10:魔法が好きだから
「こんにちは、オルコット嬢! お仕着せ姿もよくお似合いですね」
はじめての研究の翌日。朝食の後、洗濯室で洗い物をしていたレティシアは、背後から明るく声をかけられた。
「飾り気がない装いでも、その身の美しさは隠すことができないということですね。素晴らしいです」
洗い物の手を止めて振り向くと、そこにいたのは以前玄関ホールでレティシアに花束をくれた、銀髪の軽そうな執事――
「生き生きとした……ロードリックさん?」
疑問系で名前を呼ぶ。確かサイラスにロードリックと呼ばれていた記憶がある。
レティシアの返答に、彼は笑みを深めた。以前胸元についていたピンブローチが、今日は見当たらない。
「前向きで素敵な褒め言葉をありがとうございます。もっと貴女の口から、僕への言葉をお聞きしたいところですね」
「……そうですか」
そう言われても、何を返していいかわからない。ロードリックの期待の眼差しに、レティシアはいたたまれなくなって抱えた洗濯物に視線を落とす。
「僕のこと、どう思います?」
そもそも、このロードリックという人は何の目的があって話しかけてくるのだろう。レティシアに害意がある訳ではないと思うけれど、歯の浮くような言葉ばかりくれるものだから……少し、困る。
「ええと……明るくて、ポジティブな方だと思います」
「うんうん。他には何かありませんか?」
その言葉では、彼を満足させられなかったらしい。
レティシアは思考を巡らせる。ロードリックは軽く、明るく、見た目に気を遣った人間という印象を受ける。一般的に『軽い』は褒め言葉ではない。となると、見た目について言うのがいいだろうか。
「銀髪がよくお似合いです」
「……なるほど」
考え抜いた末のレティシアの発言に、ロードリックはふいに笑みを消して、神妙な顔で頷いた。
「オルコット嬢は、男性ならどんな髪色が好みです? いやー、銀だったらとっても嬉しいんですけどね!」
(……それは、どういう質問なんだろう……)
疑問に思いつつも、頭の中には勝手に暗い赤髪――サイラスの色が思い浮かんでいた。
今まで関わってきた男性といえば、レティシアに冷たかった元婚約者やオルコット家の使用人たち、それからサイラスくらいしかいない。その候補の中で最も身近なサイラスの姿が浮かぶのは、自然なこと――でも、どうしてか、それを軽々しく口にしてはいけない気がした。
「お父様と同じ、金髪でしょうか」
答えると、ロードリックは目を瞪った。それは見間違いかと錯覚するくらいに僅かな間のことで、すぐに彼はいつも通りの笑顔に戻る。
「なるほど……ますます貴女に興味が湧きました」
何がどうしてそうなるのかが、レティシアにはさっぱりわからない。
「どうでしょう、この後ゆっくりお茶でも――」
「あっ! 何してるんですかー!!」
ロードリックの言葉は、クレアの叫びで遮られた。レティシアが洗った洗濯物を干しに裏庭に行っていたクレアが、ちょうど終えて戻ってきたところだったようだ。
クレアの登場に、レティシアは少しほっとする。
目をつり上げ、つかつかとこちらに歩み寄ってきたクレアが、ロードリックの前で足を止めた。小柄なクレアと大柄なロードリックが並ぶと、まるで大人と子供のようだ。
「……っ、ロードリックさん……」
彼の名を呼ぶクレアの頬が、うっすらと赤く染まっている。
「あー、クレアは今日も元気でかわいいね。……じゃなくて、ごめん。ちょっと出来心で」
「気持ちはわかりますけど、ダメです! レティシア様に迷惑をかけるのはやめて下さい」
クレアが全身を震わせながら、ロードリックを睨む。
「わかってるって。……オルコット嬢、御前失礼致しました。ですが、貴女が美しいというのは本当のことですよ」
ロードリックが軽くウィンクを投げてきた。クレアは彼をくるりと反転させて、その背中を押して洗濯室から追い出してしまう。
バタンと強く扉を閉めた後、クレアはふう、と息をつく。
「……追い出してしまって、いいのですか?」
「いいんです。ロードリックさんは口から生まれてきたような人ですから、何か言われても軽く『はいはい』って流しておけば大丈夫です!」
そういえば、初めて会った時もサイラスが「はいはい」とロードリックの台詞を流していたような記憶がある。
「でも、悪い方ではない……ですよね?」
少なくとも、彼はレティシアが嫌だと思う言葉を使わなかった。そう伝えたかったのに、クレアは不満げに唇を尖らせる。
「まあ、それはそうですけど。でもやっぱりダメです。レティシア様って男の人に慣れてなさそうですから、あの口説き文句にコロっと騙されないか、私心配です!」
クレアがぐっと拳を握りしめた。
「それは、大丈夫だと思います。ロードリックさんの言葉が全部お世辞だって、ちゃんとわかっていますから」
クレアを安心させようとそう言ったのに、彼女はなにやら複雑そうな顔をした。
「うーん……防御力が強すぎるのも問題だと思います……」
ぼそりと呟かれた言葉の意味がわからなくて、レティシアは戸惑ってしまった。
洗い物を終えて、それを全部裏庭に干し終わる頃には、陽はすっかり高い位置に昇っていた。
ゆらゆらとはためく洗濯物を見ていると、達成感と吹く風の心地よさが同時に感じられ、少し心が明るくなる。
裏庭のベンチで休憩していたクレアが、隣のレティシアに視線を向けた。
「そういえばレティシア様。昨日の研究はどうでしたか? サイラス様に困らされてはいませんか?」
こちらに向いたクレアの顔に、心配ですと書いてある。サイラスの方がずっと年上だろうに、やっぱりしっかり者の姉と無邪気な弟のようだと思う。
「……大丈夫です。とても気を遣って頂きましたから」
そうレティシアが言っても、クレアの顔は晴れない。
「でもお茶の件は酷いと思うんです! お客様の前で、失敗するってわかりきっていることをするなんて……」
クレアはぶつぶつとサイラスへの苦言を呈している。
昨日、サイラスは魔法について「歓迎しようと思って、つい」と言っていた。彼も、失敗する可能性が高いことは十分に理解していたはずだ。
それでもレティシアの目の前で魔法を見せた、その理由は――きっと、打算や、優れた魔法使いだというアピールなどではない。
(魔法が、好きだから……)
魔法を語る時の、彼の楽しげな声。柔らかな表情、クレアに叱られてもめげない姿――それらを思い出すと、胸にあたたかな温度が宿る。まるで、あの研究室の光が、今も自分の中にあるようだった。
サイラスはただ、魔法から切り捨てられたレティシアに、その可能性や面白さを教えてくれようとしたのだろう。そんな彼の顔を正面から見られなかったことを、少しだけ後悔する。
春の風が、迷いを押し流すように一際強く吹いた。
(私は)
周囲を見回す。この場所には今日も、あたたかいものが満ちている。
彼が歓迎しようとしてくれた気持ちを、受け取りたい。役立たずなままの自分でいたくない。そう思った。
「お茶としては失敗だったかもしれませんが、それ以上の気持ちを頂けましたから、大丈夫です」
「うーん、レティシア様がそう言うなら……。で、でも、嫌なことがあったらすぐ言ってくださいね! 私からサイラス様を叱りますから!」
クレアのその言葉が、何よりも心強く感じられた。
次に彼と向き合う時、昨日と同じ距離ではいられない――そんな予感と共に、レティシアは空を見上げた。




