十二話
戦場をエイサは自らの愛馬と共に駆け抜けていく。
目の前に迷い出た哀れな兵隊を、一撃にて斬り飛ばし、まるで無人の野をかけ行くが如く。
目標はただ一つ、只一振りの槍を扱って、戦場で無双を成す男だ。
もっとも、エイサはそれほど槍の男に執着してはいない。彼が勇者一行の一員であることは、彼自身の復讐の対象になるという訳ではないからだ。
彼自身の復讐の対象はあくまでも勇者アリスただ一人。
女神と同じ名を持ち、聖典に語られる女神と同じ容姿を湛える、純白無垢の勇者様。それがエイサが戦う唯一の理由である。だからこそ、勇者一行一員を狙うのはあくまでおまけにすぎない。勇者一行一員の危機になら、勇者本人も動かざるを得ないだろうという判断の元、恨みつらみも一切なく、当然のようにその首を狙いに行ける。
狂っていると。エイサの在り方を誰かが言った。
その言葉をエイサは否定せず、むしろ的を射ていると返した。
勇者の身に執着し、勇者の身を殺すと定め、そのためにならいかなる非道も肯定するその在り方がまともであるはずがない。ならば、おそらく自分は狂っているのだろうと、エイサは冷静に自身の狂気を受け入れた。そして、その狂気のままに、勇者を殺すという原動力のみで彼は今も動き続けている。
距離が縮まった。
槍使いの男もエイサに気が付き、余裕の表情を浮かべたまま槍を構える。
周囲の兵隊たちより、黒騎士だの暗黒卿だの忠告が男に飛んだが、それを歯牙にもかけず彼はエイサを迎え撃つことを選んだ。
跳躍。
自身の槍を用いて棒高跳びの要領で中空へと飛びあがり、エイサに向かって槍を叩きつける。
それに応じてエイサは、小手より数本のナイフを取り出して投擲するが、それを槍使いの男は空中にて全て貫いた。刃が容易く貫かれるという理不尽な光景に彼の持つ槍が、アリスティアと同じ性質を持つことを看破する。
覚悟してはいたが、彼の槍は穂先に触れたものをそれだけで切断、もしくは貫通してしまう神様の加護を宿す聖槍らしい。叩きつけられる槍の柄の部分に左手に装備した盾を用いて穂先をそらし、一撃を受けることを避け、そのままの勢いで大剣を彼の体へと叩きつけた。
その一撃を槍使いの男は空振りした槍の勢いを自身の筋力に任せて引き戻し、エイサの大剣を受け止める。
爆発音じみた金属音が周囲に響き渡った。
空中では踏ん張ることもできずに弾き飛ばされた槍の男に向かい、再度小手より引き出した短剣を投擲。数は三つ。眉間、喉、心臓の三急所に向けて、狙い過たず飛来するそれを、二つは片手で挟みとり、眉間に迫る一つは空中でバク転して回避して見せた。
返礼と言わんばかりに短剣を投擲し返す。片方はエイサへ、片方は彼の愛馬へ。
エイサに向かって放たれた一撃。狙いは正確だが、当たったところで痛痒は無い。故にそれを無視して、愛馬への投擲を大剣で弾くと、その隙をついて槍使いの男はエイサへの突撃を再度敢行した。躊躇いの無い鋭い踏み込み。それに応じるように、エイサも愛馬より飛び降りて突き抜かれる一撃を回避し、そのまま槍の柄を真上から踏みつけることで動きを封じた。
そのまま大剣を振り下ろす。
頭蓋をかち割るはずの一撃を紙一重で回避して、その勢いのまま回し蹴り。エイサはそれを鎧で受けた。当然小動もしない。蹴りこまれた足をつかみ取る。同時に、てこの原理で引き抜かれた槍が彼の足をつかむ腕へと払われた。
手を離す。頭から落ちる瞬間、槍を足で抱え手をついてバク転。エイサより槍使いの男は距離を取った。しかし、エイサはそれさえも読んで、逃げ道へと短刀を投擲している。
「チッ」
舌打ちを一つ。足で器用に槍を扱い二本までははじき、もう一本を首をかしげて回避した。視線が切れた。その隙を逃すことなくエイサは槍使いの男に劣らぬ速度で背後へ回り込むと同時に、その大剣を振るった。
鮮血が戦場に舞う。同時に槍使いの左腕も空中に舞った。
「テメェ」
