第1章 俺のハーレムは、始まる前に終わったらしい
「律。今日限りで、私たちのパーティーを抜けて」
笠松律は、閉めかけた扉に手をかけたまま固まった。
ギルドの控室には、さっきまで一緒にダンジョンを攻略していた仲間がそろっている。帰り際に話があると律を呼び出した澤渡柚葉は、テーブルの向こうで腕を組んでいた。高く結んだ栗色の髪が、まだ汗で首に張りついている。
律は幼なじみの柚葉に聞き返した。
「抜けるって、今日の打ち上げを?」
「パーティーをよ。聞こえなかった? 私達全員、あなたが嫌いなのよ! 男としても、パーティーメンバーとしてもね。ハッキリ言って、愛想が尽きたわ」
「はあ? 馬鹿言うんじゃねえぞ」
聞こえていた。
ただ、意味が分からなかった。
律は十九歳の冒険者だ。そして、前世で遊んだゲームの主人公でもある。
現代日本に現れたダンジョンを仲間と攻略し、強くなっていくロールプレイングゲーム『アビス・エンゲージ』。攻略対象の女性は、今この部屋にいる四人だ。
一人を恋人に選ぶ個別エンドだけでなく、全員と結ばれるハーレムエンドもある。律は最後までプレイして、自分と同じ名前の主人公が彼女たちに愛される結末を知っていた。
今日倒したボスも、ゲームで倒した覚えがある。
ゲームでは、攻略後に柚葉から呼び出される。二人で戦ってきた日々を振り返り、やがて彼女がいつもと違う表情で告げるのだ。
これからも、私の隣にいてほしい、と。
いや、待て。告白されるはずのところで、追放って何だ?
「理由くらい、聞いてもいいよな」
律が取っ手から手を離すと、柚葉は小さくため息をついた。長身の剣士で、いつも迷わず先頭に立つ。今日の攻略でも、律はその背中を守っていた。
「律は勝手に動きすぎなのよ。私が指示しても、結局は自分の判断を優先するでしょう」
「小春の後ろに敵が出たからだろ。それに俺は、アンリミテッド持ちのマルチタイプだ。色々と動く必要がある」
「話は最後まで聞いて」
律は口を閉じた。
背後に回り込んだアーマードッグを放っておけば、小春は治療を中断するしかなかった。柚葉がボスにブレイクセイバーを叩き込めたのも、その間、律が背後を守っていたからだ。
「私が前に出ろって言っても、律はいつも別の敵に構ってる。そんな人とは、もう組めないわ。器用貧乏な上に、自分勝手。付き合いきれないのよ」
「じゃあ、小春をそのまま襲わせればよかったのか」
窓際にいた八代小春が顔を上げた。
ミルクティー色の髪を丸いボブに切りそろえた、小柄なヒーラーだ。手当てをするときは必ず相手の顔をのぞき込み、律にも何度となく笑いかけてくれた。
今は椅子の背をつかんだまま、動こうとしない。
「私だって、逃げられたよ」
「魔法を使ってる最中だっただろ」
「でも、律くんが急に割り込んでくるほうが怖いの。何も言わずに剣を振るし……私の近くで炎魔法を使おうとしたこともあったよね」
「あれは使わなかっただろ。お前が近づいてきたから」
「そういう戦い方が、危ないって言ってるの」
彼女を巻き込まないために攻撃をやめたのに、それまで今になって責められるとは思わなかった。
その隣で、外山夏帆がスマートフォンを伏せた。髪は短いオレンジブラウンで、日に焼けた頬には薄いそばかすがある。ダンジョンでは射撃を担当し、戻ってくれば攻略配信の話をしていることが多い。
いつもなら真っ先に今日の見せ場を聞いてくる夏帆が、今は退屈そうに椅子を回している。
「あたしは、もっと単純。律って見てて楽しくないんだよね」
「楽しく?」
「そう。柚葉が大技を決めるところで、急に後ろの敵に構うし。こっちが狙ってる相手を先に倒しちゃうしさ。視聴者が見たいもの、考えたことある?」
夏帆は伏せたスマートフォンを指でたたいた。
「敵が飛びかかってきたら、倒すだろ」
「ほら、そういうとこ。配信で食べていくなら、みんなに合わせなきゃ」
「俺に合わせろって言ってるんじゃない。襲われてるときに、撮り直しはできないって話だ」
夏帆の笑みが消えた。
律も、それ以上は言わなかった。
奥の椅子に座る榎田千景が、脚を組み替えた。
青みがかった黒髪を肩まで伸ばし、細い銀縁眼鏡の奥から律を見据えている。四人の中では一番年上で、魔法の組み合わせについて相談するとき、律が頼る相手でもあった。
その千景なら、守りを外したときに何が起こるか、分かっているはずだ。
「千景も同じなのか」
「次の攻略には、律のやり方は必要ない」
「俺が何をしてたかは、知ってるだろ」
