四十一話
真夏の太陽が降り注ぐ砂浜で、エイサは漆黒の鎧の中で蒸し焼きにされそうになっていた。
下手をすれば死んでしまうのではないかと思う程に太陽は輝き、その熱を大地に注いでいる。吹く潮風は僅かに鎧を冷やすが、まさしくもって焼け石に水。むしろ、潮風による劣化を気にさせるだけで、何一つ心地よくなかった。
娯楽で海に来るのならこの潮風も楽しめるのだろうが、戦いのために来ているエイサにとってはただただ鬱陶しいだけのものだった。
「だかえ海は嫌いなんだ。昔からいい思い出がない」
「あー……将軍の鎧真っ黒ですからねぇ。そりゃ暑いでしょ」
「だからと言って脱ぐわけにもいかないってのが辛いところだ」
忌々し気に胸元を見ながらモンリスにエイサはそう返した。
視線の先にあるのは勇者の証。
いつ如何なる時、女神からの神託があるか分からない以上、彼に鎧を脱ぐと言う選択肢はない意識がしっかりとしている状況であるなら、振り払えないことは無いだろうが、振り払うに際してどんな被害が出るか分からない以上、脱がない方がましだからだ。
「アドラ将軍。ここって言ってたよな?」
「間違いないはずっすよ。ズイーアの港、その一番近くの砂浜に午前十一時」
「現在時刻は?」
「午前十時五十五分っす」
「船影は影も形もないな」
「そうっすねぇ」
「それどころか、沖合に船一つ見えな……いや待て」
「船、見えましたか?」
「いや、船は見えないが、妙な気配が寄って来てる」
そうエイサが呟いた瞬間に船の先端が海中より浮上してきた。
そのままの勢いで砂浜に突っ込むと、呆然としている二人の目の前で止まる。
ぼたぼたとたれ落ちる海水から、潮の匂いが周囲に広がっていった。
「すげぇな」
「すごいっすね」
大きな帆船だった。
どういう理屈で水中を進んできたのかわからない程に巨大なそれが目の前にそびえたっている。
その船の中より、アドラが現れ、興味深げに眺めているエイサを呼んだ。
「おお、将軍。こっちだ。甲板まで上がって来い」
「わかった。すぐに向かう。モンリス、担ぐぞ?」
「いや、あっしは普通にのりこ……」
最後までモンリスが言い切る前にエイサは彼を担ぎ軽い足取りで船を駆けあがった。そしてアドラの待つ甲板に音もたてずに着地する。全身鎧を身に纏い、その上でモンリスという重しを抱えて、容易く甲板にまで駆け上がるその身体能力にアドラは感嘆の息を漏らした。
「流石だな将軍」
「そりゃどうも。……しかしこの船、俺たちでも乗れるのか? 俺たちは生憎だが水の中で呼吸ができないぞ?」
「ははは。流石にそのくらいの事は理解してるさ。安心しな将軍。この船は水中と水上の両方に対応している。基本的には水中で運用するのが基本だが、水辺の種族以外が乗る場合は、海上で運用したって問題ない。というか物資の運搬は基本的に海上を用いて行ってるしな」
「へぇ。そうなんだな」
そう言うとエイサは船を軽くたたいて調子を確かめる。
水中を潜って現れたと言うのに、船の甲板に用いられている木が湿気た様子はない。魔力か何かを用いて、特殊なコーティングがされているらしい。跳ね返ってくる音はすこぶる硬質で、乾いた音だった。
「海上で風を受けて動くってのは理解できやすが、これ海の中をどうやって動くんですかい?」
「人力」
「は?」
「いや、流石に冗談だ。半分はな」
そう言うとアドラは笑った。
その様子にモンリスは苦笑するしかできない。
「人力ではないとなると、どうやって? ってか、半分ってどういう意味でさあ?」
「海流を掴む。そのあたりは俺たちの得意分野だ。んで、半分ってのは掴むまでは俺たちが自力で運ぶって意味さ。……ああ、安心してくれ将軍。流石にお客様に手伝ってもらったりはしない」
「はは。一安心だな。流石にこのサイズのものを動かすのは骨だ」
そこで出来ないと言わないあたりが将軍らしい。そんなことをモンリスは思った。そして同時に、この人なら出来ないわけではないんだろうなぁと、漠然と思う。正直な話、正気の沙汰ではないが、この男ならやってできないことは無いだろうと言う信頼がある。出来ない事はしないが、また同時に出来ない事を出来るとも言わない男だという信頼がモンリスにはある。
「それで、これからの予定は?」
「ナグラムへ物資を運ぶ。んで、それが終わったら、いつも通り敵方の補給線を叩く」
「勇者が出てくるのは補給線を叩く際かと予想されますんで、エイサ将軍にはいつも通りそれまでは待機って事で、お願いします」
「となれば、時期としては2日後くらいか」
「奴さんも随分と慌ててるようで、勇者を攻撃にではなく防御に使う。割と悪手なんですが、貧すれば鈍する。そう言う事なんでしょうね」
そう言うとモンリスは大きなため息をついた。そこには戦力を無駄遣いする王国軍に対する憤りが見える。小鬼という種族はどこにでもいる。それこそ、魔王軍領から王国軍領にまで幅広くだ。基本的には単純労働や、下級兵卒としての役回りに従事している者が多いが、王国軍でも採用されていることに違いない。それはつまり、目の前の男も歯車が噛み合えば、王国軍側についていた可能性があるという事だ。