槍使いの男がエイサを睨む。すさまじい敵意が男からあふれるが、そんなものを気にするエイサではない。当然のように決めに行く。
「チィッ 炎の壁!!」
近づかれることを嫌った槍使いの魔法が発動して、視界を灼熱の炎が埋め尽くす。
詠唱破棄でこの威力。術師としても間違いなく一流。だからこそさらに懸念が増す。魔法なんぞ学べるところが限られているはずだ。しかもこの威力。心当たりが全くないことが、あまりにも不可思議だった。
とは言え、エイサには意味がない。
大剣を一閃。炎の壁ごと槍使いの腹部をえぐり取る。致命傷だ。しかし、目の前の男の眼の光はまるで消えていない。
「名前も知らないもモブかと思ったんだが、テメェ何もんだよ? ブレヒロやり込んだつもりだけど、あんたみたいなのは初めて見た」
言いながら、片手で槍を構えなおす。動くたびに臓腑から血潮があふれ、臓物が零れていくというのに、一切合切それに頓着していない男の在り方に、エイサは兜の中で眉をひそめた。
男の傷は間違いなく致命傷だ。どうあがいても死ぬ以外の結論がない手遅れの状況だ。その状況下で戦意を一切弱らせず、常と変わらぬ意気を保つなど、生命としてあり得ない。多少の痛みはアドレナリンがごまかすにしても、内臓を抉った一撃の痛みまで無視できるなどありえない。
「……それは此方のセリフだ槍使い。貴様ほどの気狂いが無名であったとは信じられん。貴様こそなんだ」
「あ? 決まってんだろう。この世界を救って見せる主人公様だよっ!!」
言葉と同時に男が再度踏み込んだ。
肉体的にダメージを受けているはずなのに、一切それを感じさせない踏み込みはエイサのをして驚愕に値する。戦闘時において痛みを超越して体が動くことはままありうることだ。しかし、それは体が動くというだけで、性能が低下しないという訳ではない。内臓にまで到達した傷、失われた左腕。そんな状況であれば、どんな達人であっても動きのキレが落ちるはずだ。それを無視できるのはそれこそ、超越種と呼ばれる存在のみ。
右腕一本で放たれる突きを、自身の大剣で捌く。捌くたびに技の切れが増していく男の力量に違和感を拭い去ることができぬまま、エイサは視線は鋭くなっていく。
何者かというよりも男の精神性に興味を抱く。槍を捌くたび、卓越した力量よりも零れる血液を無視して戦い続ける有り方にこそ目が引かれる。痛みを感じていないのか。そして何より自身が死ぬことに対して恐怖を抱いていないかのような戦いぶりは、異様と言うほかない。
勇者一行の一員としてこれ程までに符合する精神性を持つ男が都合よくいていいのか。戦闘における技量の卓越性も確かに、違和感を抱くべきところではあったが、そんなことよりも、生死にこれほどまでに頓着しない男は、長く戦場に立つエイサをして初めて見る。
「お前、死に急ぐ……という様な訳でもないのに。なんだ、その戦い方は」
だからこそ漏れ出た言葉は本心だった。
戦場で本心を漏らすという失態に、自分自身へ舌打ちをこぼす。しかし、それが槍使いの男には聞こえなかったらしい、エイサの疑問に当然のように答えた。
「死に覚えゲーに、自分が死ぬことにビビって戦ってクリアできるかっての」
「は?」
帰ってきた回答をエイサは理解できなかった。
戦場において、自分が死ぬことを勘定に入れて戦う者は時たま存在する。
しかし、それはあくまで、自身が死ぬことにより全体が生きる。自身が死ぬことで状況の打開につながるからといった理由があるから行える自己犠牲であって、誰も死にたくて死に急ぐわけではない。
だが目の前の男は違う。
いまだ勇者一行として含まれていないのは斬り飛ばした左腕が、残っていることから明らか、故にこの男はまだ神の加護。すなわち全滅時自動蘇生の恩恵がない。
そもそもからして全滅時自動蘇生の奇跡など、勇者を見るまで眉唾にもほどがある代物だ。それを、自身が享受することを前提に動いている。
意味が分からない。
理屈に合わない。
