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キンッキンッと金属が弾かれる音が反響する。
無煙火薬が燃焼した香りと白煙は、空調の止まった室内に留まり、煙草の紫煙と相成って室内の視界を悪くさせている。
春も麗らかな四月の夜。夜半はまだまだ寒々しくある朝鮮半島の平壌府郊外の事務所の一室も、矢張肌寒さがあった。
週も中程の水曜日。時間は夜の十時過ぎ。まだまだ眠りに付かない頃合いの繁華街を窓ガラス一枚隔てただけの事務所の中は、硝煙と血の臭いで蒸せ返るようだ。たった一枚のガラスごしの繁華街が、今は別世界の様に遠くに感じられることだろう。
それは唐突な出来事だった。
昨日香港を経由してマニラから仕入れたヘロインを、部下を集めて小袋に仕訳している最中のことだ。前触れもなくドアが乱暴な音と共に開き、スーツ姿の男女が短機関銃を構えて雪崩れ込んできた。人数は決して多くない。部屋に居た組織の構成員の半分以下の人数だったが、彼らは部屋に入ると共に、減音器が取り付けられた短機関銃を容赦なく撃った。無駄の無い挙動と迷いの無い銃口を前に、抵抗するまもなく、自分以外の部下全員が骸と化した。椅子から立ち上がることもできず、気付けば眼前には硝煙立ち上る銃口。
椅子に座らされたまま、彼の目の前の机に足を組んで腰掛け、机に置いてあったジッポライターを開閉しながら、ニヤついた口で女は言う。
「大切なのはバランス。需要と供給のバランスは常に一定でなくちゃ。どちらかに傾くのは良くないでしょーに」
ブロンドにブリーチされた派手な頭髪とはアンバランスな黒いシックなパンツタイプのレディーススーツを着こなし、開いた胸元に翼を象ったトライバルタトゥーを覗かせ、MP5短機関銃を一点スリングで首から吊るす女は、語りかけるように独りごちた。
「政治も経済も軍事も、適度なバランスが大切なわけ。お分かりいただけます?Understand?」
女は既に何本目か分からない煙草に火を点けると、椅子に座らされて動くことを許さない彼の口に、フィルターを差し込む。足元には、フィルターの付け根まで灰になったマルボロのシガレットが、一箱分は転がっている。
吸いたくは無いが、女は煙草に火を点ける度に一つ質問する。既に二十以上の質問に答えたが、女の気は済まないようだが、彼女が煙草に火を点ける行為は、つまり自分がまだ消される心配性が無いことを意味する。四人の訪問者の内、女を除いた三人の男達は、無言でそこに居るだけ。既に、奪っていくものは見繕って、持ち出した後なのだ。今はきっと、女を待っているのだろう。
「今日ここに来たのは、あなた達の頭目へのご挨拶の次いでに、ちょっとした小金稼ぎに来たのよ。あなた達、ちょっとお薬ばら蒔きすぎなのよねー。最近平気でキメてる人が多くって、本土の治安が悪いのよ。あんまり、私の祖国に迷惑かけないで欲しいわけ。いい加減にしないと、あなた達の組織潰すぞ?────まあ、こんなこと今からメッセンジャーになるあんたに言ってもシャーナイ訳だけどねー。じゃ、お休み」
左手で弄んでいた、十八金の龍の彫り物がされたジッポライターの蓋を音を立てて弾いて閉じると、女は無造作に短機関銃の銃口を男の左胸────心臓のある上に押し付けて、連発で発砲した。
「ああ、言い忘れたけど、この悪趣味なジッポは貰うわ。どうもねー」
国内のワイドショーは、平壌府で昨日発見された集団銃殺事件を大々的に報じていた。
夜間に起きたと思われるその事件は、犯罪組織の抗争によるものという路線で捜査が進んでいる。
襲撃されたのは、東南アジアを拠点に麻薬の密輸を生業とする大規模な密輸組織の、極東アジア部門の組織の拠点だった。インドやパキスタンやらで生産されたケシから抽出、生成されたヘロインを幾つかの港を経由して日本に持ち込み、流通させるその組織は、国際的な犯罪グループで、規模にすればメキシコやボリビアやブラジルの麻薬カルテルに匹敵する。
今回の事件は、その組織内の内部勢力争いが原因の一端と黙されているが、全貌は今のところ不明だ。アジアに幅広い拠点を持つこのグループの拠点が攻撃されるのは、これで何件目のことか。
