プロローグ
まったく……。いつもの事ながら、我らが主の命令は一筋縄ではいかないものばかりだ。
『辺境の地に最近頻繁に賊が出るらしい。さすがに無視出来ないレベルになってきたから、レイ、ちょっと行ってきてくれないか』
欠片も罪悪感なく言われた時は、部下の前でいつも通りに答えそうになって苦労した。机こ下で足を踏むくらいは許して欲しいものだ。彼の横に控えていた宰相は気付いていたようだが、何も言わなかったので大丈夫だろう。
幼馴染であり第一王子であるアルブレヒト・バナンスは一見、緩くウェーブした長い金髪と明るい蒼の瞳を持つ男で、侍女達が「物語の王子様そのもの!」と騒ぐような容姿なのだが、その中身は悪魔の類だ。
人をからかうことに頭脳を費やすような奴だ。しかも表向きにはそれを出してこないのだから、余計にたちが悪い。出されても困るが。
アル、これが終わったら覚えとけよ。
口に出して言えば不敬罪になってもおかしくないことを、頭の中で散々呟いていると、軽く肩を叩かれた。
後ろを向くと、副団長のガントが苦笑して立っていた。
「団長、少し落ち着いて下さい。新人が恐がっています」
彼が指差す方に視線を向けると、目が合った新人がビクッと固まった。そんなに俺は怖い顔をしているのだろうか。
「殺気をもっと抑えて。纏っている空気が殺人者ですよ」
容赦ない言葉をかけられる。長年共に仕事をしてきたガントは、良き部下であり友人だ。口調はともかく言葉に遠慮はない。
不要な気遣いをしない彼は他の部下からの信頼も厚い。剣の腕前もそれに見合ったものだ。
「それほど隠せていなかったか? 無理に抑えつけるのも考えものだな」
「何を考えているのかは大体予想がつきますが……。間違っても声には出さないで下さいよ」
「そうだな。これが終わったらアイツに直接言うことにしよう」
「…捕まらない程度に」
頷くと呆れたように溜め息を吐きつつ言う。俺達の会話の内容が聞こえた数人の部下は苦笑していた。
アルからの命令を受けて王都を旅立って四日。賊が出ると報告のあった地域に入った。
襲撃のあったらしい集落の焼け跡が幾つかあったが、未だ賊自体には出くわせずにいる。
「もう少し行った所に、小さな村があるようですね。そこで情報収集してみましょう」
休憩の時にガントが持っていた地図を皆で囲みながら、これからの行動の確認をする。
ガントが指している村の名前を見て、俺は我知らず眉を顰めていた。
俺の微かな感情の波をガントが目敏く拾う。
「団長? 何か問題でも?」
「いや、問題というほどのものではない。ただ知り合いがその村に住んでいることを思い出してな」
そこに書かれている名は確か、友人が治めている村だったはずだ。辺境の村に移り住んだことは知っていたが、まさかこの地域だったとは。
「ここに、ですか? 団長のお知り合いがこのような場所にお住みになられるなんて…」
俺の貴族階級は公爵。公爵の知り合いともなれば、それは普通貴族だ。そして貴族が暮らすには、その村は小さ過ぎる。声を上げた部下も同じことを考えたのだろう。
だが自分で言うのもあれだが、俺の友人に『普通』は期待出来ない。アルが良い例だ。
「アイツは貴族ではあるんだが、どうも堅苦しいのが嫌いでな。夜会に出席するくらいなら、畑でも耕していた方がマシだ! と豪語するほどの奴なんだよ」
「それは……。なんとも団長の御友人らしい、と言いましょうか」
おい、それはどういう意味だ。ジトッとした視線を向けるもガントは涼しい顔で地図に目を向けている。本当に俺は友人に恵まれている。
「それで、どうします?」
次に掛けられた声は友人のものではなく、部下として、そして副団長として団長に指示を仰ぐもの。俺も頭を切り替える。
指示を待つ部下の視線を感じながら、目を閉じてザッと計算する。
