バイト先は家から近いほうがいい2
壁に、ドアが、生えた。
「……えっ」
「すぐ出勤できたほうがいいでしょ? 向こうにキッチンはあるけど、お風呂とかトイレはやっぱり自分ちのほうが落ち着くだろうし〜」
「え、いや、えっ」
我が城である賃貸ワンルーム(築浅)の白い壁に、黒い木製のドアがある。いかにも古そうで、ドアの金色は所々色褪せていた。手前にある自分で組み立てた三段カラーボックスとのギャップがすごい。
「何これ?」
「ドアよ」
「それは見たらわかる」
平然と言う魔女おばちゃんは何なのか。立ち上がってドアに近付いてみるけれど、近くで見てもドアはやっぱりドアだった。同じ色の枠があり、蝶番がついていて。どこからどう見てもドア。
ドアノブを握って開けてみると、謎の空間が出現した。
「……」
開けた扉の向こうには、大型テーマパークにある屋内アトラクション、の、並ぶ途中に作られているセットみたいな大きな部屋があった。
まず照明がどう見てもランプ。LEDのそれっぽいのではなく、本物の火が揺らめいている。
目立っているのは、大きな部屋を半分に区切るように作り付けられた木製のカウンター。スツールが一脚置かれていて、下には引き出しが沢山ある。天板の左側、壁に少し近い位置に切れ目と蝶番がついている。そこから向こう側に移動できるようだけれど、そちらには大きなランプが2つとドアがひとつあるだけで、あとはがらんとしていて何もなかった。
「いやいや」
2階の角部屋なので、位置的にいうとそこは何もないはずだ。隣の敷地までは微妙な距離があるので、何もない空間と下にはコンクリートの地面しかないはず。なのにしっかり木の床があって、ずっと昔からあるようなカウンターや棚がある。
「いやいやまじょばちゃんどういうこと?!」
「バイト先だよ〜」
「だよ〜じゃないでしょ! 何なの? なんでこんなのがいきなりうちに」
「だっておばちゃん魔女だもん」
魔女おばちゃん、魔女だった。
「いや魔女って何。おばちゃん日本人でしょ」
「日本人でも魔女なれるもん!」
「もん、じゃないから。いや、魔女だとしても壁にドア付けるとかどういうこと」
「迷宮の空間の一部をこっちと繋げたの。通勤0分で通いやすいでしょ」
「いや通いやすいけども……」
もしかして、その分でいくと迷宮も本物なのでは。
いやだから迷宮って何。
「……命の危険とかあるならやりたくない」
「可愛い姪っ子にそんなことさせるわけないでしょー。ユイミーちゃんはこの部屋から出られないし、この部屋で誰かに危害を加えたり破壊しようとしたりするやつは追い出されるようになってるから」
「魔法で?」
「魔法で。あと、はいこれ」
魔女おばちゃんが差し出したのは輪っかだった。幅5ミリくらいの細いもので、金属のような触り心地だけれど、見た目は細かい模様の七宝焼みたいな感じに見える。
「何これ」
「んー、お守りみたいなものかな。これがあれば誰かに攻撃されることもないよー」
「なんかすごい」
「あと身に付けると、迷宮の文字や言葉がわかるようになるよ!」
「すごい。ていうか言葉違うんだ」
「他にもケガしなくなったり病気にかかりにくくなったりするよ!」
「それもすごい。逆にヤバそう」
「ヤバくないから! ちょっと色々異世界のアレをアレしただけだから!」
魔女おばちゃんが慌てるところを見るあたり若干ヤバそうだけれど、姪っ子に危ないものを渡したりはしないと信じたい。
「ここでバイトする期間は常にそれを身に付けててほしいから、手首にでもはめといてくれる?」
言われて、左手の手首にはめてみる。ちょっと緩かったそれは、手首に入れるとちょうどいいサイズになった。
「縮んだ!」
「長さ調節できるから、邪魔なときはぐーって肘のほうにやっちゃって。取り外しはちょっと技いりだから、外したいときは言って」
細いブレスレットを肘の方まで移動させてみると、腕に合わせて輪っかが大きくなってキツくならない。反対に外そうとしてみると、磁石で引っ張られているかのように手から離れなかった。
呪いの装備だった。
「ちなみにこれ付けて迷宮入ると自動で勤務時間記録してくれるから」
呪いのタイムカードだった。
「あとこれ、一応制服ね」
「真っ黒なんだけど」
「魔女の店だから、魔女っぽくしないと。さー準備万端! あとは向こうの人に訊いて! いってらっしゃーい!」
黒いフードのついたマントみたいなのを羽織らされ、魔女おばちゃんが私の背中をドーンと扉の方へと押した。その勢いに押されてよろめき、私の足がワンルームのフローリングとは違った本物の木床を踏む。
バタンと扉が閉まった。
「いや……私、魔女じゃないんですけど!? まじょばちゃん?!」
慌てて扉を開けると、そこには魔女おばちゃんの姿はどこにもなかった。ひらりとメモが床に落ちる。
『頑張って稼いでね またメールします 魔女おば』
「いやメールしますじゃないでしょ!!」
叫んでも魔女おばちゃんはいない。
私は溜息をひとつ吐いてから、お土産のマカダミアナッツを掴み、もう一度扉の向こうに戻ることにした。




