↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/8

第1話 後宮の出口は棺だけ

後宮(こうきゅう)の出口は、ひとつしかない。


北門(ほくもん)から運び出される、白木(しらき)の棺(ひつぎ)だ。


……というのが、私が裏の仕事を始めるまでの、この国の常識だった。


「辞めさせて」


夜更けの荷造り部屋に、かすれた声が落ちてきた。


戸口には、空の行李(こうり)がひとつ置かれている。裏の仕事を頼むときの合図だ。


その横で、頭から布をかぶった女が、肩で息をしていた。


布のすきまから、金の簪(かんざし)がちらりとのぞく。


あれ一本で、私の三年分の給金(きゅうきん)が飛んでいく。


「……どちらさまで?」

「何(か)芙蓉(ふよう)」


貴妃(きひ)、何芙蓉。陛下のお渡りがある、この後宮でただひとりの妃(きさき)。


うそでしょ。ここ、行李と縄しかない物置ですよ。


「陛下の寵愛(ちょうあい)が重すぎて、身がもたないの」


……うそだ。


声は震えているのに、目はまったく震えていない。


それに、彼女が胸に抱えた包みの角が、やけに四角くて硬い。


恋文の束か、毒の小瓶か、それとも、まったく別の何かか。


私は縄を置いて、頭を下げた。


「承(うけたまわ)ります。ただし、本当の理由を伺ってからです」


荷造りは、嘘の上にはできませんので。


  ◇


とはいえ、貴妃さまを行李に座らせるわけにはいかない。


私は物置でいちばんましな腰掛けの埃(ほこり)を袖で払い、欠けていない茶碗を探して、三つめでやっと見つけた。


「どうぞ。安い茶ですが、熱さだけは一級品です」


芙蓉さまは布をかぶったまま茶をすすり、ほんの少しだけ眉を寄せた。


お口に合わなかったらしい。貴妃さまの舌は、ずいぶん正直だ。


私、宋(そう)鈴花(りんか)の表の仕事は、後宮の荷造り係である。


妃が位を上げて広い宮(きゅう)へ移るときは、その荷を詰めて運ぶ。


妃が亡くなって棺で北門を出るときは、残った荷を詰めて、実家へ送り返す。


十歳でここに来てから十一年、詰めた行李はもう数えきれない。


そして詰めながら、ずっと同じことを考えていた。


妃は、位と俸禄(ほうろく)をもらって宮仕(みやづか)えをしている。


つまり、職だ。


職なら、辞められる。


……はずなのに、これがちっとも簡単ではない。


妃が辞めるには、陛下のお許しと、誰もが「それなら仕方ない」とうなずく理由が要る。


理由が立たないまま出ていけば、妃の実家は罰を受け、陛下は「妃に逃げられた皇帝」と笑われる。


だから、これまでの出口は棺だけだった。


その横に、私は棺じゃない出口を開けた。


才人(さいじん)の江(こう)さまは、「陛下のご長寿を祈るため、山の尼寺(あまでら)にこもる」と言って出ていった。


才人というのは妃の位でいちばん下で、陛下のお顔を入宮の日に遠くから見たきり、という方も多い。


江さまの荷は、行李ひとつだった。


母上の形見の櫛(くし)と、扇(おうぎ)が一本。後宮に四年いて、増えたのは扇だけだった。


夜明けの北門で輿(こし)の簾(すだれ)が少しだけ上がり、江さまは泣きそうな顔で笑った。


私は腰を折って、小さく送った。


「ご退宮(たいきゅう)、おめでとうございます」


江さまで、七人目。


七人とも、面子(めんつ)の立つ理由をこしらえて、堂々と北門をくぐった。


報酬は、出ていく妃からいただく。


相場は退職金の一割で、我ながら良心的な値段だと思う。


棚の上の壺(つぼ)には、自分で自分を身請(みう)けするための銀が貯めてある。


目標は三百両で、いまは二百五十八両。


あと、四十二両だ。


  ◇


「それで、本当の理由は」


私が聞くと、芙蓉さまは茶碗を置いた。


「言わないわ」


即答だった。


「では、どなたか想い人でも?」

「その想像力は、荷造りに使いなさい」


ぴしゃりと戸を閉められた気分だ。この方、強い。


「条件だけ言うから、覚えてちょうだい。三日後の献上茶(けんじょうちゃ)の日までに、わたくしをここから出して。それと、陛下には絶対に知られないで」


……条件が、ひとつめから無茶だ。


献上茶の日というのは、御用達(ごようたし)の茶商(ちゃしょう)が、新茶を陛下に献(けん)じる日だ。


陛下のおそばには、もちろん寵妃(ちょうひ)が控える。


そんな日に、後宮でいちばん目立つ妃をいなくさせろと言うのだ。どうやって?


私は返事のかわりに、芙蓉さまの手を見た。


茶碗を持つ右手の、親指と人差し指の先だけが、妙に硬くなっている。


琴か、筆か、それとも別の何かか。


「……何を見ているの」

「手荒れの具合です。冬に向けて、軟膏(なんこう)を荷に入れるかどうか考えておりました」


半分は本当だ。


芙蓉さまは立ち上がって布を深くかぶり直し、戸口でふと思い出したように振り返った。


「そうそう。荷は、城下の三つ目の角の店に送ってちょうだい」


城下の、三つ目の角の店。


貴妃さまの荷が、どうして実家ではなく、城下の店に?


「それから、献上茶の日に出る新茶は、飲まないほうがいいわよ。あの茶商の新茶、去年の値の三倍なの。中身は古いのに」


それだけ言い残して、芙蓉さまは夜の中へ消えていった。


貴妃さまが、茶の値段に詳しすぎる。


  ◇


私は戸を閉めて、空になった茶碗を見下ろした。


指を折って、数える。


依頼人は、陛下のお渡りがある、ただひとりの妃。


期限は、三日。


陛下には、知られてはいけない。


しかも、本当の理由は教えてもらえない。


……無理では?


もう一度、指を折り直す。


やっぱり無理だ。どう数えても、無理が四つ並んでいる。


陛下に知られずに? 寵妃を? 三日で?


部屋の隅で、宮女(きゅうじょ)見習いの小満(しょうまん)が、行李を枕に寝返りを打った。


「……鈴花さま、おかわり……」


この子は、夢の中でも何か食べている。


私は棚の壺を見上げた。


あと、四十二両。


「……とりあえず、いちばん大きい行李を出しておこう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。