現実
準備が整い、主人のドゥティエンヌ様が部屋を後にする。
1時間後には、ドゥティエンヌ様は王女から女王となられる。
その後ろ姿を見て、私は思わず目頭を押さえた。
扉が閉まり姿が見えなくなると、部屋に張り詰めていた緊張が消え去る。
同僚の侍女達が主人の誇らしい姿を語り合う中、私は天井を見上げ感慨に耽った。
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ドゥティエンヌ様との出会いは、私が4年生の時だった。
その時の私は貴族学院を卒業して貴族として認められた後、進む道を模索して様々なことに挑戦していた。何に興味が沸くのか、何が向いているのか、2年以上私は探し続けていた。
しかし、いまだに見つけることが出来ていない。
前世の時から大した趣味は持っておらず、転生してからは第一王子エンドだけを考えていた。そして何より主人公補正が大きな障害となっていた。
学べば学ぶほど、習えば習うほど身についていく。そこには達成感など皆無だった。言うなれば、ただの作業でしかなかった。様々な分野に手を出していった結果、私は学院一、歴代最高の秀才と呼ばれるようになる。しかし努力をしたわけでもない私にとって、その言葉は罪悪感を感じさせていた。
こうして周りからは称賛されながらも、虚しさを感じていた。
私が4年生になった年、ドゥティエンヌ第一王女が入学された。
そして妹のアンジェも入学した。
私は妹を仲介してドゥティエンヌ様と知り合うことになった。
「アリーシア様のお噂は学園中と言いますか、アンジェリカからよく伺っております」
「ドゥティエンヌ様っ!それは秘密にしてください」
-幼い頃から尊敬されていましたけど、わざわざ吹聴しなくても-
子供の頃はアンジェの敬意や好意を素直に受け取っていたが、今の私はズルをしているようで罪悪感を感じてしまった。
「アンジェ。恥ずかしいですから、あまり触れ回らないでください」
「お姉様。申し訳ありませんでした」
「別に怒っているワケではありませんよ。妹に好かれるのは嬉しいことですから。ただ、目立つのが少し、、、」
アンジェの沈んだ顔が、一瞬で満面の笑みに変わる。怒られたワケではないこと、嬉しいと言われたことが余程嬉しかったようだ。
「ご安心ください。話すことはいつも抑えるよう心がけていますから」
「アンジェリカ、あれで抑え気味でしたのですか?それでは実際はどれだけ素晴らしいのでしょうか?」
「はい、ドゥティエンヌ様。それはもう語り尽くせない程お姉様は素晴らしいのです」
ドゥティエンヌ様のからかう言葉に気づかず、アンジェは興奮気味に目を輝かせていた。
「アンジェ、いい加減落ち着きなさい」
「あっ、お姉様、申し訳ありません。ドゥティエンヌ様、失礼致しました」
アンジェが顔を赤くして縮こまってしまった。ドゥティエンヌ様は私達のやり取りが可笑しいらしく、楽しげに笑っていらっしゃる。
-人目のない交流室とは言え、アンジェがあの様な姿を見せて、ドゥティエンヌ様も楽しげな様子から、かなり良好な関係を気づかれているようですね。
それにしても、第一王女が単なるお茶会でこの場を設けたワケでないでしょう。本題はこれからと言うことでしょうか?-
「思っていた以上に仲がよろしいのですね。少し羨ましいです」
「いえ、お恥ずかしい限りです」
-兄のディアモンド様はともかく、弟のダヴィオン様とも上手くいっていないということでしょうか?-
「ただ、アンジェリカがアリーシア様を慕う気持ちもわかります。長年、このような方と共にいれば憧れてしまうでしょう。もっとも、アンジェリカは少し行き過ぎているように思えますが」
「はい。まったくです」
「そ、そんなことありません。お姉様が素晴らしすぎるのがいけないのです。私は至って普通です」
アンジェの言葉に、私とドゥティエンヌ様は目を合わせると、耐えきれずに笑い出してしまう。
「本当に羨ましい限りです。私にもアリーシア様の様な方が身近にいらっしゃったら・・・」
「ドゥティエンヌ様?」
ドゥティエンヌ様の声のトーンが下がったことで、アンジェが不思議そうな顔を浮かべた。
-この会合が単なるお茶会ではないと、ようやく気づいたようですね。まぁ私なんて、ジェミニアーニ様の一件がなければ自分の未熟さに気づかないままだったでしょうから。同期に第一王女がいらっしゃるなら、自然と鍛えられるでしょう。はぁ~。私なんて、前世の時から数えれば相当な年なのに・・・-
ドゥティエンヌ様が紅茶を一口飲み、カップを置くと私を見つめてきた。顔には笑みを浮かべているが目はまったく笑っていないように感じた。
-本題、ということでしょうか?-
