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一生働きたくない俺が、クラスメイトの大人気アイドルに懐かれたら  作者: 岸本 和葉
第六章

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80-1 ツアーに向けた準備

 茹だるような暑さの中、俺は汗だくになりながら、なんとか学校にたどり着いた。

 もう数日辛抱すれば、念願の夏休み――――なのだが、三年生ともなると、そんな甘っちょろいことは言っていられない。

 待ち受ける受験勉強。連日夏期講習が行われ、休みが存在しない生徒もいる。

 登校してきた途端、机に突っ伏してうめき声を上げている竜二がそうだ。


「どうしたんだ? あいつ」

「夏期講習のせいで、夏休みが憂鬱なんだって」


 雪緒が、竜二に同情の視線を向ける。

 去年はあれだけはしゃいでいたのに、一年で人は変わるものである。


「俺もうかうかしてられないんだよなぁ」


 暗い顔をしながら、祐介が近づいてきた。


「お前までどうしたんだ?」

「前の模試の結果がよくなくてさ。ここで気合いを入れないと、ちょっとまずいんだ」


 祐介は眉根に深いしわを寄せながら、そう言った。

 優等生の顔すら歪めてしまうのだから、まったく受験というのは恐ろしいものである。

 すると、祐介はハッとして、下手くそな笑みを浮かべた。


「悪い! 愚痴みたいになっちゃって! 朝っぱらから気分悪いよな」

「別に気にすんなよ。みんな同じようなもんだし」


 雪緒が、うんうんと頷く。

 いくつかある人生の分岐点のうち、大学受験というのは非常に重要である。

 ここで失敗すれば、理想とする人生を送れないかもしれない。誰もがそんなふうに考えて、大きなプレッシャーを抱える。

 志望校のA判定をキープしている雪緒ですら、不安は常にあるはずだ。


「……ありがとう。そう言ってもらえると助かる」


 祐介は、どこか安心した様子を見せた。少しは助けになったのだろうか。

予鈴と共に、祐介が自席に戻っていく。


「ねえ、凛太郎」

「ん?」

「人の心配もいいけど、ちゃんと自分のことも労わってる?」


 雪緒の目は、やけに真剣だった。

 自分を労わるなんて、普段意識したこともないが、追い詰めているつもりもない。


「なんだよ急に。別に、今まで通りだけど」

「もう、夏休みは凛太郎だって忙しいんでしょ? 全国を飛び回ることになるんだし」

「ま、まあ、それはそうだけど、別に俺は――――」

「大変な思いをするのは自分じゃないって?」


 雪緒が顔を近づけてくる。

 俺は呑気に「こいつの睫毛長いなぁ」なんて考えていた。


「君は、困った人を見ると、自分のことのように心配してしまうんだ。そして、自分にも何かできることはないか、真剣に考えてしまう。違う?」

「ち、違いません」


 思わず敬語になってしまったが、そもそも、どうして説教されているのだろうか。

 とりあえず、雪緒が心配してくれていることだけは伝わってくるが。


「なんでもかんでも背負おうとしすぎないで。人に親切にできるのが、凛太郎のいいところだけど、ちゃんと自分の体力と相談してね?」

「は、はい」

「まったく、僕は君が心配でならないよ……」


 雪緒は、深くため息をついた。

 いつの間にか、俺は膝を合わせ、姿勢を正していた。

 こいつがここまで言うということは、本当に俺に言い聞かせたいことだったのだろう。

 経験上、雪緒の話はためになる。心に留めておいて損はない。


「分かったよ。無茶はしないようにする。しんどくなったときは、お前に相談していいか?」

「もちろん。いつでも待ってるからね」


 嬉しそうに笑った雪緒を見て、内心苦笑する。

 人の心配ばっかりして、自分だって同じではないか。

 まあ、指摘したところで、「僕はいいの」の一点張りだろうし、ここは黙っておく。


「あ、そういえば、マネージャー体験はどうだったの?」

「体験ってほど出番はなかったけど……まあ、大変だったな」


 実際に体験して分かったが、マネージャーは想像以上に広い視野を持つ必要がある。

