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夏休みに入ってすぐ、俺はツアーの準備をしていた。
明日は、ついに出発の日。
今回のツアーは全国六か所を巡る。順番は、北海道、宮城、大阪、沖縄、福岡、東京だ。
ひとつの会場に対し、移動の日、リハーサルの日、本番一日目、二日目と、計四日を要する。
こんなに長く家を空けるのは、これが初めてだ。
最後の夏休みが、ほとんど消えてしまう。それを寂しく思いつつも、どこかワクワクしている俺がいた。
早いうちに準備が終わり、一息ついていると、スマホが震え出した。
画面には、我が校の後輩にして、絶賛人気急上昇中のアイドル、キャンディスプリンクルのサナこと、柴又早苗の名が表示されていた。
「もしもし?」
『どーも! 先輩! 聞きましたよ⁉ レイ先輩たちのツアーについていくって!』
「テンション高ぇなぁ……」
顔をしかめながら、耳元からスマホを離す。
知り合って以降、たびたびサナから連絡が来るようになった。
具体的に、なんの話をするわけでもない。サナのほうから一方的にかけてきて、ベラベラ話し出したかと思えば、一方的に切られることもある。
ウザったくはあるが、そういった緩いコミュニケーションは、嫌いではない。
『気を引き締めてくださいね! ツアーは遊びじゃないんですから!』
「お前、ツアー経験あるんだっけ」
『いえ、皆無です』
「それでよく語れたな……」
『でも、間違ったことは言ってませんよね』
「……」
スマホ越しでも、やつのドヤ顔が見えるようだった。
遊びじゃないことは重々承知しているが、サナに言われると、妙に屈辱的だ。
『……まあ、その、割と心配してるんです。先輩が付き添うことになったのは、私たちのせいでもあるじゃないですか』
珍しく遠慮がちなトーンで、サナは言った。
キャンスプにマネージャーが大勢ついたことで、ミルスタに手が回っていないのは事実。
サナから見れば、自分たちのせいで、ミルスタに負担を強いている状況なのだ。
そして、その尻拭いを、俺に押しつけてしまったと思っているのだろう。
ただ、それはお門違いだ。
「お前がそんなふうに心配してるって知ったら、あいつらが怒るぞ。舐めんなってさ。それに、俺だって同じだ。これは自分で決めたことなんだから」
『……確かに、そうですよね。先輩たちなら、大丈夫ですよね!』
サナのトーンが戻る。
やはり、こいつに湿っぽい話は似合わない。
『長いツアーですから、体調には気をつけてくださいね! お腹出して寝ちゃだめですよ?』
「俺をなんだと思ってんだ」
『あ、マネージャーさんにまで、手出しちゃダメですよ!』
「ぶっ飛ばすぞ……!」
サナはケラケラと笑う。
スマホ越しなのが悔やまれる。次会ったときは、とびっきりのお仕置きを用意しておこう。
『じゃあ……応援してますから、先輩』
「ああ、ありがとな」
『お土産も期待してますよ!』
「はいはい、忘れなかったらな」
苦笑しながら、通話を切る。
相変わらず、どこまでも憎めない後輩である。
――――さて、これからどうしたものか。
家事はとっくに終わらせてあるし、やることがなくなってしまった。
玲たちも、今頃はパッキング中だろう。それを手伝えたらいいのだが、パッキングに関しては、俺よりもあいつらのほうが慣れている。下手に手を出さないほうがいい。
少し早いが、夕飯の準備でもするか。そう思ってキッチンに向かうと、再びスマホが震えた。今日はやけに電話が鳴るな。
「もしもし」
『あ、兄貴ぃ……宇佐森だけど……』
びっくりするほど情けない声が聞こえてきた。
なんだか嫌な予感がする。
「……どうした?」
『いや、その、別に大した用ってわけでもなくてさ』
ずいぶんと歯切れが悪い。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
「困りごとか?」
『べ、別に困ってるわけじゃ――――』
「困ってんだろ?」
『うっ』
電話をかけてきた時点で、何か相談したいことがあるのは明白だ。
ためらう必要はないと伝えると、彼女はぽつぽつと話し出す。
『パッキングしようと思ったんだけど……どうすりゃいいか分からんでぇ……』
――――なるほど、そう来たか。
「なんだ、そんなことか。手伝いに行こうか?」
『本当か⁉ 助かる! さすがは兄貴だ!』
「はいはい、どーも。じゃあ住所送ってくれ」
意外としっかりした大人で、俺のサポートなどいらないかと思っていたが、そう上手くはいかないようで、むしろ少し安心した。
オートロックを開けてもらい、部屋のインターホンを押すと、眉尻を下げた宇佐森さんが出迎えてくれた。
ベージュのルームウェアが、小柄な外見と相まって、野うさぎのようだ。
「兄貴ィ!」
「叫ぶなよ……!」
「悪い悪い。安心しちまってさ」
宇佐森さんは、疲れた顔に笑みを浮かべ、俺を家の中に招き入れた。
――――すぐに、ほのかな異臭に気づく。
嫌な予感がする。この感覚は、ツインズの家に行ったときに近い。
「お邪魔します」と声をかけて、恐る恐る部屋に上がった。
間取りは1Kで、真っ直ぐ延びた廊下の途中には、キッチンがある。
毎日コンビニ飯と言っていた通り、料理をしている形跡はない。
案内されるまま、奥の部屋に足を踏み入れると、そこには惨状が広がっていた。
いまだに荷解きがされていない段ボールの山。
乱雑に置かれているゴミ袋。
部屋中に散らばった洋服たち。
中央にあるローテーブルには、カップラーメンの容器や、コンビニ弁当のゴミが放置されている。
俺の周りにいる者は、どうしてみんな家事ができないのだろうか。
「パッキングどころか、これじゃ生活もままならねぇだろ……」
「面目ねぇ」
宇佐森さんは、申し訳なさそうに頭を掻く。心なしか、いつも以上に小さくなっている。こうなる前に、なんとかできないものだろうか。
俺は深くため息をつき、自分の頬を叩いた。
「ちょっと時間くれ。全部片付けてやる」