エイサは目を細めた。
エイサ自身の過去をモンリスにはいくつか話したが、この男の過去をエイサはほとんど知らない。
軽い口調で雑談を交わすが、自らの過去についてはほとんど触れないのが、モンリスという男である。
そしてまた、エイサも口を紡ぐことに関して、積極的には問いたださない質だ。モンリスがどのような過去を抱えていようと、勇者を殺すために役に立つのであればそれでいい。それはある種の無関心だが、そう言うエイサの態度がモンリスには心地よかった。
エイサという男はモンリスの能力にしか興味がない。逆に言えばその能力のみを純粋に評価して重用しているという事にほかならず、正当な評価を受けられなかった彼にとっては、それでこそやり甲斐があると言うものだった。
「無論、エイサ将軍が立ち回ってくれると言うのであれば、俺として止めるつもりは無いが?」
揶揄う様にアドラが言った。
その言葉にエイサは肩を竦めるだけで返す。
そして、そんなエイサの態度を補完するようにモンリスが続けた。
「それは悪手っすよアドラ将軍」
「ん? そうなのか? 将軍ほどの武名があるのなら、それを前面に押し出せばそれだけで王国軍の統制は崩れそうなものだが?」
「おっしゃる通り一つの戦場におけるエイサ将軍は無敵でしょう。単騎で戦場の趨勢を決めるに足るほどに。だけど、それだけで戦争は決まらないのが、戦争の妙。将軍が百戦して百勝しても他の戦場で百敗すれば五分。百一敗すれば負けるんですよ」
「……おいおい、それは余りにも他の将を甘く見すぎてはいないか?」
「勿論、他の戦場で他の人たちが負けるなんて思ってはいませんよ。だけど、うちの軍は残念ながら軍としては三流以下っすから」
モンリスの言葉にアドラが目を細めた。
それは魔王軍全体に対する侮辱を許せるほど、アドラという男は気が長くない。魔王に絶対の忠誠を誓っている身として、魔王軍に対する侮辱は魔王に対する侮辱と同じだからだ。よく回るモンリスの口をふさぐためにアドラは手を伸ばし、そしてその手をエイサに止められた。
「何のつもりだ? エイサ将軍」
「それは此方のセリフだぜアドラ将軍。俺の副官に何をするつもりだ」
「知れたこと。こやつの良く回る口を塞ぐのよ。二度、三度気合を入れてやれば、減らず口も少しは落ち着くだろう」
「こいつの言葉は俺の言葉に同じ。こいつの言葉を力づくで遮るのであれば、まずは俺を力づくでどうにかしみるんだな」
エイサがその言葉を告げた瞬間に、彼の顔に向かってアドラの拳が放たれた。
その一撃をエイサは容易く受け止める。
船の上で力比べが始まる。ギリギリとアドラの拳とエイサの手のひらが音を立てた。
「ふん!!」
「は」
その体勢のままにアドラはエイサの腹部へ蹴りを放つ。
至近距離より放たれたその一撃をエイサは鎧で受け止めた。
身じろぎ一つせずに、そのままアドラを船外へと放り投げる。大きな水柱を上げて、アドラが海へと落下した。
「モンリス。アドラ将軍への詳しい説明を考えておけよ」
「一から順に説明するつもりだったんですがね。それで将軍は?」
「このまま将軍の気が済むとは思えん。少しばかり殴り合いに付き合ってくる。まあ、自分のフィールドでボコボコにされれば、少しは話を聞く気になるだろうさ」
そう言うとエイサは甲板に備え付けてあった手すりに腰を下ろした。そして自身の大剣を外して甲板に投げおくとそのまま後ろに体重をかけて、海へと頭から飛び込もうとする。
その直前にモンリスがエイサに向けて頭を下げて謝辞を告げた。
「申し訳ないっす将軍」
「なに、喧嘩は海の男が好むもの。なら、最初に付き合ってやった方が面倒は少ないだろうさ。わざわざお前が挑発したのもそれが理由だろう?」
エイサの言葉に苦笑いを浮かべるモンリス。
その表情を見ながらエイサは海へ向かって身を投げた。
水音小さく、水柱も殆ど立てず水中に滑落すると、水の中で待ち構えていたアドラの姿が上下逆さまに見えた。その表情は怒り狂ったものではなく、自ら水中へと飛び込んできたエイサに対する称賛の笑みで彩られている。モンリスの無礼な物言いに怒った風を見せたのも演技、この男もモンリスの芝居に一つ乗った口らしい。
どうやら、この喧嘩は予定調和。
そしてそれを知らなかったのはエイサだけらしい。
粗雑に扱われているのか、信頼されているのか微妙なところだな。などと脳裏で考えながら、エイサはアドラに向けて手招きをして見せた。それに応じて、実に楽しそうにアドラは拳を振るう。水の抵抗を感じさせない速度の突きは流石は水辺を住処とする魚人の一撃だ。
それを拳で容易く迎撃して見せる。
撃ち落とした勢いのままに蹴りを放つと、それをあえてブロックさせそのまま海面近くにまで弾き飛ばす。その勢いにアドラの両目が見開かれた。水の圧に負けて大した速度出せていない一撃だと思って受け止めたが、そんな速度の蹴りで海面近くにまで弾き飛ばすエイサの力量に目を白黒させる。そして、ブロックした腕に残る痺れを戦いに対する興奮へと移すままに、興奮の笑みを浮かべエイサへ向かって突撃した。




