結婚の条件
「手を外すからな。叫ぶなよ?」
殿下の言葉にコクコクと頷く。
殿下は口を塞いでいた手をどけると、靴を脱いでベッドの上に座り直した。
私も起き上がったので、ちょうど向かい合うような格好になる。部屋の中が暗いので、殿下の表情は分からない。
「元気だったか?」
殿下がぽつりと口を開く。
口調は穏やかだったけれど、低い声の威圧感が半端じゃない。
「はい――あ、いいえ。ずっと体調が……」
「アンネリーゼ、大概にしろ。こんな事を続けていたら、本当に病気になってしまうぞ」
仮病、バレてるし!
「だって……」
思わず子供の言い訳のように口ごもってしまった。
「だって、何だ。怒らないから言ってみろ」
「だって、殿下が悪いんですよ? 私と続けて何度も踊っちゃダメだって、知っていたはずなのに。妃にって言われて私が困っていても知らんぷりだし。失礼がないように断るって、病気くらいしかないじゃありませんか」
「お前が事態を収拾しろと言っていたのは、責任を取って求婚しろという意味ではなかったのか?」
「えっ? まさかの勘違いっ?!」
殿下は深くため息をついた。
「本気で勘違いしたわけではない。ただ、噂を耳にした時、お前が妃になるのも悪くないと思ったのだ。まさか、二月も籠城してまで嫌がられるとはな。傷ついたぞ」
「えっと……ごめんなさい。殿下が嫌いなわけじゃありません」
むしろ大好きです。
「では、お前が結婚を嫌がる理由は何だ? 私は二十七歳独身、国王の嫡男で、将来は玉座を約束された男だ。おまけに見目も――悪くはないだろう? 云わばハロルドに次ぐ『結婚したい男ナンバーツー』だ。ハロルドはお前の叔父だから、お前にとっては私が一番の優良物件のはずだ。他に何が足りない?」
「私が……結婚相手に望む事は一つだけです」
私はうつ向いて言った。
「恋人がいない人がいいです。貴族の娘ですから、父の決めた人と結婚しなくてはならない事は分かっています。それでも……それでも、思う方がいない人がいいです。父より年上でも、見目の悪い人でも、私よりも大切な女性がいない人がいいです」
「……ちょっと待て。お前は、私に好きな女がいると思っているのか?」
「だって、ベルグ伯爵未亡人とお付き合いされているのでしょう?」
殿下が舌打ちをした。
「セレナはただの友人だ」
「えっ? でも、みんなそう思っています」
次の瞬間、殿下が私を抱き寄せた。
「彼女に恋などしていない。噂など当てにならない事は、お前もよく知っているだろう?」
ええ。現在巻き込まれ中の当事者ですからねっ!
って、それより殿下、近いっ! 近すぎる! 離して下さい。
涙目でジタバタしていると、『暴れるな』ともっと抱き込まれた。
硬直状態。
もはや、どうしていいか分からない。
「お前の条件はそれだけか?」
耳元で囁かれ、無言で頷く。
「私の条件も一つだけだ。私を王太子ではなく、アルディーンとして見てくれる者がいい。分かったな?」
よく分からないけど、無言で何度も頷く。
逆らえる状態じゃない。
殿下が小さく笑った。
「本当に手間のかかる奴だな。分かっているのか? 私と結婚しなければ、こうしてお前を抱き締めるのは、ろくに知らない男の腕だぞ」
ぐっと喉が詰まった。
「ダンスくらいでも気持ち悪いんだったな。結婚すれば、それどころではない。肌を直接触られて、舐められて――」
きゃあ――――っ!
「やだ、やだ、やだ、気持ち悪い!」
半べそで殿下に抱きつくと、唇が、柔らかく温かいもので塞がれた。
逃れようとすると、身動きできないほど抱きすくめられた。
「気持ち悪いか?」
キスの合間に殿下が囁く。
私は、小さな声で『いいえ』と答えた。
「だったら、私にしておけ」
殿下に恋人がいなくて、私がいいと思ってくれるなら、ずっと側にいたい。
私は殿下の両頬に手をやって、いつかの言葉を口にした。
「私をアル様のお嫁さんにして下さい」
「ああ、いいとも」
殿下は私の髪をそっと撫でた。
「愛しているよ、アンネリーゼ」
- fin -
【おまけ】
「ところで、アル様。どこから入って来たの?」
「そこの窓から。どこぞの親切な侯爵夫人が『鍵、開けとくから』と言ってくれた」
「やられた……」