ねらわれたまご13
外廊下と面している、玄関扉の隣にあるすりガラスの窓。死の鳥さんが通ったあの窓の向こうに、何やらウロウロしている人影が見えていた。
人影というか、うごめく影というか、ロールシャッハテストの影というか。
「鍵もチェーンも掛けてるし、窓もロックしたし、大丈夫だよね?」
「テピー……」
とりあえず買い物袋から食材をお店の冷蔵庫へと移動させ、私と卵とテピちゃんたちは木のドアからそっと部屋の方を眺める。窓の向こうにウニョウニョしている謎の影はまだあったけれど、部屋に侵入とかそういうことはしないようだ。
「アレは忘れるとして、こっちをどうにかしないと」
「テピ」
部屋に入ってくる奴がいたらどうにかしてという願いを込めて、死の鳥さんの羽根を1枚ローテーブルの方に投げてからドアを閉める。
私が次に手に取ったのはモップだ。
「テピ?」
「換気扇回したままだったんだけどなー」
なんか部屋の中がうっすら生臭いというか、ヘンな臭いがする。
テピちゃんたちがちっちゃい両手で口とか鼻のありそうなあたりを押さえているので、私の気のせいじゃないようだ。
この臭い、やっぱり昨日の得体のしれないお客様モドキのやつだ。
「ビミョー……にシミになってる?」
「テピ」
「うわ、これ取れるのかな。木材だもんね……やだなー漂白剤とか使ったほうがいいかなー」
ドアと、そこに面した床のあたり。
濡れモップでゴシゴシ擦ってみたり、薄く洗剤を混ぜた水で絞った雑巾で拭いてみたりしたけれど、臭いが薄まっている感じはしない。
地味に漂う生臭さ、なんかテンションを下げる。この匂いの中でごはん食べるとか嫌だ。
本体はサフィさんいわく「雑魚」らしいけど、残り香はラスボスレベルだ。
これダメだったら洗剤ぶちまけていいかな。
頑張ってゴシゴシしていると、いきなりドアの向こう側からビーと謎の音が聞こえた。
「何何何なんの音?!」
また卵欲しがりカスタマーの登場か。
私が思わず一歩下がって構えると、コンコンとノックが聞こえてドアが開いた。
動物の頭蓋骨、その眼窩からのぞく紫色の光。黒く大きな姿は、黒い靄で輪郭がボヤけている。
魔王さんだった。
「あ、なんだ、よかったー!」
ぬっと入ってきた姿に私はホッと力を抜く。
物騒な見た目の人なのに、私の緊張感はものすごく和らいでしまった。ふーと息を吐いた私を、空の果物カゴを持った魔王さんがじっと見下ろしている。
「すみません、変なお客様かと思って……。いらっしゃいませ」
いつものように挨拶をすると、骸骨な頭がコクッと頷いた。
「ごめんなさい、ちょっと臭いですよね」
『新たなる訪問者よ』
「はい」
『生業の武器を持ち、汝の領分まで下がるがいい』
ナリワイの武器って、モップと雑巾とバケツだろうか。まあ仕事道具だけども。
よくわからないながらも、カウンターまで戻れってことかなと思ってそうすると、私の移動を見届けた魔王さんが部屋の中央に立ち、すっとドアの方を向いて黒い手を一本靄から出した。
と思ったら、その掌からビーッ!! とレーザービームみたいなのが出てきた。
「ええ?!」
ドアの辺りをビカーッと照らした光は、通った後に紫色の炎が盛大に燃え上がっている。
「燃えてる!!」
ゴワッと音を立てて大きくなった炎は、一瞬のうちに消えた。
「燃えてない!!」
レーザーと炎が当たったドアやら床やら天井やらが、何事もなかったかのようにススひとつ付けることなく存在している。
「イリュージョン……?」
『悪しき腐敗の痕跡を消した』
「あっ、あの汚れ落としてくれたんですか?」
唐突かつ激烈な放火に驚いて一瞬忘れていたけれど、今まで漂っていた臭いがすっかり消えてなくなっている。思いっきり鼻から空気を吸っても、いつもの匂いしかしなかった。
「ありがとうございます。すごく助かりました」
『我が領域を汚すもの、我が焔から逃れること叶わぬ』
相変わらず言っていることが難解だけれど、うちのお店は魔王さんの買い物ルートに入ってるから綺麗にしてくれたらしい。優しい。
「今日はマンゴープリンがありますよー……どうしたんですか?」
冷蔵庫からいつもの果物セットとサフィさんと厳選した美味しいマンゴープリンを持って戻ると、魔王さんは部屋の中央に立ったままでいた。いつもならカウンターに近寄ってくるのにと不思議に思っていると、黒い手の伸びた爪がすっとカウンターの方を指差す。
『新しき命の萌芽に我が力は毒となるだろう』
「あ、卵の……すみません、お気遣いありがとうございます」
魔王さんはやっぱりめちゃくちゃ強いらしく、命のサイズも半端ないようだ。あんまり近付くと良くないので離れて立っていたらしい。
『我が力、我が姿ほどに圧すること叶わず』
「圧縮してくださってるんですね。命のサイズが大きいからこの距離が精一杯と」
『これ以上に狭めれば時空に穴が開くことに』
「そこまでしてもらわなくて大丈夫です。穴の開かない範囲でお願いします」
気遣いで時空に穴を開けてもらっても困るので、テピちゃんが乗っている卵は椅子の上に置いてキッチンの方へ置くことでカウンターから離し、卵—私—魔王さんという位置関係にすることによってカウンターまで来てもらった。
「こっちがマンゴーの果肉入りで、こっちはクリーム感濃いめです。どっちが好きですか?」
『……選択することは不可能』
「どっちも美味しいですよねー。もうひとつずつあるので、おうちで食べてください。スプーンも持っていきますか?」
骸骨な口にプルプルなマンゴープリンを入れた魔王さんは、今日もスプーンが止まらないようだった。小鉢に出した2種類のマンゴープリンを交互にモグモグしている姿は非常に癒される。
定期的にテピちゃんたちが鳴くので卵の近くに行かないといけないけれど、魔王さんはそんな私を気にすることもなくいつも通りにしてくれているのがありがたい。
「毎度ありがとうございます。お掃除も助かりました」
果物のほかにマンゴープリンのプラカップも入った果物カゴを渡しつつ、笑顔でお礼を言う。
『汝に幸あれ』
「ありがとうございます。お客様も、いい一日になりますように」
魔王さんがコクッと頷くと黒い手が靄からすっと伸びて、手のひらで私の頭をそっとポンポンした。
他人から頭ポンポンとか普通はすごく嫌だけど、なんか魔王さんの見た目とは裏腹なちょっと恐る恐るした感じのポンポンはなんか癒される。
やっぱり命がでかいとひととしての器もでかいのかなあ。ヒトじゃないけど。
私は卵も卵欲しがるカスタマーのことも忘れて、束の間の癒し時間を過ごしたのだった。




