第13章 人気配信者だった女の、惨めな生配信
夏帆は配信の開始ボタンを押すと、カメラに笑いかけた。
「今日は特別に、単独攻略です。いつもより近くで戦闘を見せるから、楽しみにしててね」
コメントの反応は鈍かった。
以前なら挨拶をするだけでコメント欄が埋まっていた。ところが今日は、見覚えのある名前がいくつか並ぶ程度で、そのあとも柚葉はどうしたのかと聞かれるばかりだった。
夏帆はその質問を読み飛ばした。
柚葉は借り物の剣が使いにくいと不機嫌だった。誘っても来ないし、来たところでいい映像が撮れるとは思えない。
迷宮の入口には注意書きがあった。
この先はグラスマンティスが出るため、初心者は左の通路を使うよう書かれている。左の通路に入った若い冒険者が、夏帆を振り返った。
「一人で右に行くんですか」
「大丈夫。何度も倒してるから」
嘘ではなかった。
透明なグラスマンティスを見つけるのは、いつも夏帆の仕事だった。律が前に出て敵の動きを止め、柚葉が気を引いている間に、後ろから狙い撃てばよかった。
夏帆はそれ以上考えなかった。
今日は一人だ。誰かの後ろで撃っていては、自分の力を見せられない。
昨日の慶介の言葉が、まだ耳に残っている。
最近の君の配信、笠松君が出ているところしか話題にならないね。
慶介は笑いながらそう言ったが、そのあと夏帆が食事に誘っても断った。夏帆と話している間も、別の女性に返信していた。
「あとでね」と言ったきり、もう夏帆を見ようともしなかった。
夏帆は肩に着けたカメラの角度を直した。
ここで勝てば、今夜は慶介から電話が来るはずだ。
通路の先は、壁のない空洞になっていた。
夏帆がホークアイで向こうの岩場を探ると、石の模様が不自然に歪んでいるところがあった。透明な外皮の内側で、細い脚が動いている。
「いた。画面だと見えにくいかな。正面の尖った岩の横」
夏帆は射撃具を構えた。
近づかれる前に脚を撃ち、倒れたところに続けて撃ち込めばいい。律がいなくても同じだ。
スナイプショットの光が通路を走った。
グラスマンティスが脚を引いてかわしたため、弾は背後の岩に当たった。夏帆はすぐに狙い直したが、相手はもう岩場を抜けている。
「速いな。でも、見えてるよ」
照準の先に、鎌のような前脚が迫った。
夏帆は射撃具を抱えて横に跳んだ。すぐ横で岩が削れ、頬に破片が当たる。
敵の位置は分かっていた。
それでも、狙いを定める時間がなかった。
夏帆が射撃具を構え直そうとすると、前脚がそれを叩いた。
夏帆は射撃具を落とさないよう吊り帯をつかみ、岩柱の裏に逃げ込んだ。息をつく暇もなく、グラスマンティスが追ってくる。
「ちょっと、待ってよ……!」
その声はマイクにも拾われた。
画面に「引け」というコメントが流れた。ほかの視聴者も、一人で近づかれたら無理だと書き込んでいる。
「分かってる。距離を取ってるだけだから」
夏帆は岩柱を回り込んで、背後に銃口を向けた。
グラスマンティスが岩の側面を伝って上から迫った。夏帆は身を反らしてかわしたが、撃った弾は天井に消えた。
何発使ったか数える余裕もない。
グラスマンティスは無傷だ。夏帆だけが疲れ、照準も定まらなくなっていた。
配信の視聴者数が増え始めた。
それを見て、夏帆は歯を食いしばった。ここから倒せば、今の苦戦だって見せ場になる。今引き返せば、逃げ回った姿しか残らない。
慶介は逃げた自分を見て、何と言うだろう。
夏帆は通路の奥に向かって走った。
岩柱の間を抜ければ、敵を狭いところに誘い込める。体がつかえたところを撃てばいい。
だが、曲がり角の向こうで別の足音がした。
アーマードッグが通路に入ってきた。灰色の外皮が照明を反射し、頭を低くしてこちらを見ている。
前にも敵がいる。
夏帆は足を止め、咄嗟に銃口を向けた。スナイプショットが頭に命中し、アーマードッグは横倒しになった。
倒せた。
ほっとした瞬間、背後からグラスマンティスの前脚が振り下ろされた。
肩の防具が裂ける。
夏帆は悲鳴を上げて来た道を引き返した。もうカメラに話しかける余裕もない。
それでもグラスマンティスは追ってくる。
何度曲がっても、相手を振り切れない。空洞を抜けて細い通路に戻ると、人影が見えた。
入口で声をかけてきた新人たちだった。
仲間と左の通路を通り、合流地点まで来たらしい。夏帆の姿を見ると、男の一人が手を上げた。