千景は眼鏡を直した。
「いろんな系統のスキルを使えるのは便利よ。でも、だからって私たち全員があなたに従う必要はないでしょう」
「従えなんて言ってない」
「結果として、そうなってるの。私が魔法を撃とうとすると待てと言う。柚葉が敵を引きつけても、そっちには下がるなと言う。律はいつも、自分だけが正しいと思ってるんでしょう」
律はすぐには言い返せなかった。
魔法を待たせたのは、射線に柚葉がいたからだ。柚葉が下がろうとした先にも、踏めば床が開く罠があった。
どちらも、その場で理由を伝えている。分かってもらえなかったのなら、もう一度説明すればいい。
けれど、律が口を開く前に千景は顔を背けた。
「新しい装備があれば、今までより速く倒せる。あなたが心配する暇もないわ」
「新しい装備って?」
「あなたに説明する必要はないでしょう」
柚葉が口を挟んだ。
律が柚葉を見ると、彼女の腰にいつもの剣はなかった。代わりに、見覚えのない黒い鞘の剣が下がっている。
「もう、別の支援者がいるのよ。私たちがもっと活躍できるよう、力を貸してくれる人が」
「俺だけ外して?」
「ええ」
即答だった。
小春が椅子の背から手を離し、自分の袖口を引いた。そこからちらりと見えた腕輪にも、律は見覚えがない。
最近、彼女たちは四人だけで出かけることが増えていた。
装備を見に行くと言われれば、その間に律は剣の手入れをした。千景が新しい魔法の使い方を試したいと言えば、翌日の狩り場を考えた。
ゲームでもヒロイン同士で出かける場面はあった。仲がよいなら、それでいいと思っていた。
「それ、いつから決めてた」
「今は関係ないわ」
「あるだろ。俺は今日も、お前たちと次の階層に行くつもりで戦ってたんだぞ」
柚葉が答える前に、夏帆が笑った。
「だから? 感謝してパーティーに残せってこと?」
「夏帆、もういいから」
小春が小声で止めた。
律はちらりと小春を見たが、彼女は困った顔で目を伏せた。
「律くん、あんまり怒らないで。みんなで決めたことだから」
小春は、ただ揉めたくないだけなのだろう。
ゲームで律が好きだったのは、小春が自分をかばってくれる場面だ。
ほかの誰にも言い返せなかった少女が、律のためなら声を上げる。あの場面まではっきり覚えているのに、目の前の小春はかばってくれない。
原作どおりの展開を待っていても、誰も律のために動いてはくれなかった。
律はテーブルの端に添えていた手を引っ込めた。
柚葉は話が終わると思ったのか、少し肩の力を抜いた。
「一つだけ聞く。お前まで、本気で俺を追い出すつもりなのか?」
柚葉とは、冒険者になる前から一緒だった。
まだ剣もまともに振れなかったころ、柚葉は先に帰ると言いながら、結局は待っていてくれた。ゲームのイベントではない。律がこの世界で、柚葉と過ごしてきた日々の記憶だ。
柚葉は迷わなかった。
「そうよ。今の私たちには、律より必要な人がいるの」
律はしばらく、柚葉の顔を見ていた。
冗談だと笑い出す気配はない。小春たちも、柚葉の言葉を否定しなかった。
「……分かった」
律は壁に立てかけていた剣の携行袋を取った。日本刀で言うところの刀袋だ。現代ダンジョンものの世界だから、こういうものも必要になる。
控室で腰を落ち着けるつもりだったが、椅子にも座らずじまいだ。肩に掛けた袋越しに、鞘が背中に当たる。
「それだけ?」
夏帆が声をかけてきた。
「もっと自分が必要だって、言い張るかと思ってた」
「言っておくが。人の話を聞かなかったのは、お前たちだからな」
「次のダンジョンに行くのが怖くなった?」
「好きに思えばいい」
扉に向かう律の背後で、柚葉が何かを言いかけた。
律は振り返らなかった。彼女たちにまた頼られたいとは、もう思わなかった。
廊下に出ると、別のパーティーが階段を上がってきた。買ってきた飲み物を仲間に配りながら、攻略中の失敗を笑い合っている。
律は壁際に寄り、彼らに道を譲った。
受付の前では、次の仕事を待つ冒険者たちが掲示板を見ていた。律も足を止めて、明日入れるダンジョンを確かめる。
湾岸の商業施設に直結した迷宮は、明日も通常どおり開放される。
出てくる敵は知っている。どの通路なら、人を巻き込まずに大きな炎魔法を撃てるかも分かっている。
そこまで考え、律は携行袋を背負い直した。
もう、四人の都合に合わせる必要はない。
ギルドを出ると、夕方の歩道は人で混み合っていた。
律は駅に向かう人の流れから外れ、一人分の夕食を買いに向かった。




