21:贈りたい人
午後になり、研究室を訪れたレティシアは、いつも通りなサイラスの姿を見てほっと息を吐いた。
「今朝はすみませんでした」
レティシアが頭を下げると、サイラスは鷹揚に首を横に振った。
「約束していた訳ではないですし、大丈夫ですよ。……もしかして、寝過ごしてしまいましたか?」
彼にあっさり言い当てられて、頬に熱が集まった。おずおずと頷く。
「そうですか。あの力は、貴女にとっては負担が大きいのかもしれませんね」
彼の表情はレティシアを労るように優しいけれど、その声色はどこか固い。ちぐはぐな印象を受けながら、いつものソファに座った。
サイラスはいつも通り、魔法で紅茶を淹れてくれた。クレアのものと遜色ないくらい美味しくて、レティシアは思わず頬を緩める。
「今日は成功です。力のコントロール、貴女に先を越されてしまいましたね」
そう言いながら、サイラスは嬉しそうにこちらを見た。心からの笑顔が眩しくて、レティシアはティーカップの中に視線を落とす。
「あれで成功と言えるでしょうか……」
ただレティシアはサイラスから土人形に伸びていた白い糸――恐らく魔力と呼ばれるものに、そっと触れただけなのだ。
サイラスからの魔力を絶たれた土人形は動きを止めた。それは間違いなくレティシアの力によるものだけど、その後に反動で倒れてしまうし、寝坊もしてしまうし、成功と言われても受け入れがたいものがある。
「成功ですよ。間違いなく。防御魔法で魔法を防ぐことは魔法使いならば誰でもできますけど、魔法そのものを消すことは俺にはできません。貴女だけの素晴らしい力だ」
「は、はい」
語る言葉に熱を感じて、なんとなく落ち着かない気持ちになる。
「ですが、あの力はもう使わない方がいいかもしれない」
続いた言葉が予想外のもので、レティシアはサイラスを黙って見つめてしまった。彼の瞳は魔法を前にした時のようにキラキラ輝き、好奇心を抑えきれないことがこちらにも伝わってくる。
なのに、彼は理性でそれを否定する言葉を放った。
「どうして、ですか?」
「貴女への負担が大きすぎる。小さな土人形を動かす魔法なんて、大した魔力量ではありません。それでも貴女にあれだけ負担が来るのですよ。大きな魔法を自分の意思で無効化すると――」
言葉が途切れた。
「命に関わる可能性があります」
声が、一瞬だけ低くなる。
「……それは」
私の命なんて、別に構いませんと言ってしまいたかった。
メルヴィンと婚約していた頃、レティシアの命は18歳の誕生日までだと散々言われてきた。元婚約者の言う通り、あと3ヶ月で無為に死ぬのであれば、サイラスの実験に命を懸けた方がいい。
そう、思っていた。
「だから、もうその力を意識的に使わないと約束して下さい。貴女に、無理をして欲しくないんです」
サイラスの瞳は、真剣だった。その視線から逃れるように、顔を俯ける。
「ですが……ロードリックさんたちはどうなりますか?」
レティシアはロードリックのことを思い出す。
期待していると言った彼は、あの体質の完璧な解決を望んでいた。クレアやセシルだって、その他の使用人たちだって、きっと何か体質で困っているからここにいる。お世話になった彼らを救うために残りの命を使うことは、悪いことではない。
それに、役立たずのままで死ぬよりは、誰かのためになった方がずっといい。
(そう、思うのに……)
矛盾した心が苦しい。
レティシアはネックレスにそっと触れる。抑えきれない気持ちを乗せて、息を吐く。
浅ましくも、死ぬことが怖いと思い始めてしまった。サイラスとの出会いが、ここでの暮らしが、レティシアを変えた。
彼らを助けたいのに、残り時間を彼らと一緒に過ごしたいから、レティシアは簡単に命を投げ出せない。
なんて、自分勝手な願いなんだろう。
「昨日の実験で貴女の力の原理は一部掴めていますから、それで何とかやってみせます。だから、あとは俺の仕事です」
「……でも、そうしたら……」
この家にいる理由がなくなってしまう。レティシアはまた、役立たずに逆戻り。ここを追い出されてしまったら、どこにも行くところがない。
胸がすくむような感覚に襲われる。
内心の怯えを肯定されるのが怖くて、その先を口にすることができなかった。
「なんですか?」
サイラスの優しい声がする。
この人は、やっぱり時々意地悪だと思う。優しくて、頼りになって、レティシアの言いたいことなんて全部お見通しみたいな顔をしながら、それでも意見を聞いてくれる。
ずっと忘れていた、自分の気持ちを形にすることを、思い出させてくれる――
「…………私は、いらない……ですよね」
絞り出したような声が、研究室に落ちる。
怖い。
身体を縮こませる。サイラスの顔が見られない。
そんなレティシアに対して、サイラスはふっとひとつ息を吐いた。その後に訪れた沈黙が、とても長く感じる。
「そんなことはありません」
彼ははっきりとそう言い切った。恐る恐る、レティシアは顔をあげる。
「俺が行く宛のない令嬢を追い出すような酷い男に見えますか?」
サイラスはいたずらっぽく笑う。その表情で冗談だとわかるけど、レティシアはますます小さくなるしかない。
「す、すみません。そんなつもりじゃ……」
「わかっていますよ。それに、まだ研究しなければならない要素はたくさんありますから。元凶とも言える、魔力ゼロ体質についてはまだ何も進んでいません。……オルコット嬢、どうかこれからも俺に協力して頂けませんか?」
彼の青い瞳に浮かぶ光は、真剣そのものだ。その力強さに魅せられるように、レティシアはこくりと頷いていた。
「……はい」
「良かった。断られたらどうしようかと思ってしまいました」
サイラスが苦笑いを浮かべている。ころころと表情が変わる彼の顔から、目が離せない。
「そうだ、今度の花祭りはどうされますか?」
言葉の語り口は軽いのに、その視線はレティシアだけを捉えている。
「花祭り……」
うっすらと、聞いた覚えのある言葉だった。記憶の片隅から、実家の使用人たちの言葉を引っ張り出してくる。
「春の終わりにある、これからも仲良くしたい相手に花を贈るお祭り……でしたか」
聞いたことはあるけど、参加したことはなかった。レティシアは今まで誰にも花を贈ったことがないし、贈られたことだってない。
これまでは贈りたいと思える相手がいなかったけど、今は違う。初めて、誰かに花を贈りたいと思った。
(これからも、仲良くしたい人)
レティシアはまっすぐに、目の前の人を見つめる。
「そうです。俺は当日花を買いに行くつもりですが、貴女はどうされますか?」
「行きたいです」
間髪入れずにレティシアが答えたら、サイラスは眉を上げた。
「積極的ですね。クレアに贈るんですか? あの子なら、きっと喜ぶと思いますよ」
そんな彼の言葉に、レティシアはぱちぱちと瞬きをした。何度見直しても、彼は真面目な表情を崩さない。
(自分が贈られる可能性は、少しも考えていないのかな……)
他人事みたいに言うサイラスが可笑しくて、レティシアは知らず知らずのうちに微笑んでいた。