様々な憶測飛び交う世論を嘲笑うこのように、女は薄気味悪い笑みを口元に浮かべる。
ああ、また世界のバランスが乱れるな。
国内に流入する違法薬物の多くは、この組織が非合法に裏市場に流したものであり、昨今その流入量は増加の一途をたどっている。公安は取り締まりを厳しくしたが、あの手この手で公安の取り締まりを掻い潜り市場は衰える兆しは見えない。ついには大日本帝国最大の諜報機関である特務情報局が、根本に楔を打ち込まんと動き出したのが数ヶ月前。アジア各地に潜む組織の拠点を、大小構わず壊滅させ、組織に警告を発した。
──あまり調子に乗るな。お前らなど簡単に潰せるのだぞ。
デモンストレーションの意味を含んだ、間接及び直接的な攻撃の最終段階が、平壌府の事件だ。
公安を含む各国政府や警察組織は、この組織の壊滅を切に望んでいるのだろうが、SISはこれを本意とはしていない。寧ろ、SISは組織を上手く利用すべく暗躍しているのだ。更に言えば、彼らが消えることによるアジアの犯罪組織の無秩序化すら危惧している。
躾のための鞭。飼い犬を調教するための、細やかな罰がこの襲撃だ。
昼の大衆食堂の角席。テレビの前を占領して既に二十分。目の前のトレーに乗った食器は既に綺麗に完食済みで、しかし女は動こうとはしていない。彼女以外の三人の仲間が、まだ食事中なのだ。
黒髪が見え始めたブロンドのウルフカットと、ピアスが目立つ両の耳。何より怪しげで嫌らしい笑み。黒色主体で構成された破けたような穴だらけたデザインのTシャツとパンツで構成されたパンクファッション、見かけは全く水商売の女のようであるが、三角桜はれっきとした軍人だ。
厳格な陸軍の軍人からしたら考えられないような、品位も厳格さもない身なりの彼女を、しかし仲間たちは咎めはしない。というよりも、ここにいる同業の仲間三人も、誰しもすべからく軍人としての服務規則から逸脱したような者達なのだ。
「どうして彼らはコカインじゃなくてヘロインを扱ったんでしょう。日本で捌くならコカインの方が高値で売れるのに」
隣でテレビを見ながら大盛のかつ丼をゆっくりと食べる小林3曹が、不思議そうに言う。部隊に来て、まだ一年勤務していない若手の隊員だ。短く整えられたショートモヒカンと、部隊でも背丈の高いスラットした男だ。海兵連隊で勤務していた経歴を持ち、三角と同い年の隊員だが、なかなか謙虚な男なのだ。
小林の正面で黙々とヒレカツ定食を口に運ぶ西谷3曹も不思議そうに首をかしげた。
「コカインを扱おうとしたら、輸送料が高く付くからねー。コカインは南アフリカが産地で、空輸だと絶対に足が着くから海輸するの。けど、貨物船に積んでマゼラン並の航海するくらいなら、値落ちするけどアジアで軽易に手に入るケシを独占して捌いた方がずっと安上がりでしょ」
耳のピアスを触りながら三角が言うと、話に興味を示していなかった様子の優がぶっきらぼうに付け加える。
「日本に出回っているコカインの大半はロシアから仕入れてるけどな」
「けど、ロシアからの仕入値もバカにならないからねー。コカを一キロ買うより拳銃の方が安いんじゃないの?」
「俺は売人じゃないから分からない」
「昔はやってたじゃん」
「そんな事してたんすか!?」
「やってない」
ぶっきらぼうで無愛想な表情で、優は唐揚げ定食を頬張りながら否定するが、実際やっていないと言い切れるかと言えば、過去の経歴を考慮すると、本人でも難しいだろう。直接にせよ間接にせよ、携わったことはありそうなのだから。
昼食の唐揚げ定食を綺麗に完食した優は、誰よりも食べ終えるのが遅かった。三角は食が細いうえに食べるのが早く暇を持て余していたし、西谷は頭を垂れて寝息をたてている。食べるのが遅い小林にまで、待たせてしばらく経っていた。
店を後にしてしばし、『CLOSE』の看板が下がったダーツバーに裏口から入った四人を待ち構えるように、ホールには同業者が思い思いの体勢で待っていた。私服だったり、スーツだったり。服飾は様々だが、一様にして、各人の傍らのテーブルにはノンアルコールの飲料と拳銃が置かれている。