「お聞きしています。アリーシア様が様々な分野を習得されいらっしゃることを。そして4年生になっても、いまだ新しいことに挑戦され続けていることを。その類い希なる才能を私の為、国の為に捧げてはいただけないでしょうか」
「お姉様!流石です。ドゥティエンヌ様直々に側近に召し上げられるなんて」
アンジェは素直に喜んでいるが、私は作り笑いを浮かべるのが精一杯であった。
-もしかして、私がフラフラしてるだけって気づいてる?-
ドゥティエンヌ様の真意を探ろうとしたが、目を閉じ、紅茶を飲むことで顔半分をカップで隠している為全く読み取ることが出来なかった。
-あ~。でも、ここで顔を隠すってことはバレてるってことで間違いないよね?-
親友のヴィアにすら気づかれていなかった真実を全く面識のなかったドゥティエンヌ様に見破られ、私は恐怖を感じた。この方に逆らってはいけないと。そして、これは勧誘ではなく命令であると。
本心は関わりたくなかったけれど、断る理由が見つからなかった。王女自ら側近に勧誘したという栄誉を断るにはそれなりの理由が必要だが、何年もやりたいことすら見つけられない自分に、断る理由なんて見つけられるワケがなかった。
-断れないよね?はぁ~。仕方ない。王宮でいい男を見つけて、寿退社すれば良いか-
「ドゥティエンヌ様自らお声をかけていただき恐悦至極に存じます。謹んでお受け致します。それで、私にはどの様なお役目をお望みでしょうか?」
「はい。侍女として、身の回りの世話をお願いしたいと思っております」
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こうして私はドゥティエンヌ第一王女の侍女となることになったが、相変わらず考えが浅はかであった。
卒業後に王宮で侍女見習いとして勤めると、秘かに結婚相手を吟味し始めた。王女が貴族学院を卒業して王宮に戻るまで3年ある。主人公だけあって美人だし、主人公補正もあれば相手はすぐにでも見つかると考えていた。そして欲を出して選り好みをしてしまった。
今だからこそ言えるが、そんなことすべきではなかった。
“歴代最高の才女”と言う肩書きは、多くの男性を遠ざけてしまった。遠くから好意的な視線を向けられていることは気づいていたが、近づいてくる者は皆無だった。
そして何より最大の理由は、第一王女の“お手つき”ということであった。第一王女自ら勧誘した侍女を、王女の断りもなく口説けるはずもなかった。
私より先に王女を口説かなけらばならないこと。主人公補正のかかった私と同等の能力を持っているか、“歴代最高の才女”という肩書きを持つ女を娶るだけの度胸を持つ男性など都合良くいる筈もなかった。ゲームでは魅力的に描かれていた攻略対象の男達ですら、この現実の世界では残念極まりない存在であったのだから。
私と同じく転生したジェミニアーニ様と結婚されたフィノキアーロ様は別として、唯一、同僚となった近衛のカールマン様だけが自ら幸せな人生を摑み歩んでいらっしゃる。
マッチョが好みではない私にはどうでもいい話ですけど・・・。
ただ前世の記憶のせいで、結婚に関しては然程焦りを感じていなかった。この世界においては結婚適齢期を過ぎようとしているが・・・。
それよりも私には直面している問題の方が重要であった。
一つは、ドゥティエンヌ様が21歳という若さで王位に就く事になってしまったこと。
事はディーフェンバッハ王太子がディアモンド様を王宮に戻そうとしたことであった。あれだけの失態を犯したにも関わらず、王宮に戻すなど親馬鹿の範囲を超えている。その結果、2人が急死する羽目になってしまった。王という立場故、子と孫を亡くすことになってしまったダンネッカー=スコティッシュ・フォールド国王は、2人の後を追うように1月ほどで亡くなられてしまった。
こうしてドゥティエンヌ様が急遽王位に就いてしまったことで、私はあと数年辞めることが出来なくなってしまった。いくら聡明なドゥティエンヌ様と言えど、引き継ぎもない状態では周りの者達が必死に支えていく必要がある。ディアモンド様の失態以降、ドゥティエンヌ様を支持する者がほとんどであったとは言え、他国は別である。若さ故、侮られることは多い。そんな中、大した理由もなく辞めさせてくれるワケもなかった。
職業選択の自由。前世が羨ましい。
二つ目は休みだ。
この世界では10日に1日、休日が与えられる。
前世の記憶を持つ私としては苦行でしかない。倍近く働いて、たった1日しか休めない。
さらにドゥティエンヌ様が王位に就いたことで、その1日すらなくなってしまう。主人が働く中、若き国王を国全体で支えようという中、休みなど取れる筈もなかった。
労働基準法。前世が羨ましい。
私はどこで選択肢を間違えたのだろう。