「こっちです! 先の警戒に――」
狭い通路の入口には男が立っている。そこを抜けなければ、背後から鎌で斬られてしまう。
「どいて!」
夏帆は空いた手で男の胸を突き飛ばした。
男は壁に背中をぶつけて膝を折った。落とした短剣を拾おうとしたところに、グラスマンティスの前脚が迫る。
金属同士がぶつかる音が響いた。
振り返ると、男の前に律が立っていた。
律が剣で前脚を押し上げていた。
男の仲間は律の脇から手を伸ばし、倒れた男を引き寄せた。
「頼まれてた先の通路は空いてる。そっちに連れていけ!」
律に言われ、二人は夏帆の横を通って退いた。
律はグラスマンティスに向き直り、敵が前脚を広げた瞬間に踏み込んだ。剣で頭と胴の境目を斬る。
頭が床に落ちた。
透明な胴体はしばらく立ったままだったが、やがて壁にもたれて動かなくなった。
夏帆は射撃具を下げた。
さっきまで自分を追い回していた相手が、もう死んでいる。
「律……。来てたんだ」
律は答えず、新人のところに歩いていった。
押された男は壁に手をつき、息を整えようとしていた。律が胸の防具を確かめるために触れると、男は痛がった。
「脚は?」
「動きます。ありがとうございます。連れが呼びに行ってくれなかったら……」
夏帆は男の仲間に目を向けた。
相手は夏帆を睨みつけていた。
「先にいる警戒役の人を呼んできたんだ。助けを呼んでやったのに、なんでこいつを突き飛ばすんだよ」
「だって、あそこ、通れなかったから」
「横に退こうとしてた!」
夏帆は律を見た。
以前なら、こういう揉め事は律が仲裁していた。危なかったから仕方ないと言って、新人たちをなだめてくれるはずだ。
だが律は、新人の防具を留め直している。
「自分で歩けるなら、出口まで一緒に行こう」
「律、あたしも肩、切れてる」
「そこの布で押さえてろ。先にこいつが歩けるか確かめる」
夏帆は自分の左肩を見た。
防具の縁に沿って浅い傷があり、血も出ている。ただ、腕は動いた。息をするたびに胸を押さえる新人より、よほど軽い怪我だった。
スマートフォンが震えた。
画面にはまだ、配信中と表示されている。
『今、押したよね』
『助けようとしてた人だぞ』
夏帆は画面を隠した。
今さら隠しても遅かった。男を突き飛ばしたときも、肩のカメラは正面を向いていた。
「違うんだって。危なかったから、こっちも必死で」
「夏帆」
名前を呼ばれ、夏帆は顔を上げた。
「話す相手が違うだろ」
夏帆はスマートフォンを持った手を下ろした。
新人の男は仲間に支えられて立っていた。夏帆と目が合うと、何も言わずに顔をそらした。
「……悪かったよ。ちょっと、慌てて」
「今は、近づかないでください」
男は仲間と歩き始めた。
律も後ろについていった。夏帆はグラスマンティスの死骸にカメラを向けかけたが、すぐに配信を切った。
誰も、今日の討伐を褒めなかった。
◇
翌朝、夏帆はベッドの中で配信ページを開いた。
通知が何件も届いていた。昨日は疲れて読むのをやめたが、一晩たてば反応も少しは落ち着くと思っていた。
最初に目に入ったのは、以前から配信を見てくれている視聴者の名前だった。
ずっと応援していたけど、あれは無理です。
夏帆はそれ以上読まず、別の通知を開いた。
そちらも同じだった。以前の好意的な感想は、新しいコメントに押されてずっと下に埋もれていた。
夏帆は登録者数を確かめた。
桁こそ変わっていないが、一晩でずいぶん減っていた。
夏帆は慶介に電話した。
何度も呼び出し音が鳴ってから、慶介が出た。
「昨日のことなら、見たよ」
「じゃあ分かるよね? あたしも必死だったんだ。わざと囮にしたわけじゃ」
「僕に説明しても仕方ない。視聴者がいなくなったら、君の仕事はどうなるんだい」
夏帆は布団を握った。
「また増やす。次はちゃんとやるから」
「そうしてほしいね。視聴者が戻らないなら、チームの配信は別の人に頼む」
「待って。あたしがいらなくなったってこと?」
「必要かどうかは、君が見せてくれればいい」
通話はそこで切れた。
夏帆はベッドから起き上がり、カメラを机に置いた。スマートフォンの画面に映る自分にいつもの笑顔を向けてみたが、口元だけが引きつった。
鏡を見ようと動いたとき、肩に痛みが走った。昨日の新人の顔が浮かんだ。
夏帆は傷を押さえ、カメラの電源を入れた。




