
「さて、俺は訓練に戻りますが、オルコット嬢はどうされますか?」
サイラスはそう言って、立ち上がろうとした。クレアの言葉を思い出し、咄嗟に服の裾をつかんで引き留めてしまう。
「あの、クレアさんから、お仕事をさせないようにと言われていますから」
サイラスは裾をつかまれた瞬間、僅かに目を見開いた。
けれどすぐに、その表情はいたずらっぽいものへと変わる。
「……それだけ、ですか?」
サイラスの青い瞳が、レティシアの意思を問いかけてくる。かっと、顔が赤くなるのを自覚した。
「ええと、その……も、もう少し、お話ししたい……です」
しどろもどろに、答える。彼はくすっと吐息を漏らして、レティシアの横に座り直した。
先ほどよりも手のひらひとつぶんだけ、距離が近い。
「では、もう少し休憩することにします」
サイラスの低い声が、鼓膜をやわらかくくすぐる。
他愛ない話と共に、穏やかに夜は更けていった。




