第二十話 出発前夜
コジーロの家の居間。
夕暮れの光が差し込むなか、老剣士は沈思していた。
──語るべきか。語らざるべきか。
クリスの父、モーゼフとの確執について。
あれは、ただの喧嘩などではない。
だが、果たして今それを話すべきだろうか──。
そのとき、階段を降りる足音が聞こえた。
「よう。まだやってんのか、話」
現れたのは、支度を終えたムサシだった。
肩に荷を背負い、旅支度は万全のようだ。
「ムサシ、もう支度は済んだのか?」
問いかけるコジーロの声に、ムサシは軽く頷く。
「おう。いつでもいけるぜ。……だが、まだ話の途中だろ?」
「……ええ、すみませんが、もう少しだけ」
クリスが静かに言葉を継ぐ。
だがコジーロは、ふっと優しい笑みを浮かべて首を横に振った。
「いや、クリス君。私と君の父はな、本当になんてことのない、些細なことで大喧嘩した、ただそれだけの話じゃよ。
デイビッドを失い、お互い神経質になっておったのじゃ。
意地を張ってしまってな……今に至る。すまんのぉ」
その言葉の奥にある、わずかな違和感。
コジーロの語り口には、どこか曖昧さがあった。
(……本当は、何かを隠している)
だが、今はそれを問うべき時ではない──。
クリスは、コジーロの優しさと誠意を汲み取り、静かに頭を下げた。
「そうだったのですね……わかりました」
「まあ、男ってそういうとこあるわよね」
隣で聞いていたアリシアは、妙に納得したような顔をしていた。
「わしから話せることは、以上じゃ。お二人からは、何かあるかの?」
「僕は、ありません。……アリシア様は?」
「私もないわ!ありがとうございました、コジーロ様!」
アリシアの明るい声に、コジーロはわずかに目を細めた。
いよいよ、別れの時が近づいている。
「では、ムサシのことをよろ──」
その言葉を遮るように、アリシアが手を挙げる。
「だけどせっかくだから、出発は朝がいいわ!コジーロ様、ご迷惑でなければ、もう一晩泊めていただけないかしら?」
「──ぬぅ!?」
思わずずっこけそうになるコジーロ。だが、次の瞬間には嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……あぁ、わしはかまわんよ。ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます!」
アリシアはぱあっと笑顔を咲かせた。
「じゃあ、せっかくだから、夜になるまで少しだけ村を観光しに行こうかな!クリス、あなたも行かない?」
その無邪気な提案に、クリスは心からの敬意を込めて微笑んだ。
「是非。お供させてください、アリシア様」
二人が玄関へと向かう背中を、ムサシがぼやく。
「ったく、自由な勇者様だぜ……」
「大変な人の仲間になってしまったようじゃな、ムサシ。ほっほっほ」
コジーロの笑い声が、やわらかく響いた。
(本当に、そっくりじゃ。デイビッドよ……)
*
アリシアとクリスは、村の人々とふれ合いながら夕方を過ごした。
農作業を手伝い、
甘味処では名物のみたらし団子を頬張り、
夜には広場で子どもたちと一緒に手持ち花火を楽しんだ。
戻ってきたときには、村長宅のちゃぶ台に、ナゴミの渾身の手料理が並んでいた。
心に染み渡るご馳走を囲みながら、コジーロの酔いどれのろけ話に笑い、
照れくさそうにするナゴミの横顔にほっこりし、
ムサシとリョーマの兄弟げんか(という名のじゃれあい)に微笑んだ。
あっという間に、夜が更けていった。
今夜もアリシアとクリスは、ムサシの部屋を借りることになった。
「本当に、素敵な村ね……」
布団に入りながら、アリシアがぽつりとつぶやく。
「ええ。村民の皆様とひとときを過ごして……コジーロ様の理念が、確かにここに息づいていると感じました」
「……ナゴミさんのお料理も最高だったなぁ……また……食べ……」
アリシアは、幸せそうな寝息を立てはじめた。
「……おやすみなさい、アリシア様」
クリスはその寝顔にやさしく布団をかけ直し、微笑んだ。
*
「……寝た?」
リョーマが小声でつぶやく。
「……あぁ? 起きてるよ。どうした?」
ムサシの声は、いつもより少しやわらかい。
「……いや、別に。なんでもないけどさ」
兄との最後の夜。
伝えたい言葉はたくさんある。
けれど、それを素直に言うことは……まだ難しかった。
ムサシは、その想いを察しながら、あえてふざける。
「……なんだそりゃ。ガキはさっさと寝ろよ」
「だから、ガキ扱いすんなって!」
リョーマが拗ねるように返すと、ムサシは少し笑って言った。
「……おい、リョーマ」
「ん?」
「……親父とお袋、大事にしてくれよ」
「……わかってるよ」
「……そうか」
沈黙が訪れた後、リョーマが小さく呼びかける。
「……兄貴」
「……もう寝るぞ」
「………ありがとな」
「…………おう」
二人は同じ天井を見つめながら、静かにまぶたを閉じた




