調査
アレクセイは調査班の一つと共に、階段を上って行った。
「まずは城主ドラゴの部屋辺りを調べましょう」
調査員の一人、トマス師は学者という訳ではないが、王宮の管財担当をしている役人である。
城塞の記録文書の類いを運び出して後はベースで調べるつもりだと語った。
「私などより実地調査が必要な方はいらっしゃいますから、後はお譲りしますよ」
アレクセイにしてみれば百年前の収支記録にどれだけの発見があるのか、大いに疑問ではある。
だが、領主の執務室にはなにがしかの貴重品なり由緒ある遺品なりがあるかもしれず、それが他の者の手に渡る事態は避けたかった。
執務室は往時のままに時が止まっていた。
執務机の上には決裁書類の山、インク壺に刺されたままの羽根ペン。中が凍りついたティーカップは氷の膨張のせいかひび割れている。
埃が霜のせいで書類にへばりつき、書棚の硝子戸は雪の結晶の様な模様が写っていた。
「なんというか…城塞のある一帯だけがこうも冷え切っている理由はなんなのでしょうね?」
トマス師は同行のマーク師に訊いた。
マーク師は魔法の法則を研究している。魔法は術者の意思で魔力を操って行使するものだが、それは意思の強さに影響する。未だ感覚的なものの為、マーク師はその法則を解明し効率化を考えているのだ。
「難しいですね……仮にこの状態がクローディア・バルファスの魔法によるものだとしたら、規格外も甚だしい」
「私など専門外で『凄いな』くらいにしか解りませんが、どこがどう規格外なんでしょう?」
「魔法は個人の意思で操ります……クローディアは百年前の人物ですよ?その意思が百年続くなんて普通あり得ないでしょう?」
なるほど、と脇で聞いていたアレクセイは思った。
「……百年も経てば霊体も生前の性格が薄れて邪悪と化しますわね。霊体が魔法を使った記憶は私にはありませんわ」
同行していたシスターミーナが口をはさんだ。不死者を相手にしている僧兵なだけあって詳しい。
「すると……例えば魔法具などは?」
トマス師の言葉にマーク師は、だがかぶりを振る。
「魔法具も同じです、要は使用者の意思を受けて発動する訳で。クローディアの意思が残っていなければ…」
冷気も黒霧もどの様に生まれているのか?
アレクセイは周囲の調度品を調べながら、皆の会話を考えていた。
果たして個人の意思が百年も存続するものだろうか。
(この謎を解ければ…)
自分が城塞を手に入れる助けになるかもしれない。アレクセイはそう思った。
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一方ブラスが纏めている班は、屋外を探索していた。
放置されて百年、石造りの建造物とはいえ手入れのなされていない期間が長い。この班では外壁の傷みを調査する予定である。
薄暗い広間では気にならなかった黒い霧が、まとわりつく様に漂っている。害は無さそうではあるものの、大きく息を吸い込むのはためらわれてしまう。
「どうにも霜が邪魔だな」
調査員の一人、ゲイル師が口をへの字に曲げる。
外壁に大きなひび割れなどは見当たらない。それは判別出来るのだが、細かいものがよく判らない。薄く張った霜の下に隠されてしまっている。
ゲイル師は手許の壁をこすって霜を飛ばし、ひびがあるか確かめながら進む。
「とりあえず、今すぐに崩落、なんて事は無さそうだが…」
ゲイル師は外壁を見上げて言った。霜をこすり落とせる場所は大丈夫な様だが、手の届かない場所までは判らない。
じきに外壁の終わり、断崖と外壁が交わる場所へ着いた。
城塞はヴエナ山の断崖に埋もれる様に張り付いている。
「うん、やはり断崖を壁として利用している様だ。ほらここ、岩肌に削った跡がある」
城塞の石材が積み上がって岩肌に接着している辺りをゲイル師は撫でた。
岩肌の凹凸が他に比べ滑らかだ。石材と岩肌の間の隙間を、石膏で塗り固められているのが解る。
「さてと、次は……そこの兵舎を覗いてみよう」
