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乱の15 その暇人を起こしてはいけない

世界を照らす光が、顔を出したばかりの刻だった。

常ならば王はおろか国の重鎮達も、深い眠りについている時刻だ。

「陛下、御出立の準備が整いました」

城と、そして国家の中心たる王の自室で、重く厳格な声が響いた。声の主は騎士の総隊長ゼオン。王の近衛の役割も果たす英傑だ。深紅の軍服に身を包み、肩には銀の縁取りをされた美しい赤色の肩章がつけられている。

「そうか」

澄んだ声が返る。背を抜ける主の長い銀髪は、背できつく一つに結ばれて、腰には最高級品とされる白鉄の剣があった。柄と鞘に金の装飾の施された威厳ある王の剣が、しかし彼の気配に溶け込んで添えられている。

王たるアルゼムの立ち姿は背筋も伸びて、彫刻家の作り出した像のように優雅だった。

それであるのに雄々しく、麗しくも男らしい姿だ。美帝の名は伊達ではない。

アルゼムは生まれ持つ麗しさと共に、彼自身が鍛え上げた無駄の無い筋肉を持っていた。細身だが、実のところは逞しい姿を鏡に映されながら、彼は白く光る窓辺で外を眺めていた。

白ずむ大気の涼やかな朝は、溶け出した雪水のよう、冷たいながらも心地よい。

穢れなき生まれたばかりの陽を浴びて、城の白い壁は淡くその存在を世界に示していた。側面には、巡るように赤い筋が伸びている。純白の壁上では異様に映えて見える赤は、どこの世界でも血を連想させて、特に戦時中の人間は忌み嫌うものだが。

この国は違った。生命の源である血に対し嫌悪を抱く者は無く、むしろ命と力を与えてくれる神秘の色として赤を崇めていた。建国時には国色と祭り上げられたこの色が、アルザート国及び国民にとっては、この上もない最高の色だった。

王の居城にはうってつけの、国民意識内最高位に在る色なのだ。

「国の為に・・・・か」

しかし国の中心たる国王は、その赤色を身に纏うことはない。

所以は、先々代の王であり現国王の祖父に当たる、故アラート王の出した命にある。

尊称を「賢王」とされた先々代は、今でも民に愛される名君であった。死後、数十年たっても、治めていた時代を誇らしく語り継ぐ老人が後を断たない。

彼は歴代最も民に愛され、最も早く死んだ王であった。

享年38歳、死は痛みを伴って国に優しい記憶を残していった。

後は息子に当たる前国王が14の若さで王位に付いたが。何の因果か、彼もまた45歳という若さで他界した。

短命の王ではあったが、それでも賢王は国に良き新法を多く残した。

その彼が作りし新法の中で、ひときわ異色を放つ法がある。

それが赤の色を王が着ない、というものであった。


当時、彼が放った言葉は次の通りだ。


 『民が国家の血肉であり、国の官吏たちが筋である。王とは骨の如き媒介でしかない。骨は確かに重要では在るが、筋と肉がなければ動くこともできず、血が荒れれば身を保つ事すらできず滅ぶもの。それは血が最も重要である事を示している。

だからこそ王と官吏は、常に民を尊重せねばならない。

よって、今や権力を示す色と成り下がった崇高なる血色を、王と官吏が衣に纏うことを廃する。これからは、骨の白を王が、指定の色を各部署の官吏が纏うこととする。

だが忘れるな。

筋は、骨と血が強く無くば意味を成さぬことを。忘れる事無く留意せよ』


その後、わずかな装飾品を除き、王が赤の色を身に纏うことはなくなった。

                      「アルザートの賢王 アラート帝王語録集」参照



今、国を治めるはアルゼム・ヴィルシリー。賢王の孫にあたるアルザートの現王だ。

先々代の意思を継ぎ、白き衣に身を包む彼が立つ世界は、波乱の只中にあった。再びそれを大きく動かす旅の初日は、変化を待つように世界が止まっている。

目覚めた時分には、開けられた窓から涼しい風が流れてきたというのに、今ガラス越しで見る世界に風はない。まるで、世界がこれから行われる事を黙認しているかのようだった。


この止まった世界のどこかで、アルゼムがその漆黒の瞳の中に閉じ込めたいあの人は、今何をしているのか。

本を読んでいるのだろうか、自分と同じように景色を眺めているのだろうか、まだ眠っているのだろうか。あの水色の瞳には、今何が映っているのか。

(少しは、私のことを想ってくれているだろうか)

愛しい女性は、密偵からの報告では城から出ることもできず、自由のない生活を強いられているという。アルザートに盗まれないようにと、まるで飼われているように。

(かわいそうに・・・・・すぐに迎えへ行くから、それまで我慢しておくれ)

憂いに歪められた横顔を、窓辺の鏡が捉えていた。鏡の中の彼の、白く長い指が曲げられて、強い意志の宿る拳を作る。固い拳が開けられると、意志の力は移動して開けられた瞳に宿った。強い瞳は外へ向けられたまま、声だけが背後へ向かう。

