はじめての困難7
「胃が痛い……」
朝一番に見た魔女おばちゃんのメールによると、このお店で主に使うのは金貨、銀貨、小銀貨。
金貨1枚は銀貨100枚と同じ価値で、銀貨1枚は小銀貨50枚と同じ。つまり小銀貨は5000枚で金貨1枚。
そして、小銀貨は日本円にすると大体1000円。
2日目から毎日来ていた魔王は、昨日までで4回買い物をした。1回につき上級南国果実Bを4つ、つまり金貨2枚だったから、合わせて金貨8枚ある。
金貨8枚は、日本円で考えると、恐ろしいことに4000万円相当になる。
本来は小銀貨4枚分、つまり4千円を引いても、考えるだけで目眩がするほどのお金が私の取り分として残ってしまうのだった。
毎日いっせんまんえんも取り立てていたとか、おそろしい。
ついでに何も言わずにそれを払っていた魔王の財力も恐ろしい。迷宮怖い。
私は震える手で魔女おばちゃんに電話をした。
『えー、貰ったんだったら別に貰っておけばいいんじゃないー?』
「もらえないよこんなお金!! どうすればいいの?!」
『どうするも何も、お客が納得して取引したならそれで成立しちゃってるんだから気にしなくてもいいよ〜。学費もまだ残ってるし社会人になったときも貯金あると安心だと思うよ。迷宮は税金ないけど、日本の口座に入れると調査が来そうだけど』
いっそ税金でいくらか持っていってほしいレベルである。迷宮に税務署を建てたい。
知らないままでこれほど大きな間違いをしていたという重圧で胃がキリキリする。いち大学生に分譲マンションすら買えそうな大金とか、分不相応過ぎて怖い。人生が変な方向に捻じ曲がってしまいそうだ。
「普段お金欲しいとは言ってるけどさ、さすがにこんなに貰うなんて無理。なんか不正に手に入れたみたいでやだよまじょばちゃん」
『うーん、じゃあお客さんに返金してもいいか相談してみて。返金返品は基本ダメなんだけど、とりあえず特例としてね』
「ありがとう……」
キリキリ痛む胃を抱えつつ、私はいつもよりも2時間も早く迷宮へと入った。私がいない間に魔王やポヌポヌ犬が来て、留守だからと帰ってしまわないかという恐怖でいてもたってもいられなかったのだ。
バイトで嫌な記憶という連鎖反応が脳で起きたのか、前のバイトを辞めるときのことも頭に浮かんできてますます気分が落ち込む。
何かを察知しているらしく、私が来てから15分ほどで白いもの集団たちがお店にやってきた。重圧に胃をキリキリさせている私の様子を窺うように、そろそろ、いやてぴてぴと近付いてきて私のスリッパに小さな手を載せ取り囲んでいる。
「ものすごい失敗した辛さで押し潰されそう……」
「テピ……」
しゃがんで溜息を吐くと、オロオロと顔を見合わせた白いものたちが、あれこれと動き始めた。アワアワしながらテピテピ動き回るもの、私の足の甲に登ろうと頑張るもの、テーピテーピと私に一生懸命語りかけているもの、しがみついてプルプルするもの。
言いたいことはわからないけれど、私のことを心配してくれているようだ。そっと手を近付けると、短い手でしがみついてよじ登ってくる。
「……テピちゃんたち、ありがとう。ひとりきりでいるより辛くないかも」
「テピ!」
「テピちゃんたちがいてくれてよかった」
「テーピッ」
「ていうかテピちゃんって呼んでいいの?」
「テピー!!」
手に乗っていない集団も、片手を挙げながら声を合わせた。異論はないようだ。
「テピちゃん」
「テピー!」
「テピちゃーん」
「テピー!!」
「……テピー!」
「テピー!!!」
私が片手を挙げながらテピコールをすると、元気よく返事が返ってくる。それを20回くらい繰り返していると、ちょっと気持ちが持ち直してきた。手の上にいるテピちゃんたちを指で撫でると、指もない小さい手がきゅむと指に抱き付いてきた。
「かわいいなあ」
「テピ!」
手に乗っている組を下ろし、床にいる集団もさわさわと撫でてから、よし、と気合をいれて立ち上がった。
しゃがみ過ぎていたせいで若干立ちくらみが起きそうになった。壁に手をついてちょっとじっとする。
「落ち込んでても意味ないしね。とりあえず。魔王さんに謝ろう。外にいるかな?」
「テピー」
あれこれとテピちゃんたちがジェスチャーしているけれど、全然わからなかった。
「とりあえずその辺にいないかちょっと見てこようか」
「テーピー!!」
「テピちゃんたちはここにいてもいいよ」
わいわい、いやテピテピしている集団を踏まないように気を付けながら、お店のドアを開ける。隙間から誰かいないか覗いてみて、見える範囲に誰もいなかったので一歩出て様子を見てみようと踏み出した瞬間。
ぼよーん、と見えない何かに激しく弾かれてしまった。




