第16話 彼氏として?
見開いた目が鈴のように丸くなり、半開きの口は弱々しくもハッキリと俺の名を呼ぶ。
「っ、っ~、凌君……!」
差し出した手を掴み、立ち上がる。
それと同時だった。白土が両腕を広げる。そして俺の胸に飛び込んできた。
「はい?」
「凌君……会いたかった……!」
息が止まる程に力強く、骨が粉砕するってくらい勢いよく抱きつかれて俺の体は湾曲する。
先週のデートや今日を含め、こいつには何度も抱きつかれた。腕を取られ、足を乗せられ、顔をうずめられたこともある。
でも初めてだ。こうやってド正面から思いきり抱擁されるのは。
……白土の体は震えていた。
「あー、心細かったよな」
ここが非常階段でほんとぅーに良かった。お前のこんな姿、誰にも見せられない。
「ご、ごめんっ、えぐっ、勝手に、ひっく、どこかに、ふにゅうぅ……凌君がいなくて、ぐすぅ、探しに行ったら……けほっ、えっぐ、迷子に……ふええん……!」
「ちょっと何を言っているのか分からないっす」
涙に声を詰まらせて言葉を上手く出せていない。その一方で力は増す。
……あの? 抱きつくのはいいとして……胸が当たっていますよ? 思っっっきし当たっていて、押し潰れるくらい押しつけられている。マシュマロみたいだとは聞いていたが、え、こんなに柔らかいの? マジかよ。
ヤバイ。割とシリアスな場面なのに興奮してきた。再会を祝すべきなのにニヤニヤしてしまう。でも仕方ないよね、男子高校生だもの。
「ぐす……うえええん!」
だが残念ながら興奮してる余裕はありません。気づけば首元が涙でびしょ濡れ。またしても局地的大雨状態だ。
俺は今日だけで何リットルの涙を吸水したのだろうね。誰かバスタオル持ってきて。この子まだ泣くと思うよー。我慢していた分を出すよー。
……我慢していたんだよな。
ポンコツのくせに。すぐ泣くくせに。俺が来るまで耐えた。心細くても泣かなかった。
今日だけじゃない。今までも幾度とピンチがあったはず。その度に白土は乗り越えてきた。
同じ中学の俺が知らなかった。気づきもしなかった。高嶺の花だと評される中、こいつは人知れず頑張って素の自分を隠し通してきたんだ。
今までも、今も、つい数分前までも……。
「白土」
両肩に手を乗せる。負けじと力を込め、少しだけ白土を引き剥がす。
少しでいい。距離を空ける。目を見て、ちゃんと伝えたい。
「ぐすっ、ひっく……?」
「遅くなってごめんな」
「わたしの方こそごめんね……凌君に心配かけちゃって……」
「まったくだ。俺はそこまで悪くねえ。8:2でお前が悪い」
「う、うん……?」
言いたいことがいっぱいある。
トイレ休憩なのだから普通に待っていろよ。勝手に移動するな。おかげで俺は人生一の恥をかいたぞ。
謝りたいこともたくさんある。
ポンコツを隠せとか、人前で泣くなとか、しつこく注意して白土を押さえつけた。分かりもしないで頑張れと言ってしまった。お前はずっと頑張ってきていたのに。
言いたいことが、謝りたいことが、いっぱい、たくさん、溢れんばかりにある。
あるけど今はそれよりも。
「ま、謝るのはお互い後にしよう」
今になってやっと気づけた。つっても俺は彼氏教師になって二週間足らず、長い時間を共に過ごしたわけじゃない。
でも分かるよ。お前の努力、ポンコツなりにやってきたこと、それらに気づいた。すげーと思う。
「今は何も気にしなくていい。思う存分に泣け。全部吐き出せ。俺が受け止めてやる」
だからこいつを安心させてやりたい。
その為に出来ることがある。今度は俺が両腕を広げる番だ。
「なぜなら俺はお前の……」