「お待たせしました」
小林が代表していう。三人は待たせた意識はあっても、それに対して謝罪するつもりはなかった。
「出遅れた?聞き逃しとかある?」
「いや、これから話すところだ」
優は空いていたカウンターに腰かけて、腰のパンツインホルスターにしまっていた小型の拳銃を置く。SISが待避所として経営するダーツバーのマスターが、無言で緑茶を二つ差し出す。隣には小林がカウンターに寄りかかっていた。
仮にもSISが営む店の人間だ。マスターもSISの秘密情報取り扱い資格を有する工作員である。
士官下士官入り乱れた店内だが、話を切り出したのは先任者の楠木少佐ではなく、剱持大尉だった。
「SISは我々の仕事にご満悦のようです。一部とは言え、アジア各地の大小のルートを潰されて、奴等は参っているでしょう。三角達のメッセージも、正しく伝わったことでしょう」
離れた四人掛けのテーブル席に座っていた一之瀬の隣に居る三角が、得意気にニンマリと笑みを浮かべる。
三角桜との出会いは古い。3等軍曹だった優が、旧第1空挺師団の自由降下課程を受けていた当時の同期だった。当時既に2等軍曹だった三角と、まだ偵察大隊で勤務していたレンジャー同期の英次の三人で意気投合し、その関係は今尚続いている。彼女は教育が終わると直ぐに参謀本部へと転属したが、不真面目な彼女に事務作業は合わなかったようで、現在の職に移動した。彼女が参謀本部で勤務していた当時、プライベートで会った時に仕事の愚痴を延々と聞かされたのが、今では懐かしく感じる。陸軍幼年学校を出ながら、士官への道を自ら切り捨て、下士官を楽しむことなかれ主義の彼女だか、仕事はそれなりにしっかりとこなす。
「三角さんって見かけによらずやることはやりますよね」
「デスクワークは絶望的に出来ないですし、時々抜けてますけどね」
と言うのは小林の後輩で戦闘工兵だった西谷3曹だ。眠そうにしながら、林檎ジュースを飲む彼は、優と転属同期にあたる。
「しかし、念には念を入れたいと思います。日本で活動するグループのトップと会談して、紳士的な説得を試みたいと思います」
各人の仕事用に使用しているスマートフォンに、剱持大尉から画像データが送られてくる。
「標的は『Mr.ドラッグ』、朝鮮人男性の金泰愚。和名では木村泰雄。九十年代から東アジアで薬物を捌きまくって荒稼ぎし、過去に二回の警察が検挙しそこない、その都度銃撃戦になって民間人の死傷者が出ています。現在の組織に吸収される以前から組織的に手広く薬を扱っていたようです。大麻、コカイン、ヘロイン、覚醒剤。薬だけでなく、武器の密輸や密入国の手引き、人身売買まで種類を問わず金になるなら何でも売る極悪人です。常に武装したボディーガードが張り付いていて近づくのは困難です。まずはこのMr.ドラッグの身辺を徹底的に当たって居場所を突き止めましょう」
写真に移る男の顔を記憶しておき、続いて送られてきたデータを開く。剱持大尉がグループ毎に仕事を割り振る。優達は最後になって仕事をふられた。
「一之瀬の組みは三角と篠崎の組を使ってMr.ドラッグの娘を連れてきてください。彼への説得材料にしますので、出来るだけ無傷でお願いします。娘の名前は木村穂波。京城府の私立高校の通っており、娘は父親がまさか札付きの悪人とは知らないようで、Mr.ドラッグも妻子の前では良き父良き夫で居るようですから、我々に似ていますね」
剱持大尉の皮肉には、その場の既婚者が皆笑った。一之瀬も妻子持ちである。微妙な表情で曖昧に苦笑するが、彼からしたら笑えない冗談だ。
「娘にも当然ボディーガードが陰ながら着いているでしょう。やり方は任せます。多少強引でも構いませんから、くれぐれも傷物にしないように、大切に運んできてください」
一之瀬が問う。
「学校名と娘の写真は?」
「特定したのは京城府内の私立高校と言う情報のみで、写真も入手できていませんから、そちらで対応してください」
「了解です」
一之瀬が優に視線を寄越して、肩を竦める。優もため息をついて仕方ないと目を伏せた。




