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82-1 宮城

「――――お腹空いた」


 空港について早々、玲が腹を押さえた。

 昨日も、今日の朝も、ゾッとするほど飯を食べたはずなのに、もう空腹とは。

二日間にわたる北海道でのライブは、無事に大成功で終わった。

 ツアーの始まりに相応しい、素晴らしいパフォーマンスだったと思う。

 そして今は、次の開催地である宮城県にいる。


「あたしもお腹ぺこぺこ……」

「ごめん、葵ちゃん。近くのお店探してくれないかな?」


 ミアにそう問われた宇佐森さんは、得意げに笑った。


「ふっふっふ、こんなこともあろうかと、ちゃんと調べてあります!」

「お、さすがじゃない!」

「ご案内しましょう! ささ、ついてきてください!」


 宇佐森さんの案内でたどり着いた店は、中華料理屋だった。

 何十年とそこにあるであろう食品サンプルが、この店の創業年数を物語っていた。


「こほん。知ってますか? 皆さん。宮城は、冷やし中華発祥の地と言われてるんですよ!」


 宇佐森さんが、眼鏡をなおす仕草をする。掛けてないのに。


「冷やし中華? へぇ、そうなんだ」

「ここはかなりの名店で、来たからには食べて帰らないと損――――って、志藤さんが言ってました」


 三人から視線を向けられ、俺は深く頷く。

 夏といえば、冷やし中華。市販の麺とつゆを利用すれば、簡単に作れる料理だが、そういった料理ほど奥が深いのだ。

 本場で学ぶことで、家で作る冷やし中華のクオリティを上げられるかもしれない。作る頻度が高いが故に、三人にとってもプラスになるはず。


「なーんだ、要するに、あんたが食べたいだけじゃない」

「いいじゃねぇか。付き合ってくれよ」

「もー、仕方ないわねぇ」


 何故か嬉しそうにしながら、カノンが俺を肘でつついた。


「そういうことなら、当然ボクも付き合うよ」

「ん、抜け駆けはさせない」


 ミアと玲が、ズイッと距離を詰めてきた。

 どこで張り合っているのかよく分からないが、全員乗り気ということでよさそうだ。

 店内は、古き良き町中華といった感じだった。テーブルは赤く、座席は黒い。

 壁には、手書きのメニューと、異国情緒溢れるタペストリーが飾られている。


「雰囲気あるねぇ」

「ここ、冷やし中華以外も美味いらしい。色々頼もうぜ」

「ふふっ、ノリノリだね、凛太郎君」


 ミアが、メニュー越しに目を細める。

 またやってしまった。やはり料理のことになると、どうしてもテンションが上がってしまう。


「回鍋肉、麻婆豆腐、青椒肉絲、餃子、炒飯……選べないわね、全部頼む?」

「ん、みんなで分けて食べる」


 注文すると、奥にあるキッチンで、店主らしき男性が中華鍋を振り始めた。


――――いいなぁ、中華鍋。


 中華鍋は、熱伝導率がよく、食材を炒めることにとても適している。それだけでなく、揚げ物やスープを作る際にも使えるし、なんなら蒸し料理にも利用できる優れものだ。

 ならば早く使えばいいと思われるだろうが、どんなものにもデメリットは付きものである。

 まず、鉄製が故に錆びやすい。きちんと手入れをしなければ、あっという間に使いものにならなくなる。そして、その手入れ自体がかなり面倒臭い。

 初めて使うときは、空焚きして錆止めを落とし、油ならしで油膜を張る必要がある。

 一度使ったら、錆の原因となる中性洗剤は使えず、ささらと呼ばれる細い竹を合わせて作られたたわしで水洗いし、手早くかわかしたあとで、再び油ならしをしなければならない。

 このように、とても手軽に使えるものではない。しかし、それでもロマンを見出してしまう。

 手入れをしているうちに、きっと愛着だって湧いてくる。

 やはり買ってみるべきか……だが、それだと家事をもっと効率的に――――。


「凛太郎、どうしたの?」

「おっと……悪い、ボーッとしてた」

「ずっと中華鍋見てた。欲しいの?」

「……バレてたか」

「必要なら、買う?」


 ドキッと心臓が跳ねた。

 一年前の俺なら、考えもせずに頼っていたかもしれないが……。


「――――いや、中華鍋は、自分の金で買う」


 金に目がくらみそうになった自分を、全力で戒めた。

 今の俺は、以前の俺とは違う。

 自分が使いたいものくらい、自分で買ってみせる。


「じゃあ、凛太郎が中華鍋振ってるところ見たいから、買ってもいい?」

「……それなら仕方ないな」

「流されてんじゃないわよ」


 カノンの鋭いツッコミが刺さる。

 いや、でも、これは不可抗力というやつだと思うのだ。


「か、可愛いところもあるんだね、し、志藤さん……」


 急にそんなことを言い出した宇佐森さんの顔は、とても引きつっていた。

 助けろ! と言わんばかりに、目で訴えかけてくる。宇佐森さんがこうなっている理由は、既に予想がついていた。


「ミア、お前が言わせたんだろ」

「あ、バレたか」


 ミアは、宇佐森さんの手を取り、ぷらぷらと動かす。

 宇佐森さんは、人形のようにされるがままだった。


「マネージャーで遊ぶなよ……」

「だって、かわいいんだもん、葵ちゃん。ねー?」

「んえ⁉︎ わ、私が? くひひ……」


 宇佐森さんが、赤くなった顔をメニューで隠す。

 この様子を見ると、からかいたくなる気持ちも分かるな。


「あ、ご飯来た」


 続々と運ばれてくる料理を見て、俺たちは会話を中断した。

 どれも涎が垂れてきそうなほど美味そうだ。だが、やはり注目すべきは、お目当ての冷やし中華である。

 見るからにのどごしが良さそうな麺に、透き通った醤油ベースのつゆ。

 麺の上には、錦糸卵、細切りのハム、きゅうりの千切り、茹でたもやしが載っている。

 聞くところによると、載っている具は日本の四季を表しているとか。


「テンション上がってる凛太郎って、やっぱ可愛いわよね」

「ん、分かる」


 カノンと玲が何か話しているようだが、もはや俺の耳には届いていなかった。

 少し解した麺を、具と一緒に一気にすする。


――――ああ、美味い。


 コクがある醤油の旨味と、まろやかな酸味が、麺によく絡んでいる。

 家で作るものと、似ているようで異なる味。一体、この違いはなんなのだろう。

 フルーツのような甘さがあるというか……。これは、リンゴ酢だろうか。


「うっま! ちょっと舐めてたかもしれないわ……」

「うんめぇ〜……あっ、こ、こんな美味しい冷やし中華、私初めて食べました!」


 みんなの皿から、瞬く間に冷やし中華が消えていく。

 他の中華料理も、ホッとするような、馴染みのある味つけでありながら、家庭の味とはどこか違うものばかりだった。俺が作るものと、何が違うというのだ。早く帰って研究したい……。

 まさか、これがホームシックというやつか? ――――違う気がするな。


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