四十話
会議が終わり解散となった。
各々が帰り支度を始めるタイミングでエイサはゆるりと立ち上がり、魔王軍十二将が第九席。アドラ・レルディンカの席へと足を運んだ。座っていながらも立つエイサと同じくらいの高さに視線が来る、堂々たる体躯の男。消しきれぬ潮の香りが良く似合う厳つい男で、並の肝っ玉では声をかける事すら躊躇いそうな雰囲気を身に纏っている。
「時間はあるか? アドラ将軍」
「ん? 何か用か将軍」
そんなアドラにエイサは躊躇いなく声をかけた。
エイサに向かって歩み寄って来ていたリアヴェルの姿をあえて無視しながら。
そんな彼の様子をみて僅かに青筋を立てるリアヴェルだが、エイサの用事が終われば声をかける気なのか、再度玉座に戻り座り直している。
「何、おそらくは今回アンタの世話になりそうだからな。先に挨拶をってだけだ。できる事ならあんたが戻るに合わせて、ズイーアに向かいたいと考えているが……何か問題はあるか?」
「へぇ。成程ねぇ。此度は海へ勇者が向かうと? そう言う事かい? エイサ将軍?」
「可能性の話だが……まあ、十中八九はそうなりそうだとうちの副官が予想した。そしてうちの副官の予想は今まで百パーセントあたっている。俺にとっては信じるに足る情報ってわけだ」
「わが軍最強の男がそうまで信頼を預ける副官の予想か。そりゃあ信じるに足る情報だな。分かった。なら、船を用意しよう。しばらく待ってもらえるかい?」
「勿論。海はアドラ将軍の方が間違いなく詳しいから、指示には従うさ。……ただし、勇者の事を除いてな」
「餅は餅屋。そりゃ道理だ。その道理を弁えて動いてくれるって言うんなら、俺としても文句はない。魔軍最強の力、存分に見せてもらうとしよう」
「は……おだてるなよ。海上での戦闘は生憎専門外だ。期待されすぎて、失望されるのが怖いぜ」
「天空にて龍に勝る男が良く言うものだ。その伝説。この目で見ることを楽しみにさせてもらおう」
互いに世辞を言い合いながら力量を図り合う。
差し出された手を握りながら、目の前の男が信じるに足るかを見切る。
そして、その手を離した時には大方の力量をエイサは見切り、信じるに足る男だと断定し、アドラは目の前の男の力量を図り切れない事に戦慄を抱いた。
「流石は魔王軍最強だな」
「そりゃどうも。その期待に出来る限り答える努力をしよう」
エイサはそう言うと、会議場の隅にいたモンリスを呼ぶ。
それの呼び声に応じてモンリスはエイサとアドラの下へと近づいてきた。
「モンリス。アドラ将軍とのすり合わせは任せた」
「わかりました将軍殿。……しかし、よくわかりましたね。次が海であろう事」
「ふん。ああもわかりやすくリアクションを取っていたんだ。分からないはずがないだろう。……そもそも、あのリアクションは俺にアドラ将軍に声をかけろって意味じゃなかったのか?」
「さて、何のことやら。……確かに将軍から声をかけていただく方が、スムーズに話は進むと考えておりましたが、あっしから将軍に指示を出すなど恐れ多くてできやせんぜ?」
「良く言うよ。そんな風になど欠片も思っていないくせにさ」
「ほう。流石は我が軍が誇る大戦士殿の部下だ。中々に強かな男らしいな?」
「いえいえアドラ将軍。あっしなど、どこにでもいるただの小鬼でさあ。このような小物、将軍方が気にすることもありますまい」
そう言うとモンリスは朗らかな笑みを浮かべた。
誰もが気を許しそうになるとぼけた笑みだ。
鋭い眼光でモンリスを見極めようとしていたアドラの視線がさらに鋭くなる。
一氏族を纏める立場にあるアドラが放つ重圧は並ではない。その重圧を真正面からあびて、それでもさらりとその重圧を受け流し、とぼけた笑みを浮かべ続けられるモンリスに、アドラは感心したような吐息を漏らし、そして呆れたようにエイサに言った。
「この男。俺の重圧を受けてさらりと流しておきながら自身を小物などとほざく。流石はエイサ将軍殿の片腕といったところか。俺程度の実力では、ビビらせることさえ出来ぬらしい」
「何をおっしゃりますかアドラ将軍。十分以上にビビっておりますとも」
「ふん。ビビっている男が、そうまでとぼけた顔ができるものか。成程、肝の太さは将軍殿譲りという事か? 気に入った。男の価値は肝の太さで決まるからな」
「へへへ。これも、すべて我が将軍殿の威光の賜物でさぁ。後ろに我が将軍がいるとあれば、何を恐れる必要がありましょうや」
「成程。それは然りだ。確かに我らが筆頭将軍殿が後ろ盾にある。これ以上の援護は望むべくもない。見事な信頼関係を築いているものだ」
「本当に調子がいい男だろう? これで、人を見る目と戦術を読む目、戦況の流れを見切る能力。なにより、自分の望む形に戦場を整える能力は俺など足元にも及ばぬから質が悪いのさ。戦争において武力など一つの要素でしかない事を良く教えてくれる。まさに戦争における白眉だよこいつは」
呆れたようにエイサは言うがその内容は彼の事をべた褒めしている。
エイサにとってモンリスを自身の陣営に加えることができたことが望外の幸運である。魔王軍最強の男に言外とはいえそこまで言わせる男がいるという事にアドラは驚いた。
見た目はどこぞにいる小鬼と大差ない。しかし、その目に宿る知性の光は、確かにエイサの言葉を肯定するに足るものを宿していた。