「行くぞ」

再び澄んだ声が、しかし重く放たれた。静寂した水面に、一滴の雫が落とされたのだ。

「御意」

波紋の起こった水面は、新たな波紋を誘った。二つの波紋は静かにその力を失って、開けられた扉が閉まる波紋と共に、再び長い静寂が室内に流れ始めた。

音を失った静寂の世界は、時を止めたままいつまで在り続けるのか。閉ざされた小さな静寂の周りの外界では、数多の波紋が広がっているというのに。

外の波紋は、互いに重なる度に力を増して怒涛の波を作り出そうとしている。巨大な波音は、近い未来静寂の世界へ侵入してくるかもしれない。それでも静寂の中で動きを求め、全てを反射する鏡はまだ、動くことのない窓辺を映し続けていた。

王が動きだした今も、世界はまだ動かないでいる。


 

  *


(・・・・・・・・僕もう疲れたよ、なんだかとっても動きたいんだ)

戦の為手入れの及ばなかった城の一角、木々の立ち並ぶ深い緑の中で寝転がる。

一応、身を潜めているクローは、うつろな瞳を隠して呟いた。決して大きいとは呼べない体は丈の長い雑草の中で見事に埋もれ、誰かが近くを通っても、一見だけでは見つけられないだろう。

(出立は終わったし、やることないよ・・・・)

国家反逆の罪により、国に目を付けられ「黒の魔術師」と姿形そのままの異名を付けられた少年は、あくびをかみ殺して天を見た。大事無かったとはいえ結局覗いてしまった国王出立の光景が、木漏れ日より良く視えた。

『王の出立は迅速かつ秘密裏に行われました』

それで報告は成る。・・・物足りない。

(あーあ・・・・・・・・さすがに寝ちゃいけないだろ?)

隠れ蓑にしている木立間は広く、青すぎる空が良く見えた。雲ひとつ無く、飛ぶ鳥も、風も、再び時間が動く時を待っているかのよう。彼らは決して姿を見せない。

時の止められた大空にあるのは太古の昔より変わることなく世界を照らす輝きのみだった。

近寄ることを許さない強い太陽は、見つめることすら許さずに、見る者の眼を焼き、視界を奪う。だというのにこの世界に住まう限り、すべての生命が太陽に感謝をしながら生きねばならない。

近寄ることは許さずとも、見る者の体に生命の輝きを与える孤高の存在。こちらは直視することもできないのに、あちらはいつも見守っている。

それは玉座に似た立場に思える。少年が嫌いな、者どもの頂点である玉座に。

だから彼は陽の光も嫌いなのだろうか。

少年自身よく分かっていないが、天才たる彼が火術は大の苦手であった。

(・・・・・・暇だ・・・・・・・・・・暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ)

少年は寝転んだままごろりと横を向き、視界を澄み切った青い空から青々と茂る緑に移した。スッと伸びた縦長い一枚の葉を優しく掴み、逆らうことのない緑を指先でもてあそぶ。

風のない世界では緑たちも動くことはなく、只々そこに立ち続け少年の視界を埋めていた。白い指がもてあそぶ葉を開放すると、葉は背を伸ばして体勢を整える。整えた反動で静止した世界に極僅かな風が巻き起こったが、僅か過ぎて、つまらなかった。

(ヒマ!ヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマ)

遠くからは憂鬱そうながらも楽しげな声が聞こえてくる。

兵の巡回が始まったらしい。

(ヒマヒマヒ・・・まひ?まひまひ・ひ・・?・・・・・暇・・・・・・・・・・・・・)

再びごろりと寝転んだ少年は大地と向き合い、額に冷たい土の感触を覚えた。

(冷たい・・・・・)

土の冷たさが心地よい。風通しの良いぶかぶかの服ではあるにしろ、夏の暑さに負け気味だった。身をゆだねるよう瞼を伏せ、顔を動かして耳と頬を大地に冷やさせる。

次第に息遣いがゆっくり落ち着いていった。

それが静かな寝息へと変わっていくのは、どうしようもない自然の原理だった。

睡魔に襲われた少年は、一度起きようとする自我でびくりと体を震わせて目を覚ます。隠された目をしばたいて、今の状況を再確認した。

「・・・・・・・・・・・・・・」

少しの間ぼんやりとし。それから、起き上がった体を再び地面に倒す。

「・・・・・・寝よ」

暇を持て余す者が、心地よい睡魔に勝つことは苦行に近い。

数分後には規則的な寝息が小さな風となって、止まった世界をほそく震わせていた。


その後どれ程たっただろう。


「うわ!何だ・・・・死体?」


睡眠は、見事に妨害された。目覚めたクローが起き上がると、服が少し濡れている。

何故だ、と周囲に意識を向けて気がついた。

立ち小便をしに来た兵士に、起こされたらしい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさか」

クローが不快な思いと共に睨んだ視界の端に、雨雲が見えた。この場にも強い風が吹き始め、空気は重くて湿気が含まれている。

重い空気は彼を暑苦しくさせて、できればそれで目覚めたのかと思いたいが・・・。

そんな世界からは、雨雲により玉座の眼が消えていた。

陽に焼かれるような感覚は無く、目覚めは悪いが、気分は清々しくてとても好かった。

自然と笑みがこぼれていた。ついでに敵意も、軽やかに湧いてきた。





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