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80-3

 夏休みに入ってすぐ、俺はツアーの準備をしていた。

 明日は、ついに出発の日。

 今回のツアーは全国六か所を巡る。順番は、北海道、宮城、大阪、沖縄、福岡、東京だ。

 ひとつの会場に対し、移動の日、リハーサルの日、本番一日目、二日目と、計四日を要する。

 こんなに長く家を空けるのは、これが初めてだ。

 最後の夏休みが、ほとんど消えてしまう。それを寂しく思いつつも、どこかワクワクしている俺がいた。

 早いうちに準備が終わり、一息ついていると、スマホが震え出した。

 画面には、我が校の後輩にして、絶賛人気急上昇中のアイドル、キャンディスプリンクルのサナこと、柴又早苗の名が表示されていた。


「もしもし?」

『どーも! 先輩! 聞きましたよ⁉ レイ先輩たちのツアーについていくって!』

「テンション高ぇなぁ……」


 顔をしかめながら、耳元からスマホを離す。

 知り合って以降、たびたびサナから連絡が来るようになった。

 具体的に、なんの話をするわけでもない。サナのほうから一方的にかけてきて、ベラベラ話し出したかと思えば、一方的に切られることもある。

 ウザったくはあるが、そういった緩いコミュニケーションは、嫌いではない。


『気を引き締めてくださいね! ツアーは遊びじゃないんですから!』

「お前、ツアー経験あるんだっけ」

『いえ、皆無です』

「それでよく語れたな……」

『でも、間違ったことは言ってませんよね』

「……」


 スマホ越しでも、やつのドヤ顔が見えるようだった。

 遊びじゃないことは重々承知しているが、サナに言われると、妙に屈辱的だ。


『……まあ、その、割と心配してるんです。先輩が付き添うことになったのは、私たちのせいでもあるじゃないですか』


 珍しく遠慮がちなトーンで、サナは言った。

 キャンスプにマネージャーが大勢ついたことで、ミルスタに手が回っていないのは事実。

 サナから見れば、自分たちのせいで、ミルスタに負担を強いている状況なのだ。

 そして、その尻拭いを、俺に押しつけてしまったと思っているのだろう。

 ただ、それはお門違いだ。


「お前がそんなふうに心配してるって知ったら、あいつらが怒るぞ。舐めんなってさ。それに、俺だって同じだ。これは自分で決めたことなんだから」

『……確かに、そうですよね。先輩たちなら、大丈夫ですよね!』


 サナのトーンが戻る。

 やはり、こいつに湿っぽい話は似合わない。


『長いツアーですから、体調には気をつけてくださいね! お腹出して寝ちゃだめですよ?』

「俺をなんだと思ってんだ」

『あ、マネージャーさんにまで、手出しちゃダメですよ!』

「ぶっ飛ばすぞ……!」


 サナはケラケラと笑う。

 スマホ越しなのが悔やまれる。次会ったときは、とびっきりのお仕置きを用意しておこう。


『じゃあ……応援してますから、先輩』

「ああ、ありがとな」

『お土産も期待してますよ!』

「はいはい、忘れなかったらな」


 苦笑しながら、通話を切る。

 相変わらず、どこまでも憎めない後輩である。


――――さて、これからどうしたものか。


 家事はとっくに終わらせてあるし、やることがなくなってしまった。

 玲たちも、今頃はパッキング中だろう。それを手伝えたらいいのだが、パッキングに関しては、俺よりもあいつらのほうが慣れている。下手に手を出さないほうがいい。

 少し早いが、夕飯の準備でもするか。そう思ってキッチンに向かうと、再びスマホが震えた。今日はやけに電話が鳴るな。


「もしもし」

『あ、兄貴ぃ……宇佐森だけど……』


 びっくりするほど情けない声が聞こえてきた。

 なんだか嫌な予感がする。


「……どうした?」

『いや、その、別に大した用ってわけでもなくてさ』


 ずいぶんと歯切れが悪い。

 何か言いにくいことでもあるのだろうか。


「困りごとか?」

『べ、別に困ってるわけじゃ――――』

「困ってんだろ?」

『うっ』


 電話をかけてきた時点で、何か相談したいことがあるのは明白だ。

 ためらう必要はないと伝えると、彼女はぽつぽつと話し出す。


『パッキングしようと思ったんだけど……どうすりゃいいか分からんでぇ……』


――――なるほど、そう来たか。


「なんだ、そんなことか。手伝いに行こうか?」

『本当か⁉ 助かる! さすがは兄貴だ!』

「はいはい、どーも。じゃあ住所送ってくれ」


 意外としっかりした大人で、俺のサポートなどいらないかと思っていたが、そう上手くはいかないようで、むしろ少し安心した。 

 


 オートロックを開けてもらい、部屋のインターホンを押すと、眉尻を下げた宇佐森さんが出迎えてくれた。

 ベージュのルームウェアが、小柄な外見と相まって、野うさぎのようだ。


「兄貴ィ!」

「叫ぶなよ……!」

「悪い悪い。安心しちまってさ」


 宇佐森さんは、疲れた顔に笑みを浮かべ、俺を家の中に招き入れた。


――――すぐに、ほのかな異臭に気づく。


 嫌な予感がする。この感覚は、ツインズの家に行ったときに近い。

「お邪魔します」と声をかけて、恐る恐る部屋に上がった。

 間取りは1Kで、真っ直ぐ延びた廊下の途中には、キッチンがある。

 毎日コンビニ飯と言っていた通り、料理をしている形跡はない。

 案内されるまま、奥の部屋に足を踏み入れると、そこには惨状が広がっていた。

 いまだに荷解きがされていない段ボールの山。

 乱雑に置かれているゴミ袋。

 部屋中に散らばった洋服たち。

 中央にあるローテーブルには、カップラーメンの容器や、コンビニ弁当のゴミが放置されている。

 俺の周りにいる者は、どうしてみんな家事ができないのだろうか。


「パッキングどころか、これじゃ生活もままならねぇだろ……」

「面目ねぇ」


 宇佐森さんは、申し訳なさそうに頭を掻く。心なしか、いつも以上に小さくなっている。こうなる前に、なんとかできないものだろうか。

 俺は深くため息をつき、自分の頬を叩いた。


「ちょっと時間くれ。全部片付けてやる」


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