「お戯れを。そうまで高く評されるとあっしも困ってしまいやすぜ?」
「そんなタマかよ。お前が」
照れた風を見せるその姿さえ演技だと言わんばかりにエイサは肩を竦めた。
その様子をアドラはじっくりと見つめる。
小鬼というやつはともかく、自尊心が強く、その上で愚かでありながら小賢しく、自分を必要以上に大きく見せたがるところがある種族だ。その上で力も魔力も弱くおつむの出来だって褒められたものではない弱小種族。
しかし成程。
いかなる種族にも英雄はいるものだ。
目の前のモンリスという男の振る舞いは隠してはいるが英傑のそれだ。
隠しても隠し切れぬ才覚の片鱗が匂い立つ。
「相分かった。それでエイサ将軍。出立はいつ頃で?」
「それも含めて、モンリスと打ち合わせを頼む。子細全て、こいつに任せてある。生憎俺に戦術面で答えられるようなことは無い。そしてまた興味もない。俺に求められている役割は勇者を討つ。ただそれだけだからな」
「それはそれでどうなんだろうな?」
「さて、良くは無かろうが、この有り方しか俺には出来ぬし、魔王もそれを認めた」
「魔王様が認めた以上は、仕方がない……か。いいだろう。では、しばしモンリス殿を借りるぞ?」
「はは、アドラ将軍。俺っちを殿付けで呼ぶ必要なんざありませんぜ? ただのモンリスで十分でさあ」
「ではモンリス。別室で子細を詰めるとするが、構わぬか?」
「勿論。ありがたいことでさあ。エイサ将軍はどうしやすか?」
モンリスの言葉にエイサは首の動きだけで魔王の方を示した。
そちらに視線を向けてみれば、玉座にて頬杖をつきながら、穴が開きそうなほどに熱視線を送ってくる魔王の姿見えた。それを見てモンリスとアドラは苦笑する。
「羨ましい事だな筆頭殿。あれ程美女に、熱視線を送られるってのは、男としての誉れだろう?」
「なら変わってくれるのか? アドラ殿。あの視線の先は俺たちに向いているぜ?」
「ふむ。こちら風に言えば、馬に蹴られたくはない。と言うべきだろう。俺は遠慮させてもらう」
そう言ってからからと笑うアドラにエイサは大きなため息をついて、こちらへ視線を送り続けてくる魔王の方へ視線をちらりと向ける。満面の笑みを浮かべる麗しの魔王様と目が合った。
頬をかく。
そして仕方がないと言わんばかりにリアヴェルの下へと歩み寄る。
「何か御用で? 魔王様」
「あら、用が無くては呼んではならぬのか? 我が剣よ」
「面倒な構い方をしやがって」
「何か言った?」
「何にも。それで? いったい何の用だ? まさか、何もなくて呼んだわけじゃないんだろう?」
エイサの問いにリアヴェルは顎に手を当て何かを考えるようなしぐさをした。
その態度にエイサは手を頭に当てて、頭痛を抑えるしかない。
「……おい。本当に用がないなら、下がらせてもらうが?」
「取り立てて急ぐほどの用は……確かにないわね」
「なら……」
「でも、これからの予定について確認しておきたくはある。我が切り札の居場所。それくらいは常に把握しておきたいもの。……というか貴方くらいよ? 将軍位にありながら事後報告で行き先を決めるの。他の将軍はちゃんと事前に行動計画を私に提出しているもの」
「それは俺の動きの特異性に由来するものだ。しょうがないだろうに」
「だけど、今回はもうわかっているんでしょう? アドラと話していたっていう事はそういう事でしょうし」
エイサは勇者を迎撃するために弾力的に動く。つまり、勇者の動きを掴んでからしか動かないという事であり、掴んだ瞬間には行動に移さなければ間に合わなかったのが今までだ。モンリスがエイサの下に収まるまで、勇者の動きを掴むという事は戦場で勇者を発見したと言う事に他ならなかったからだ。
戦場に勇者が現れた瞬間に飛び出して勇者を討つ。それこそが、エイサに与えられた使命であり、それを一々魔王に報告してから動いていては初動が遅れる。初動が遅れれば被害が大きくなるという事情があった故の特例だ。
しかしモンリスがエイサの部下に収まって以来、その状況は改善されている。
彼の類まれなる戦略眼と情報収集能力により、悉く先手を勇者の先手を取れるようになったからだ。
ならば、当然それを報告する義務がある。
「……海だ」
「もう少しまともな報告しなさいよ。まあ、それで分かると言えばわかるけど、そんな報告上げたら、突っ返されるわよ?」
「何処にいるかさえ分かればいいんだろう? 俺の目的など一つしかないんだ」
「それでも、成すべき事を成す。当然の事じゃない」
「……わかったよ。なら、これからはモンリスに書類を準備させる。それでいいか?」
「全く……本来なら許されることじゃないけど……私、貴方には甘いから、それで許してあげる。ただし、自分で持ってきなさい。それが条件」
その言葉にエイサはため息をついた。
それは、彼女の真意を理解したからだ。
目の前でにこやかな笑みを浮かべるこの女の真の目的。それを悟ってエイサは彼女を半目で睨んだ。
「お前、もしかして俺と喋りたいとかいう、そんな糞詰まらない理由でそんなことを言い出した訳じゃないだろうな?」
「さて、どうかしらね?」
くすくすと笑うその笑みはとてもきれいな笑みで、エイサはそれ以上突っ込むのを止めた。突っ込んだところではぐらかされるだけなのが目に見えたからだ。大きなため息を一つつく。そんなエイサの様子を見てリアヴェルはその笑みをさらに深くした。