第15話 差し伸べられた手
中学校の運動会。クラス対抗の大縄跳び。
わたしは跳べなかった。縄に引っかかってしまった。
「何してんの。アンタのせいで最下位じゃん」
今でも鮮明に覚えている。みんなの怒った顔と冷ややかな目。
まず一人が声を荒げて、それに続いて他の女の子達もわたしを責めてきた。
「なんで跳べないの?」
「あーあ、せっかく優勝出来そうだったのに」
「マジムカつく~」
跳べなかった。みんなの足を引っ張ってしまった。わたし一人のせいでクラスのみんなに迷惑が……。
目の奥が熱くなっていく。胸が詰まり、息苦しくて、一人じゃどうしようもないくらいに打ちのめされる。
あんな風に一斉に非難されるのは初めてだった。みんなに謗られるのが辛くて、みんなの目が怖くて、わたしは泣く寸前だった。
でも駄目。泣いたら絶対に駄目。ポンコツなのがバレてしまう。
わたしはわたしのイメージを崩しちゃいけない。ちゃんとしなさいってミアちゃんに注意された。
だから我慢した。じっと堪えた。
「最悪。全部アンタのせい」
でも、それでも、耐えきれなくなった。しゃがみ込んでしまい、俯いてしまう。
それでもみんなは怒り続ける。わたしはさらに動けなくなる。頭の中がぐちゃぐちゃでパニックだった。
一人じゃどうしようもなくて、ひたすらに辛くて苦しくて……もう、駄目……涙が…………っ。
その時だった。
「いつまでやってんの? 白土が可哀想だろ」
怒気を含んだ数々の声を吹き飛ばす、たった一つの声。
動けないわたしの前に影ができる。誰かがわたしの前に立つ。
今でも鮮明に覚えているよ。
顔を上げたら、そこにいたのは凌君だった。
頭を掻きながらどこか気怠そうに、でも堂々と。凌君がわたしをみんなから守るようにして立っていた。
「……何よ刄金君。そいつのこと庇うつもり?」
「もうやめとけよ。切り替えようぜ」
「でも白土のせいで優勝が」
「ミスは仕方ない。グダグダ言うなよ。つーかこれみよがしに白土を責めたいだけにしか思えないんだけど?」
「私達が悪いって言いたいの? 悪いのはそいつでしょ!」
「いやお前もかなり悪くね? 人のせいにするなよ」
凌君は本当に堂々としていた。一歩も退かず、臆さず、他の人からわたしを覆うようにして立ち、わたしを守ってくれた。
きっと凌君は嫌な空気を変えたいだけ。ミスしたのがわたしじゃなくても同じことをしたと思う。
でもわたしはあの時の凌君がヒーローに見えたの。凌君はわたしを一切責めなかったよね。
凌君だけがわたしを守ってくれた。
「私達は悪くない!」
「一つ聞くけど、お前は優勝したいの? 白土を貶したいだけ? どっち?」
「だ、だからそいつのせいで優勝出来なくなったんでしょ!」
「まだクラス対抗リレーがある。それに勝てば優勝は十分に狙える」
「でもウチのクラスそんな足速くないから勝てない」
「いや勝つから。俺が一位でゴールする。それなら文句ないよな?」
「……何よムキになって。そんな顔だけの奴のこと庇ってカッコつけてるつもり!?」
「ああお前もういいや」
凌君がため息を吐き、後ろを振り向く。わたしの方を向いた。
「は、刄金君……」
何を言われるのだろう。そう思った。
「よう白土」
凌君は……笑っていた。
「っ、あ、あの……」
「怪我はないか?」
「だ、大丈夫。……ごめんな、さい、わたしのせいで」
「気にするな。お前のミスは俺が帳消しにしてやる」
そう言って凌君は笑う。
満面の笑みを浮かべて……わたしに手を差し出してきた。
「だから立てよ。後は任せろ」
救われる思いだった。あの言葉と笑顔、差し伸べられた手。
言ってしまえば、ごくごく普通のありきたりな励まし方。それなのに、こんなにも心強い。ただ一人、よくあるフォローの言葉、それだけで気持ちが楽になる。嬉しくて、本当に嬉しくて、っ……。
クラス対抗リレーが始まった。
今までで一番興奮したよ。めいっぱい声を出して応援した。
凌君はアンカーで、バトンを受け取った凌君はものすごく速かった。一人抜いて、もう一人抜き去り、さらに速くなる。歓声が大きくなる。
目が離せなかった。目で追うのに必死だった。凌君が真剣な表情でわたしの目の前を走っていく。
さっきまで泣きそうなくらい苦しかったのが凌君のおかげで落ち着けた。落ち着けたはずなのに、凌君を応援していると心が張り裂けそうになった。自分でもビックリするくらいドキドキしていた。
一生懸命に走る凌君はすごくキラキラしていた。
凌君は、すごく、カッコ良かった……!