まだ陽は西の空で存在を主張しているし、こちら全員が馬で移動している。馬の状態にもよるだろうが、ここまでも来るのにそれほど酷使していない。村までは地図上で二〜三時間くらいだろうか。それくらいなら大丈夫だろう。
「とにかく今は情報が欲しい。アイツなら何か情報を持っているはずだ」
はっきり言って、俺はこういった不利な状況での戦闘には不向きだ。いろいろな情報を取捨選択しつつ敵の行動を先読みし、先手必勝で攻撃するのが常なのだ。
もしかして。いや、もしかしなくてもアルはそれが判った上で今回の事を俺に預けたのか? だとしたら随分と性格の悪い………今更だな。
俺の黒い気配に新人がまた怯えているのが視界の端に入るが、これには慣れてもらうしかない。他の部下は既に諦めて、憐れみの視線さえ送ってくる。
やはり次に会った時に文句を言わないと気がすまない。ついでにもう一度足を踏むくらいはやろう。あの宰相なら無言で見逃すはすだ。
「団長、また何か物騒な事を考えていませんか?」
「気のせいだ」
ガントからの訝しげな視線を真面目な表情で受け流す。先程の報復も兼ねて。コイツは妙なところで勘が良いというか、人の思考を読む。
出発の支度のために腰を上げると、それに続くように部下も立ち上がって自らの馬に向かう。
それから二時間弱、予想通りの時間内で目的の村へ到着出来た。
途中で通りかかった集落はほぼ全滅を生きている者は見られなかった。しかも煙や死者の傷痕からして襲われたのは数刻前。嫌な予感ごして先を急いだ。
そして辿り着いた先。村は無事、それどころか損傷・死傷者はゼロ。
だが俺達の足を止めた原因は別にある。
「これは……」
後ろから部下の呆然とした声が聞こえるが、俺も目の前の光景に同じような状態だった。
血溜まりに倒れ伏す男達と、残りの奴らに応戦する一人の少女。
まさか……これ全てを、あの娘がやったというのか?
相手の男達はおそらく追っていた賊だろう。数人がかりで襲いかかる男に一歩も引かず、それどころか軽々と攻撃を捌く。どう考えても普通の子供ではない。俺の部下でさえ油断したら負ける程に。そして、俺自身も。
そう考えている間にも、長い艶のある黒髪を踊らせながら次々と男達を倒していく。
誰が見ても優位なのは少女。男達の方は完全に遊ばれている。恐怖と焦りで動きが粗い。あれではいつ懐の入られてもおかしくない。
それに対して少女は、他の賊を斬りつけた時のものであろう返り血を浴びながらも、その顔は笑みを浮かべている。
狂っている。正気の人間がする表情ではない。
真っ先に浮かんだのは単純な恐怖。それと同時に、白い肌を他者の血で濡らし、黒髪をなびかせ、舞うように剣を振るう姿を、美しい、と思った。
数分後、少女は軽い足取りで相手の懐に滑り込むと、最後の男の腹部を剣で貫いた。その行為に一切の迷いは窺えない。
剣を引き抜くと共に美しい後ろに飛び退く少女は、笑みを崩さず倒れる男を眺める。
「あ、フェリックスさん!」
少女の呼びかける声でハッと我に返った。他の者達も少女の姿に呑まれていたのか、後ろから大きく息を吐き出す気配がした。
俺は緊張しながら一歩足を踏み出した。今少女の傍には例の友人が佇んでいた。彼がこちらに視線を向け少女にも後ろを促すと、パッとこちらに視線を向けてきた。
引き込まれそうねほどに深い夜の海を思わせる少女の漆黒の瞳は、今まで命の遣り取りをしていたとは思えないほどに、ただ不思議そうに俺達を見ていた。
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この時はまだ、俺は知らなかった。
彼女との出会いが、俺の人生を劇的に変えてしまうということに。
吉と出るか、凶と出るか。
それを知るのは、もっと後のことだ。
次回は『異世界に来てから現在までのお話』