たとえ恋人の役だとしても、三十路ロープ使いに押しつけられたアホな任務の関係だとしても。俺はお前の彼氏教師だ。
いや、違うな。
俺はお前の、白土優里佳の、
「彼氏なのだから」
「っ……!」
瞳の表面で堆く膨らんでいた涙が零れ、頬を伝う途中で降り落とされる。
力強く、勢いよく。白土はもう一度飛び込んできた。
「凌君……びえーん!」
こいつの匂い。温もり。体の震えや溢れる涙も全て。今度はしっかりと受け止める。
広げた両腕で白土の体を抱きしめて包み込んだ。
「怖かったよな。不安だったよな。けどもう大丈」
「ぐわあぁーん! うええぇーん!」
「……思ったより声がデカイな。それはさすがに駄」
「びえええぇん!」
聞いてます? 存分に泣けとは言ったけど、泣き虫の赤ん坊が「あいつ泣きすぎちゃうか?」と言って真顔になる慟哭じゃねえか。
「えーと、どうしましょ」
「ふええぇん……あ、凌君が汗臭い」
あ、泣き止んだ。良かった。
でも真顔はやめろ。あと体臭の話もやめなさい。シンプルに傷つくだろうが。
白土は泣き腫らした目を拭うと、こちらをゼロ距離で見上げてきた。
「走ってきてくれたの?」
「まあそうだな」
「……運動会の時と一緒だ」
ポツリと呟いた言葉は短く、けれど何か想いが詰め込まれていたような気がした。
運動会? いつの話……ああ、中学のクラス対抗リレーか。俺が一位になると豪語して二位でゴールしたやつね。あれまあまあの黒歴史だよ。
「よく覚えているね」
「忘れないよっ。絶対に忘れない。死んだ後も忘れない!」
「そのセリフ、さっき観た映画であったな」
「凌君がいてくれるだけでわたしは……わたしは……っ」
「はいはい、いますよ」
そう言って俺は片手で背中をポンポンと叩き、白土は再び俺の首元に顔をうずめる。
体はもう震えていなかった。
「見つけてくれてありがとっ」
「いいって。彼氏なら当然だろ」
「彼氏……っ、じゃあっ、もっとぎゅーっとしてっ」
「もう十分にしていると思うんだが」
「ぎゅーってしてっ。背中ポンポンしてっ。頭もナデナデしてっ。あとねあとねっ」
「オーダー多くね? 腕が足りねえよ」
「わたしも足りないっ。もっと、もっと凌君に安心させてもらいたいっ」
「それ言われると……はあ~、やればいいんだろやれば」
背中を叩き、頭を撫で、さらにぎゅーと抱き寄せる。恥ずかしいなこれ。
「じゃあ次は座った体勢で抱きしめてっ」
「はいはい」
「わたしを足に乗せて抱きしめてっ!」
「へいへい」
「その次は『君は僕の膝に舞い降りた天使さ』と言ってっ」
「それは言わない」
「駄目……?」
「……君は僕の膝に舞い降りた天使さ」
「カッコイイ!」
「調子が戻ってきて何よりだよ」
「うんっ!」
階段に座り、足の上に乗せた白土を尚も抱きしめる。どんだけ抱き合えばいいのやら。あー恥ずい。
それでも俺らは離れない。
二人の体温が混ざり合っていくのが分かる。鼓動が重なり響くのが伝わってくる。
……ずっと傍にいる、か。
「うへへぇ……っ」
アホ丸出しの奇声。その声が俺の首元を湿らせ、彼女の髪が顎先をくすぐる。
「凌君はわたしの傍にいてくれるっ。えへへ~っ」
上機嫌に笑う白土。嬉しいのだろう。幸せなのだろう。
俺は天井を見上げる。
ああ、傍にいるよ。お前が泣き止むまで。お前が落ち着くまで。
そして、いつか俺の元から離れていくその時まで、な……。
あれから何分が経っただろう。
「すー、すー……」
泣き疲れた。甘え疲れた。ってことなのかな。
白土は寝てしまった。俺の肩に頭を乗せ、安らかな寝息を立てている。子供かよ。