これ以上は霜を溶かす何らかの方法を考えなければ先に進まない。ならば他を調べるのが効率的だ。
班の皆が脇にある兵舎へと向かう。
(扉が開いてるな?昔の冒険者が漁った後か…)
良さそうな拾い物などあるまい、貧乏クジだなとブラスが思っていると、扉の陰から人影が現れた。
一見して冒険者の出で立ちである。革鎧と鉄兜を身につけ、手にはむき出しの剣を握っていた。
「……あいつ誰だ?」
一人の調査員が首を傾げた。
自分達以外で外をうろついている者はいない…はずだ。
不審に思った調査員の一人が、その男に近付く。
「おい君、何でこんなところに」
「……!?近寄るな、離れろ!」
「え?」
ブラスの声に調査員が後ろを向いた。足が止まる。
「ばかやろう!」
ブラスは走り出した。他の護衛も続く。
正体不明の男が調査員に剣を振り下ろす。
ブラスが男に体当たりをかました時には調査員の肩に剣がめり込んでいた。
「っ!?ぎゃあああぁぁ!」
痛みに叫ぶ調査員を無視して、ブラスは体当たりで転がった男に剣を振り下ろした。無防備な首が斬り落とされる。
首を失った男は、しばらくじたばたと手足を動かしていた。
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「シスターシャンナ!怪我人だ、こっちに来てくれ!」
ブラスの怒鳴り声でベースは騒然となった。
見れば護衛が血塗れの調査員を一人、背負って広間に転がり込んで来る。
シャンナは床に下ろされた調査員に近寄り、付き添っていたエレインを見た。
「止血はしましたが、その場での回復魔法を掛けられる状態ではありませんでした」
見知らぬ男に襲われたのだという。他に男の仲間がいるかもしれず、取り急ぎ止血だけして連れて来たそうだ。
(……傷は肺に達している)
顔色を変えずシャンナは診てとった。これは回復魔法の無駄になるかもしれない。
とはいえ、戦ならいざ知らず怪我人は調査員の一人。見捨てていい場面では無い。シャンナはエレインと協同で回復魔法を重ね掛けする。
(なんとか組織の接合は出来ましたわ…後は癒着してくれるかどうかですわね)
回復魔法と謂っても万能では無い。
切断面を接合安定させるまでは行えるが、癒着は本人の生命力にかかっている。
「……とうとう損害が出てしもうたか」
ミゲル師が呟いた。
彼の年齢なら人の死に際に立ち合った経験も少なからずあるだろう。助かりそうに無いと気付いている。
「……後は本人次第、ですが」
「解っておる、元より犠牲は覚悟のうちじゃ…が、若いもんが先かと思うとな」
ミゲル師は溜め息をついた。
「シスターシャンナ、ちょっと」
ブラスに呼ばれて行くと、そこには男の首無し死体と生首が置かれていた。調査員を襲った者だという。
一見、冒険者に見える。
「……これは!?」
死体をあらためたシャンナは息を飲んだ。
干からびた肌。
浮いたアバラ。
へこんだ腹。
出血の無い首。
装備品はやや古い、流行遅れのものだ。
「……引退した年寄りの冒険者が、こんな細工の鎧を持ってたな」
ブラスが言った。
男の皮膚には脂が浮いて屍蝋化が始まっている。死後数時間やそこらではきかない。
つまり襲ってきたこの男は動死体だったという事だ。
「邪悪な……いったい誰がこんな仕打ちを」
言いながらシャンナは違和感を覚えた。
動死体というものは術者からの簡単な命令しか受け付けないものだ。
『これを運べ』
『そこに置け』
この程度の人足仕事しか出来ない。また、術者の目が届く範囲でしか使役出来ず、あまり便利なものでは無い。
話によればこの男は単独で行動し、剣で攻撃してきたのだという。
明らかに動死体が出来る範疇を超えている。
(これがクローディア・バルファスの魔法…?百年前の?あり得ない…)
シャンナは肌が粟立つ思いだった。
……この動死体は死後百年など経ってはいないのだ。術者不在で魔法が効果を発揮するものだろうか?
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