目の前の男の言っている意味が、欠片もエイサには理解できなかった。また、気狂いの類かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。放たれる突き、払いを受け流し男の槍術を見極めるが、その技は術理に沿っている。狂った思考回路では到底たどり着けない技の切れにますます理解が及ばない。
「だが、もういい」
理解できないことを無理に理解する必要も、理解する意味も全くない。
エイサは全てをそう切り捨てて、目の前の男を打倒するためにに全霊を絞ることを決めた。就社をおぼき出すための餌のつもりだったが、この男が勇者一行の一員となった時のデメリットは見過ごせない。故に。
ギアを一つ上げた。
踏み込みの速度も斬撃の威力もエイサの自身の性能さえも一つ上の領域に至り、それを見て槍使いの男もさらにギアを上げる。だが、槍使いの男が上げたギアの性能とエイサのギアの性能では圧倒的な差があった。速度を重点を置いて鍛え上げた槍使い。その性質をして重戦士たるエイサの速度にまるで追いつかない。防戦一方で首を撥ねられないようにするだけで精いっぱいだ。
「隠しボスかよテメェ」
「一度たりとも隠れたつもりなどない」
吠える槍使いの言葉を無視して斬撃を叩き込む。穂先が掠ればそれだけで刃の部分であろうと斬り飛ばす、理不尽性能を誇る神槍をもって、防戦一方。反撃に出ることができない程の力量差に槍使いの男が吠える。
「こんなん、卑怯じゃねぇかテメェ!! ふざけんな!! もっと正々堂々とやりあえや!!」
「その槍を使う貴様が言うか……」
苦し紛れに放たれた槍の一撃を紙一重で交わし、そのまま小脇に挟み込む。それを見て慌てて槍使いの男が、神槍を手元にひこうとするが、その槍はびくともしなかった。
「うぉわ!?」
槍ごと男を持ち上げて、地面へ叩きつける。
二度、三度、四度、五度。
大地に叩きつけるたびに、地面のひびが増えていく。
そんな勢いで叩きつけられてなお、槍を手放さない男に内心で称賛を送りつつも、最後に叩きつけた瞬間に、左手に握った大剣を地面に倒れ伏す男に突き刺した。
鮮血が再び舞う。
胸元に突き刺したのち、頭蓋を両断するように切り上げたその一撃は、完璧に槍使いの男に止めを刺した。
死した男の肉体が光の粒子へと変わっていく。
勇者一行の一員が死亡したときと同じ輝きに、エイサは間に合わなかったことを悟る。そして、同時に宿敵の到着に大剣を握る左手にさらなる力が入った。
「遅かったな、勇者」
「エイサ」
神聖なる気配の方へ視界を向ければ、そこには彼が思い描いていた宿敵の姿があった。
神剣アリスティアを構えた、金髪の美少女。
女神アリスと同じ名を持つ、人界における最強の誉れも高き勇者。
背後にて彼女を援護するために立つのは聖女フィリア、そして幼くして賢者と名高きシェリス。この三人に加えて、先の槍使いとなれば、なるほど随分とバランスの取れたパーティになる。
「あとはレンジャーがいれば、ってところかな?」
皮肉気にエイサはそういって剣を構えた。これで四人。四対一でも負けるつもりは一切なかったが、面倒であることは確かだ。そういう意味で槍使いの実力をここで測れたのは中々に大きな収穫だ。
「行くぞ、勇者。その首此度ももらい受ける」
疾風を纏いて勇者に向けて切りかかる。
それに応じるように勇者もその神剣をもって戦闘を開始した。
結果は言うまでもない。
以前シェリスを隠して戦闘を行ってなお、勝利をつかめなかった勇者一行が、どれ程力を尽くそうと、エイサにはまるで及ばない。
故に此度もエイサは自身の復讐を成し遂げる。
しかし、彼の復讐は終わらない。
此度も勇者の屍は金色の粒子となって空中へと散っていった。それは今度も勇者が蘇生する証である。ならば……
「ああ、幾度でもよみがえれ勇者。俺は幾度でもお前を殺そう」
勇者が打たれ士気が崩壊したノルビを背にユリニオンが敷いた陣内へ戻りつつ、エイサはそうつぶやいた。