俺は起こさないよう少しだけ体を動かし、白土の顔を覗く。
「凌君……うへへ……」
安心しきった寝顔。頬を綻ばせ、まーた俺の名前を呼ぶ。どんな夢を見ているのやら。
当分は起きそうにないし、もうちょっとだけ寝かせてあげよう。
「ったく、ホントお前って奴は」
「えへへぇ……すー……」
今日、分かったことがある。
白土は良い奴だ。アホでポンコツで予想外な言動のオンパレードだけど、根は良いというか純粋無垢。脆い部分はあるけど、強い意志を感じた。
耐えてきた。人知れず頑張って高嶺の花を演じてきた。それはすげーことだ。褒めてあげたい。守ってあげたい。
何より、それ以上に。
白土が我慢しなくてもいいようにしてあげたい。
「ポンコツが治れば演じることなく素の自分でいられる。もっと笑っていられるはずだ」
お淑やかモードでいるより心の底から笑う方が似合っている。両方見たから俺は分かるぞ。こいつは笑顔の方が間違いなく可愛い。
そう。間違いないんだ。
ポンコツを治せばより輝く。秘密を知る一部の人にしか本音で話せない、そんな狭苦しい現状よりも絶対に良い日々を過ごせる。
「改めて覚悟を決めたよ」
頭を白土の頭に軽く乗せ、そっと静かに声を出す。
こいつは頑張ってきた。だからもう頑張らなくてもいいようにしてやるんだ。
その為にポンコツを治す。必ず治してやる。誰にも文句を言わせない完璧な高嶺の花に育てる。
いつか俺の元から離れていくその時まで。
そう。いつか別れの時が来る。
それでいいと思う。
彼氏と言ったが、ごめんな、やっぱ彼氏教師だ。
俺は彼氏教師として頑張ろう。それでいい。それがいい。
本当の高嶺の花になれた時。誰からも愛されて、自由気ままに過ごせるようになった時、こいつの邪魔をしたくないから。
「ここにいやがったのですか」
淡々とした声と無表情。やって来たのは水浪だった。
「探しに来てくれたのか」
「あまりに遅いからです。で、見つかったようですね」
「見ての通りだよ」
「寝ていますね。変なところは触っていやがらないでしょうね」
「変なところってどこ? 具体的にどこ? 言ってみろよ」
「セクハラです」
「俺もそう思う」
水浪は俺らの前でしゃがみ込み、白土を見つめる。
青い瞳が微かに揺れたのを俺は見逃さなかった。
「見つかって良かったです」
「水浪もご苦労さん」
「喉が渇きました」
「ところで木賊先生の電話番号を知っているか?」
「知っています。2リットルサイズがいいです」
「ああもういいから教えろ」
水浪は数字を淡々と告げていく。俺はそのままタップして電話をかける。
「先生に迎えに来てもらおう」
「分かりました。本日のデートはこれにて終了ですね」
「だな……はあ~、やっと終わる。先週以上に疲れたよ」
「今日で終わりじゃないです。今後も続きます。白土優里佳のポンコツが治るまでです」
「分かってるよ。これからもよろしくな」
「刄金凌が素直です。キモイです」
「ジュース買ってやらねーぞ」
「刄金凌は素敵です。キモくないです」
「ブレないねお前は」
今度も続く俺と白土の関係。
今日以上にヤバイことが起きるかもしれない。精神はゴリゴリ削られるだろうよ。
それでもやってやる。出来る限り、中の上なりに、白土を支えていこう。
……あ、そうそう。水浪に聞きたいことがあった。
今日、分かったことがもう一つある。
「なあ水浪」
「何ですか?」
「白土って、俺のことが好きだよな」
問いかけると、水浪の瞳はまた揺れる。
俺は「やっぱりな」と呟き、通話が開始されたスマホを耳元に当てた。