クラス対抗リレーが終わった。
凌君は……二位でゴールした。
「おい刄金!? あんなこと言っておいて二位かよ! ここは一位になるべきだろ!?」
「ま、待てよ。最下位からの二位だぞ? 俺は頑張った。悪いのは途中でバトン落とした奴だ! くだらねえミスしてんじゃねえよ! 全部お前のせいだからな!」
「人のせいにするなと言っていたのは刄金だろ!?」
クラスのみんなが凌君に怒って、そして凌君は逆ギレしていた。狼狽えながらも声を荒げ、自分は悪くないと言って他の人のせいにしていた。
「うわ怖っ、女子達がすげー睨みつけてくる……。あ、そうだ。白土」
逃げるようにしてみんなから離れていく凌君。わたしと目が合い、こっちに近づいてきた。
「な、何?」
「ごめん。一位になれなかった」
「そんな……刄金君は悪くないよ」
「だよな。俺はそこまで悪くない」
「う、うん……?」
「でもまあ優勝出来なかったのは俺とお前のせいだ。お前が大縄跳びでミスしなければ、俺がリレーで一位になっていれば、クラスの連中はそう思っている」
「……」
「何が言いたいか分かるか?」
「わ、分かりません」
「悪いのは白土だけじゃない。俺にも責任がある。だからまた文句を言われたら俺に言えよ。一緒になって怒られてやる。何ならお前の代わりに逆ギレしてやるから」
汗を拭い、苦笑混じりにそう言った。
走り終えた直後。全速力で走ったのが分かる。一生懸命に走ったのをわたしは見ていた。
これは考えすぎなのかもしれないけど、凌君はリレーで一位になってもなれなくても、どっちでも良かったのだと思う。
一位になって優勝出来たら万々歳。一位になれなくて優勝出来なくても、わたしと一緒にみんなの非難の対象になる。どっちにしてもわたしを守れる。
考えすぎだと思う。凌君はそんなつもりないだろうし、そんなことはもう覚えてすらいないと思う。
でもわたしは今でも鮮明にハッキリと覚えている。あの時の姿と笑顔を……わたしを助けてくれた凌君を。
心のドキドキはずっと続く。凌君を見ている限り、ずっと……。
そっか……ううん、そっかじゃない。だって間違いない。こんな気持ちになったのは初めてだけど分かる。思っていたよりもずっと素敵で、想いがどんどん溢れていく。
わたしは凌君のことが好きになった。
それから凌君のことが気になって仕方なかった。
授業中や廊下ですれ違う時、必ず凌君のことを目で追っちゃう。いつでも凌君のことを考えて、凌君のことしか考えられなくなる。
「なー刄金、あそこの高校受けるってマジ? 偏差値高いとこじゃん」
「ああ、家から近いからな」
「そんな理由で受けるのかよ」
「流川みたいでカッコイイだろ?」
「まー刄金は頭良いから余裕で受かるだろうな」
凌君が受験する高校はとてもレベルが高かった。わたしじゃ絶対に無理。
でも凌君と違う高校には行きたくない。同じ高校に行きたい。
そんな時、ミアちゃんが凌君の志望する高校で先生をやっていることを知った。
ミアちゃんに頼んだらわたしを入れてくれるって言ってくれた。裏口入学だって。え、えへへ。
その代わり、入学の条件として、高校でもお淑やかモードで過ごすことになった。それまで以上にキツく厳しく、本当の自分がバレないようにしなければならなくなった。
それでも構わない。凌君と同じ高校に行けるならどんなことでもやる。絶対に泣かないって決めた。
凌君とお喋りしたくて特訓した。ポンコツを治す努力をした。
一年が経ち、二年生になった。わたしはポンコツのままで、せっかく同じ高校に入れたのに全く話せていなかった……。
だからちょっとズルしちゃった。凌君をわたしの指導係に指名したの。そしたらすんなりと凌君と一緒にいられることになって、毎日凌君と話せるようになった。
恋人の役だとしても凌君の彼女になれた。こんなに嬉しいことはない。幸せだった。
「……凌君」
素のわたしを、凌君は受け入れてくれた。
凌君と一緒にいられる。それだけでいい。
その為ならわたしは絶対に泣かない。ポンコツを晒さない。もし泣いたら……凌君と会えなくなる気がする……。
「……凌君、どこにいるの……っ……?」
だ、駄目、泣いたら絶対に駄目。凌君に言われたもん。泣くなって。お淑やかモードでいろって。
ミアちゃんやフラーちゃんに迷惑をかけちゃう。凌君が困っちゃう。
「り、凌君、ぐすっ、あ……会いたいよ……」
り、凌君、凌君凌君、っ、凌君……。
辛くて苦しい。一人でいるのは、もう嫌だ……。
もう、駄目……涙が…………っ。
「よう白土」
……凌君の声が聞こえた。凌君の、声が……っ。
「…………凌君……っ?」
階段に座り込み、俯く黒髪の少女。
白土は非常階段にいた。なんつー場所にいやがる。見つかるわけねえだろバーカ。
まあいいや。寧ろ人が全くいない場所で良かった。
俺は汗を拭い、白土の前に立つ。
白土は顔を上げ、赤く腫れた目で見上げてきた。
「よう白土」
「…………凌君……っ?」
一人で勝手に行くなよ。高校生にもなって迷子かよ。館内放送を聞いていなかったのかよ。とことん馬鹿だな。ひたすらポンコツだな。
色々と言いたいが、まずはこいつを褒めよう。
「泣かなかったのな。よく頑張った」
見つかって良かった。それに、無事で良かった。
俺は白土に向けて笑いかけ、手を差し伸べた。