 タレントに気を配るのは当然として、現場スタッフとのコミュニケーション、収録物の監修、スケジュール管理など、単調な仕事はひとつもない。

 予定通りに進まないなんてことはざらで、常に臨機応変な対応が求められる。


「その様子だと、凛太郎が彼女たちのマネージャーになるっていうのは、あり得ないみたいだね」

「まあな。俺は自分の持ち味を活かしたいんだ。そのために色々資格を取ろうとしてるわけだし」


 ツアーに同行するなんて、今回がおそらく最初で最後になるだろう。

 だからこそ、いい結果で終わりたい。

 俺は、そう強く意識していた。 



 三限目が終わった途端、竜二が勢いよく席を立つ。


「ようやくこのときが来たぁああ!」


 そう叫びながら、竜二は教室を飛び出していった。

 あまりの勢いに、クラスメイトたちは唖然とする。


「急に元気になったね……」

「よっぽど体を動かしたかったんだろうな……」


 四限目の授業は、水泳だ。

 炎天下で、冷たい水の中を泳ぐというのは、俺としても惹かれるものがある。

 さっさと移動して、着替えてしまおう。


「はぁ、僕も入れたらなぁ」


 一緒に教室を出た雪緒が、残念そうにつぶやく。

 雪緒は肌が弱く、体育にはあまり参加できない。

 特に、直射日光に晒されるプールは、こいつにとって拷問に近い。


「今度一緒に、屋内プールでも行くか? 泳ぎ方教えてやるよ」

「ほんと⁉ 約束だからね!」


 子犬のように跳ねる雪緒を見て、思わず頬が緩んだ。

 ふと、後ろから気配がして、恐る恐る振り返る。

 すると、隠れて雪緒に視線を送る、複数のクラスメイトの姿があった。男女比は、半々といったところ。おそらく、全員雪緒のファンだ。

 噂によると、雪緒の水着姿を見たがっているらしい。なんとも低俗な連中である。

 残念ながら、今日も彼らの欲望が満たされることはない。

 更衣室に入ると、そこには謎の熱気に包まれた男子たちがいた。

 その雰囲気は、さながら大事な試合に臨もうとしているスポーツ選手のようだ。


「き、気合い入ってるね……」


 雪緒の顔が引き攣っている。

 ここにいる野郎どもは、女子のスク水姿が見たくて必死なのだ。中には、少しでも目に焼きつけたいのか、目薬を差している者までいる。

 冷静なのは、俺と雪緒、そして今入ってきた祐介くらいである。

 竜二に関しては、今すぐにでもプールに入りたいらしく、すでにプールサイドで待機している。やつだけは、別の意味で飢えている。


「……大丈夫か、祐介」

「まあ、これも授業だし、仕方ないことだから」


 祐介は、そう言って困った顔をした。

 彼らのターゲットの中には、無論二階堂も入っている。

 彼氏として、彼女の水着姿を見せたくない気持ちは、俺にも分かる。


「しゃあ! 行くぞぉぉ!」

「「「おおおお!」」」


 雄叫びを上げながら、目を血走らせた男子たちがプールサイドに駆けていく。

 あれじゃ猿の群れだ。


「馬鹿どもめ。ああはなりたくねぇな」

「凛太郎、漏れてるよ」

「おっと」


 口を押さえ、俺は肩を竦めた。


――――さて、我がクラスには、雪緒以外にも多くの関心を集める者がいる。


 皆様ご存じ、乙咲玲である。

 男子たちの関心のほとんどは、玲に集まっていた。

 アイドルのスク水姿を生で拝める機会なんて、そうある話じゃない。特に、玲ほどの知名度ともなれば、なおさらである。

 ひと目でいいから見たい――――そんな馬鹿どもの欲望は、一瞬にして打ち砕かれた。

 プールサイドにいたのは、ジャージ姿の玲。


「「「そんなぁあああ!」」」


 馬鹿どもの悲鳴が響く。

 夏休み前、最後のプールの授業。これまで、アイドル業でプールの授業を休み続けていた玲が、ここに来てついに出席したというのに、まさかの見学。

 馬鹿どもが、膝から崩れ落ちていく。ひどく滑稽な姿であった。


「「「こうなったら! 他の女子でもいい!」」」


 失礼すぎるだろ。


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