神はお許しになるでしょう
お題:ありきたりな許し
「大丈夫です。許します」
聖母のような笑みを浮かべて、彼女は告げる。
「神はあなたの罪をお許しになるでしょう」
優しく口元を歪めて、厳かに言葉を渡す。それは、なんともありきたりな、彼女の常套句だった。
俺はクズだった。罪と名のつくものなら大概の事はやった。生きるためだった、というのはただの言い訳だ。人を殴る時、火をつける時、ナイフで刺す時、俺はいつも恐ろしかった。自分の罪に震えていたわけではない。
そういう時、ただただ俺は、自分が生きているという喜びを噛み締めていた。
他人の痛みを、苦しみを、死を目の前で感じる時、自分が生きているのだと強く思う。その対比。相手は死んで、けれど俺は生きている。目の前に正反対のマイナスがあるからこそ、自分の持つプラスが余計に引き立った。だから、老い先短い老人はあまり殺さなかった。年端もいかない子どもや、輝く未来を信じている若い夫婦を殺すのが特によかった。妊婦とその夫を殺すのはまた格別に俺の生を引き立ててくれた。
もちろん、それは自分でもから恐ろしかった。そんなことをしなければ生きる喜びを感じられないなんて。人を殴った後、火をつけた時、ナイフで刺した時、いつでも俺は後悔していた。あんな恐ろしいことを、ただ自分の喜びのためにしてしまうなんて。けれど、あの喜びはまるで麻薬だった。俺はその暗く冷たい喜びの中毒になっていった。そのことも恐ろしくてたまらなかった。
あの教会を見つけたのはそんな時だった。
教会には優しいシスターがいた。彼女はいつでも笑みを浮かべて、罪人の懺悔を受け止めていた。そして優しく、厳かに、許しを告げてくれる。
「大丈夫です。神はあなたの罪をお許しになるでしょう」
なんの根拠もない、ありきたりな言葉ではあったが、彼女に告げられるとそれは途端に重みを持って、罪人の心に降り注いだ。ああ、俺は許されるんだ。許されていいのだ。
俺は罪を犯す度、教会に赴き、彼女へと懺悔した。彼女はいつでも俺の懺悔を受け止め、そして優しく許しを告げた。それは暖かい喜びだった。
けれど、それでは駄目だった。俺はあの、人の死を目の前にする、冷たい喜びの中毒になっていたから。それに暖かい喜びがついてくるとなれば、尚更罪からは逃れられなくなっていった。どうにかしたいと思っていたが、どうにもならないだろうとも思っていた。俺はまた何度も罪を重ねた。子どもを殺し、若夫婦を殺し、新しい命を殺した。その度に教会へ通い、シスターに許しをもらっていた。
ある日、彼女の顔は険しかった。俺がどうしたのか、と尋ねてしまう程だった。彼女は少し逡巡して、それから口を開いた。
――十数年前殺された、一組の夫婦のことを、あなたは覚えているだろうか、と。
確かに覚えがあった。満月の夜、馬車に乗っていた夫婦を俺は殺した。二人はまだ若かった。妻の方は妊婦だった。なんて素晴らしい巡り合わせだろうと、俺は彼らを殺した。妻を守る夫を、腹を庇う妻を、そして生まれてもいない新しい命を。俺が妊婦を狙うようになったのはそれ以来だった。
シスターは笑っている。これまでに見たことがない、冷たい笑みを浮かべている。
「その夫婦は私の両親です」
あの新しい命は奇跡的に生き残っていたのだ、と彼女は言った。厳かに、冷たく告げた。
「神はあなたの罪をお許しになるでしょう。――例え、私が許さなくとも」
気がつけば俺は涙を流していた。ああそれは、人を殺した時の、暗く冷たい喜びに酷く似ているような気がしていた。