魔人兄妹は脱力する
教会に戻った兄妹は、ミラから風呂場に通された。子供たちとシスターメリルは既に床に就いたらしい。
「……なんか、にぃ様と一緒のお風呂は久しぶりな気がする」
静寂に満ちた湯船の中で、クロの脚の間に腰を下ろしたイロハが呟いた。最後に2人で入浴したのが遺跡にいた時なので実際の所数日しか経過していないが、その数日が非常に濃い内容だったためか体感時間はそれ以上だった。
「そう……だな……」
一方のクロはようやく緊張が解けたからか、壁にもたれつつ両脚を投げ出すようにして完全に脱力していた。声も心なしか柔らかく、下手をすればそのまま寝入ってしまいそうな雰囲気すらある。
いまいちポジションが定まらないのか、イロハは小さなお尻をもぞもぞと動かしながら、
「あの後、コウモリの逃げた先は分かった?」
「ああ……だが……」
「どうしたの……?」
お尻の位置をようやく定めて、イロハはクロの胸に寄りかかりながらその顔を見上げる。言葉を切った兄は難しい表情をしていた。
「追っていたコウモリはあの塊根をメンテナンスハッチの上で待機していたレラジェーンに手渡した。そしてレラジェーンはそのまま下水道に入って行ったんだが……途中で空間転移が発動し、行方をくらましてしまったんだ。あわよくば奴らの拠点を把握出来るのではと思ったが……アテが外れた形になった」
「“発動した”ってことはレラジェーンが転移魔法を使った訳じゃないのね?」
「ああ、おそらくは下水道のギミックの1つだろうな……仮に侵入出来たとしても、厄介な障害となりそうだ……」
「このこと、さっき共有しなくて良かったの……?」
転移魔法トラップが存在する可能性があるという情報は、後々下水道に突入することになった時大いに役立つはずだった。そんな情報を兄が伝え忘れるとは珍しい、と、イロハは考えた。
「もちろん、共有すべき情報であることは間違いない……だが、向こうに先手を打たれていた。この情報は一度に1人にしか伝達出来なくされている。複数人がいる場で話そうとすれば、即座に脳内から情報が抹消されるような……そういう性質を持ってしまっている」
「にぃ様でも……どうにも出来ないくらい?」
「ああ……情報に魔法がかけられているんじゃなくて、情報その物がそういう性質に改竄されてしまっているんだ」
「でも、どうしてわざわざ1人にしか伝えられない、なんて性質にしたのかしら。情報を渡したくないなら最初から誰にも伝えられないようにすれば良いのに……」
「あくまでも推測だが……」
イロハのお腹に回された腕に、少し力がこもった。
「これを仕掛けた目的は『隠蔽』ではなく『遅延』なんだろう」
「遅延?」
「ああ。まず、『下水道に転移トラップがある可能性がある』という、この情報を知ることが出来る者がいた時点で潜伏場所は既にバレている。そこで奴らが下水道突入を遅らせるための策として用意したのがこれだ。不意討ちで戦力を分散されかねない転移トラップは、突入メンバー全員に周知させておかなければ危険だからな」
「大人数で潜ろうとすると、1人1人に伝えなくちゃいけないからもどかしいね。伝言にすると情報が歪むかもしれないし」
「あるいは最初から突入メンバーを少数精鋭に絞ることだな。それも最低限『下水道内で魔将に遭遇しても生還が見込めるほどの手練れ』が要る」
「……それって、ガンプを倒した今なら問題ないけど、あいつがまだ生きてたら大変だったんじゃ……」
「いや、そもそも下水道に潜れる条件がまだわかっていないからどの道対処優先度はガンプの方が高かっただろう。だからこの情報改竄が一番意味を持つのは、こっちが奴らの想定を超える速さで状況を動かした場合……つまりガンプを速攻で撃破した上で潜伏場所を突き止め、加えて解析まで完了させてしまった時ということになるか。要は保険だな」
用心深い……と、2人は同時に呟いた。
「……なんか、なんだろう。ガンプや、あとフラウローズとか、施設を襲撃して来た2体とも、思考回路が違う奴がいる気がする。少なくともそいつは私たちを、人間を過小評価してない」
「先の大戦での役割を考えればグラジオンが作戦を立てているという可能性が有力か……」
第1次メダリア防衛戦・魔物側副将、序列13位。
『重撃』のグラジオン。
未だに目撃情報がないことも、裏で作戦指揮を取っているのではないかという説を強めていた。
「ひとまず明日はオリヴィア、シスターミラ、ゼシカ団長、それからアリーシェ女史辺りに転移トラップのことを伝えて回ろうと思う」
「アリーシェさん……今も解析してるのかな……」
「おそらくはな」
イロハがクロの胸に背中を預けて脱力し、クロもまた全身から力を抜く。メンテナンスハッチで別れて以来、2人にはアリーシェが現在どうしているのか知る術がなかった。
(アリーシェ女史には一応解析情報を渡して来た……彼女の腕ならあるいは今頃……)
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クロがそんなことを考えていた、丁度その時、
「よし、皆ご苦労。……解析終了だ」
アリーシェが、疲労の色を強く感じさせる口調で告げた。昼間の貴族令嬢然とした格好ではなく、今は本来の制服たるタイトなドレスに革のブーツ、幅広の帽子という如何にも魔女然とした姿だった。色が深い紫で統一されていることもあり、夜の闇に溶け込んでいる。右手には、オリヴィアの物と瓜二つな賢輝晶の杖を持っていた。
彼女の周りには、似たような意匠を持つ服装で身を包んだ男女が3人ずつ、合わせて6名。アリーシェが率いている魔術師団の部下のうち、群発する魔獣氾濫の鎮圧に参加していなかった待機組と報告のために先行して帰還して来ていたメンバーが総出で、昼間アリーシェがクロたちと共に覗き込んでいた下水道のメンテナンスハッチを取り囲んでいた。
「団長……あの、団長の見立てでは我々だけで解析を試みた場合一週間はかかるという話だったじゃないですか。それが『協力者』提供の解析情報を利用しただけでこれとは……いったいその人は何者なんです……?」
「欲しい……解析班に欲しいよその人……」
「解呪班も同じく……」
「気持ちは分かる……私も惜しくて仕方がない、が、彼は残念ながらオリヴィアの同類……つまり宮仕えが肌に合わないタイプってことだ。諦めろ」
「どうして……どうしてこの手の天才たちは皆自由の翼を広げて飛んでっちゃうの……」
「……しかし、どうするんです?」
『解析』班所属の女性魔術師が血涙を流しそうな勢いで嘆くのを尻目に、解析を終えた後も尚熱心にメンテナンスハッチの奥を覗き込んでいた男性魔術師が口を開く。
絶望的な解析結果に、深刻そうな表情をしながら。
「これでこの下水道には我々や……勇者様も含めて王宮の戦力が誰も潜ることは出来ないということが判明してしまいましたが……」
「王宮の戦力だけじゃない……ハンターや冒険者たちに依頼しようとも、ここに潜れる条件を満たし、その上で魔将に出くわしても生還が可能な者などいるかどうか……」
「その通り。だからもう手は1つだ」
アリーシェはミラの教会の方に目を向ける。今はそこにいるであろう、異邦の兄妹の顔を思い浮かべながら。
「彼らには……またひと働きして貰わねばなるまい……」




