はじめての困難2
「ありがとうございましたー」
3日連続で来ているポヌポヌ犬よりも多く来ているのが魔王である。
バイト2日目から毎日来てる。どうやら常連さんらしかった。
冷蔵庫に保管されている商品は、夜バイトを終えて私が帰ったあと、朝バイトに来る前までに補充されている。なので魔王は毎日「上級南国果実B」を4つ買っていくのだ。ちなみにポヌポヌ犬は何も買わないし他に客はきていないので、減って補充されているのは果実Bだけである。
上級南国果実B、好きなんだろうか。美味しいのかな。
こうも毎日買っていく姿を見ていると、それほどまでに美味しいのかと気になってきた。あと毎日くだものを買って帰る姿に段々魔王が怖くなくなってきた。
お得意さんなのでビニール袋でもサービスすべきかと思っていると、コンコン、とノックする音が聞こえた。てぴてぴと出てきかけていた白いもの集団が、またワッと散っていく。
「はーい」
返事をして、ドアを開けるために立ち上がる前に、先にドアが開いた。そこからひょいと誰かが覗き込んだ。
その瞬間、キラキラと効果音が鳴り、周囲がスローモーションになったような錯覚に陥る。
「こんにちはー」
紺色のローブに、肩にかかる金髪。鮮やかに青く澄んだ目は訝しげに店内を見回しているけれど、キラキラ音が鳴っている幻聴が聞こえるほどに美しい顔をしている。
男性だ。当然手は二本。片方には杖が握られている。
その姿を見て、私は思わず叫んだ。
「人間がいる!!!」
入ってきたその男性は、ドアノブを握り、ちゃんとドアを自分で閉めた。こちらに向かってくるために動いている足も二本で、ちゃんと足音がして、しかも普通に床を歩く音だ。
近付いてみると背が高い。西洋系の顔立ちで、映画に出ていてもおかしくないほど整っている。
なんだろう。今まで生きてきた中で最も見慣れた生物であるというのに、迷宮で見ると異様な存在に思えてしまった。
「人間がいるって……そりゃいるでしょ」
「あ、そうですよね、すみません」
「まあ俺は人間じゃないけどね」
「え?!」
迷宮にもちゃんと普通の人がいるんだ、と思った瞬間に否定された。
驚愕のあまり固まってると、男性はアハハと笑う。
「まあ人間っぽい格好してるしねー」
「……人間じゃないなら、何なんですか?」
「ヴァンパイアだよ」
「えっ?!」
サラッと架空のはずの種族を名乗った男性は、ほらほらと口を開いてみせる。薄い唇の間から覗く並びのいい歯に、鋭く尖った犬歯があった。
「うわ、ほんとだ。え、これ牙なんですか? 本物?」
「本物……ちょ、近いから」
「あ、すいません」
あまりにも衝撃的過ぎて、カウンター越しに身を乗り出してしげしげと口の中を覗き込んでしまった。他の歯も歯茎も舌も普通の人間と全く変わらないのに、その牙だけはオオカミから取ってきたように長い。
ヴァンパイアの男性が一歩引いてしまったので、私も謝って姿勢を戻した。
「失礼しました。いらっしゃいませ」
「はいこんにちは」
「本日は何をお買い求めですか?」
メモを栞代わりに挟んだマニュアルを開いて見せると、ヴァンパイアの男性がうんうんと頷く。
「何も説明できてなかったけど結構ちゃんとやれてるみたいだねー。つい初日に挨拶に来るの忘れてたんだけど、しっかりした子が入ってきてくれてよかった」
やー遅くなってごめんごめん、と美形が笑う。
初日に挨拶?
キラキラ音がしそうなその笑顔をしばらく眺めたあと、私はハッと気が付いた。
「え、もしかして、バイトの様子を見に来てくれる人ってあなたなんですか?!」
「そうそう。やーつい奥の方で手間取っちゃってね〜。もう行かなくてもいいかなと思ったんだけど、買い物ついでに寄ってみた」
私はばっと振り返る。
「あの……あの白いものたちがそうなのかと思ってました」
「白いもの?」
あの辺の、と指差すと、ヴァンパイアの男性がすっとカウンターに手を付いて覗き込んでくる。
「バケツに入ってるやつ? あれ何?」
「いや、私が知りたいんですけど」
「えー、何だろうなあ、無害そうだけど。迷宮の隅の方でコソコソ暮らしている弱いやつかな」
美形が首を傾げながらそう言った。
名前、知らないらしい。
私はよくわからない生き物を「仕事の様子見に来てくれた人」だと思い込んでいた事実に改めてショックを受けた。
「だって、そうなんですかって訊いたら元気よく返事したから……」
「え?! アレが仕事教えてくれると思ってたの?! 君面白いねー!!」
明るい笑い声が部屋の中に響き渡る。ヴァンパイアを爆笑させてしまった。
迷宮といえど、さすがにバイトの様子見にはちゃんと意思疎通ができる人が用意されていたのだ。というか、そういえば白いもの集団は何も手助けしてくれ……ようとはしていたけど出来ていなかったし、客が来たときは今と同じように逃げてプルプルしていた。
自分の勘違いに恥ずかしいやら困惑するやらで落ち込んでいると、ヒーヒー笑っていた男性が涙を拭いながら慰めてきた。
「まあ、人間ばっかりのとこで暮らしてたんでしょ? しょうがないしょうがない」
ドンマイと言わんばかりの軽い対応に、元はと言えばあなたが来なかったからではとちょっと恨めしく思ってしまった。じっと見ていると伝わったらしく、これまた軽く謝られる。
「ごめんって。その代わりお肉あげるから許して」
ヴァンパイアさんは手をマントの中に入れて、それから取り出したものをドン、とカウンターに置く。それは大きな葉っぱで包んだ枕くらいのサイズの塊で、ヴァンパイアさんが細い茎の結び目を解いて開けるとほどよくサシの入った塊肉が出てくる。
「え……肉……?」
「牛だよ。人間もよく食べてるでしょ」
「牛……?」
「足りない? 他の部位も欲しいならいくらかあるよ」
顔を出すのが遅れた理由の一つに、この塊になる前の牛が襲ってきたからというのがあるらしい。
迷宮、牛うろついているのか。
扉から見えた光景を思い出してみる。狭い通路にヌッと出てくるジャージー牛。逃げようと振り返ったところで死神。どっちも怖い。
「ちゃんと刃物も消毒して捌いてるから、お腹壊したりはしないよ。切り分けたの今朝だし」
じっと肉塊を見ていると、そう補足された。ヴァンパイアさん、綺麗な顔して牛捌いてきたらしい。
やっぱり迷宮は得体が知れないところのようだ。




