はじめての魔術4
ページの角から、そーっといびつな曲線がやってくる。
文章の上でそっとバウンドしながら、いつもよりゆっくりと移動してきた謎生物が、書き間違えた漢字を直線で控えめにつついた。
それからページの隅にまた移動すると、曲線で構成されている自らの体に直線の先を曲げて突っ込み、そっとハートマークを取り出して掲げた。
びゅんびゅん移動していた先週と比べるとかなり動きに違いが出ているので、昨日の水責めで怯えているのか、または騒がしくしたことを反省しているようだ。それでも誤字を見つけたり関連のありそうな過去のページを探したりするあたり、役に立ちたい気持ちはあるらしい。
元々謎生物は外では静かにしているし、こうして役に立っているので、騒がなければ文句はないどころか助かる存在でもある。あの魔術ノートの音声機能に対抗しただけなのだろう。
教授の話を聞きつつ、ノートに「もう怒ってないよ」と書いた。
謎生物がそろそろと出てきて文字に近付き、つんつんと直線でつついたあと、グルグルと文章の周りを勢いよく回り始めた。小さい子分もピョンピョンとページを跳ね回っている。
喜んでいるようだ。
線の塊なのに結構感情豊かだなと思っていると、「もう怒ってないよ」の文字を直線で引っ張って回収し始めたので、文章を消すことにした。大体消せたけれど、「も」と「う」と「怒」は謎生物が自らの体に突っ込んで逃げてしまった。人の書いた字をコレクションしないでほしい。
昼休みのチャイムが鳴り、移動する人の波から少し外れたところでカバンの中をそっと覗き込む。
「シノちゃん、今日のお昼は友達と食べるから分けてあげられないけど、どこかひとりで出掛ける?」
「ン〜今日ハユイミーちゃんト一緒ニイル〜今日ハチャーシュー麺ノ気分ダカラネ〜隙ヲ見テカバンニ入レテ」
「周りに人がいなかったとしてもそれは無理」
「ハーフラーメンデイイカラ〜」
「サイズの問題じゃないから」
ラーメン食ベタイと主張するシノちゃんのクチバシをそっと押さえつつ、スマホを確認する。休講だった子が先に席を取っておいてくれたようなので、お礼のスタンプを押してから階段を降りた。
食堂がある校舎へと移動する途中で、おーい、と呼びかける声が聞こえる。
「あれ? あの人」
なんとなくそちらに顔を向けると、知っている人だった。
そして私に呼びかけているようで、手招きしている。確認のために私が自分を指差すと、その人は頷いた。
何か用だろうか、と小走りでそちらに駆け寄ると、その人は校舎裏を指すように先を歩き始めた。追い掛けて人通りの少ない方へと校舎を回り込む。
あんまり遠いと友達に連絡入れないといけないな、と思っていると、シノちゃんがズボッと顔を出しながら急にアーとかパーに近い大声を出した。音が大き過ぎて耳がくらっとなる。
「ちょっとシノちゃんうるさ過ぎ、っていうか顔出しちゃダメでしょ」
「ネ〜ネ〜ユイミーちゃん〜」
「何? ごはんちゃんと買ってあげるからとりあえず頭隠して」
頭をバッグの中に戻してもらおうと優しく手をあてると、シノちゃんはそこにグリグリ頭を擦り付けながら言った。
「多分ダケドネ〜、今ノヒト、ユイミーちゃんニシカ見エテナイヨ〜」
「……えっ」
手癖でシノちゃんの頭を撫でつつ目線を前に向けると、そこには誰もいなかった。
というか道がなかった。ゴミ置き場なのか、理科室にありそうな古い機械が置いてあるだけの場所が、さっきまで道だと思っていた場所を大きく塞いでいる。
その一番手前、私から3歩のところに、コンクリートの破片のようなものが置いてある。その上部から、鉄筋というのだろうか、棒のようなものが数本突き出ていた。
もしそのまま歩いていたら、躓いて体に当たっていたかもしれない。
そう思うとちょっとゾッとして、私はその場でシノちゃんを掴み出して抱きしめる。
「アラアラ〜ユイミーちゃんハシノチャン大好キネェ〜」
「え、怖い。なに今の?」
「シノチャンモユイミーちゃん好キダヨ〜」
「いや今のほんと何。なんで道が消えたの? っていうかあの人、誰だったの?」
さっきまで私を呼んでいた人物を思い出そうとするけれど、1分前のことなのに記憶がボヤけたように誰だったか思い出せない。そもそも、そんな知り合いがいないような気がする。そもそも、昼休みで通行人が多い中で、なんであの瞬間にすぐ知り合いだと思ったのだろう。
考えるほどに違和感が強くなるので、その分だけシノちゃんを撫で回す。ふわふわの羽根の癒し効果と、高い攻撃力の安心感がダブルで得られた。
「ヨシヨシ〜ユイミーちゃんハネ〜ナンカ術掛ケラレテタンダヨネ〜」
「何、術って。魔術?」
「シノチャントネ〜ゲヒゲヒガ声掛ケテタノニネ〜ユイミーちゃん聞コエテナカッタデショ」
「え、聞こえなかった。ゲヒゲヒも?」
バッグを見ると、中からゲヒゲヒと声が聞こえてきた。
誰かに聞かれたら困るので、特に人が多いところではシノちゃんやゲヒゲヒの声がしないか注意を払っているつもりだ。なのに、シノちゃんが大声を上げるまで気づかなかった。
「ナンカネ〜シノチャン思ッタンダケドネ〜」
グリグリと私の鎖骨あたりに擦り寄りながら、シノちゃんがのんびり声を出す。
「ヤッパネ〜ユイミーちゃんナンカ狙ワレテルヨネ〜」
「え」
「アトヤッパ今日ハサンマー麺ノ気分カモシレナイヨネ〜」
「いや、そんな物騒な情報をランチと一緒に並べないでくれない?」
狙われてるってどういうこと。
オ腹空イタネ〜とのんびり言うシノちゃんを、私はとりあえず両手で持ち上げて問い質した。




