イサの家
街に着き、コーサが指し示した家は、小ぢんまりとしていたが、ひとりで暮らすには充分すぎる広さがあった。
「急いで用意させたものですから、この程度の家しか…」
コーサはそう申し訳なさそうに言ったが、森で隠れ暮らしていたあの小屋に比べれば、この家は家具もライフラインも整っており、正に天と地ほどの差がある。
「いや、いい。…で?」
「はい?」
「イサの家はどこだよ」
「…………」
コーサが言い淀む。
「…それは……」
「早く言えよ」
「…少し、遠いのですが」
コーサは気まずそうに、また奈都をスレイプネルの背に乗せた。
たどりついた場所は、ひどく廃れた小さな町だった。
狭い土地にぎゅうぎゅうと粗末な家とも呼べないような建物が並ぶ。
道の舗装も満足にされず、砂ぼこりが舞っていた。
「なんだよ、ここ」
「…貧困層の暮らす、土地にございます」
奈都はぎろりとコーサを見た。
「貧困層だ?私はイサの家はどこだと聞いているんだが」
「…こちらで、ございます」
コーサはあばら家のひとつを指差した。
隙間の空いた壁。薄い屋根。辛うじて雨風を防げる、という程度の家屋だ。
奈都に与えられた家とは、かけ離れている。
「…イサ!」
こちらへ歩いてくる、彼を見つけた。奈都は駆け寄った。
『イサ!』
『!奈都…』
イサは驚いていた。城では奈都を離すためにああ言ったが、まさか本当に訪ねてくるとは、予想していなかったのかもしれない。
『イサ!私と行こう!』
『え?』
『ここを出て、街へ行こう!そこで暮らせばいい』
奈都はイサの手を掴み、そう言った。
『奈都…』
『ほら。早く荷物をまとめ直して…』
『僕の家は、ここなんだ』
イサは、奈都の手をほどき、首を振った。
『イサ?』
『…………』
『だから、私の家に、共に住めばいいじゃないか。王には、私から言って…』
『僕は、ここがいいんだ』
『な……』
『ここは狭いし、不潔だけれど…。でも、僕はここがいい。ここの人は皆、貧しく、苦しんでいる。僕が少しでも力になれるなら、この人たちのために、動きたいんだよ』
イサはそう、きっぱりと言った。
声に、彼の強い意志が込められていた。
『イサ…』
ああ、そうだ。イサは、そういう人だった。
人を救うこと。それは、彼にとっては欠かせない、ひとつの運命のようなものなのだろう。
彼の優しさと強さを、奈都は思い出した。
『奈都。王さまから、全て聞いたよ。君は、歌姫になると…』
『!』
『君の優しさは、嬉しい。でも、王さまの言うことは、確かだ』
『…………』
『だからね、僕たちは、もう……』
俯く、イサ。
どうしてだろう。
あんなに近くにいたはずの彼が、今は遠く見える。
奈都は思った。
きっとこのまま、彼の言う通り、別れたら。
この見えない溝は、きっと二人の間から、一生消えない。
そんな気が、した。
『…イサ』
『…………』
『だったら、私も、ここに居たい』
『!』
『イサがここに居るのなら。私も、お前に付いていきたい』
ほどかれた手を、もう一度、繋ぐ。
『奈都…』
『…お前だけなんだぞ。私は…』
すがるように、奈都が言う。
『…奈都』
『…ダメ、か?』
きつく掴んだ奈都の手が、ゆっくりと離される。
その手を、イサはゆっくりと包み込むように、握り返した。
『……、わかったよ』
イサが、困ったように笑う。
『時々、ならね』
『!ほんとか!』
まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるように、イサは言った。
途端に、奈都の顔が、ぱあっと明るくなる。
『うん。君の手が、空いたら。僕の仕事を、手伝ってもらおうかな』
『…!ああ!ああ!勿論だ!』
誰にも聞こえていない、二人だけの会話。
けれどもその表情だけで、奈都の心模様が、痛いほどにぶつけられる。
「…………」
いつも気の強さで隠していた、彼女の弱さ。
それがあの、イサという男の前では、こんなにも、さらけ出されている。
コーサには、それがひどく、眩しく感じられた。