1話 亡国の姫と第一王子
「フィオリア・エルファード王女」
低い声に、フィオリアはゆっくり顔を上げた。
曇天の中、バルコニーから見下ろす先には複数の敵国の軍旗が並んでいる。
城は囲まれた。きっと父王も殺された。残された王族は、自分だけ。
処刑されるのだろう。
だから、フィオリアは逃げなかった。
王族は最期まで誇り高くあれ。
幼い頃から、父に何度も言われてきた言葉だった。
風に揺れた金髪が、頬にかかる。
いつもなら陽光を受けて輝くその髪も、曇天の下では色を失って見えた。
フィオリアは蒼い瞳で、呼びかけてきた男を睨んだ。
「……最期くらい、静かに死なせてくださいませんか」
そう言ったのに。
目の前の男は、静かに片膝をついた。
銀色の長い髪がさらりと肩から流れ落ちる。
冷たい金色の瞳は、まるで磨かれた刃のようだった。
敵国グランヴェル帝国第一王子。
軍神と恐れられる男、エルシオン・グランヴェル。
その男が、フィオリアへ向けてそっと手を差し出した。
「私と、結婚していただけないか」
「……はい?」
間の抜けた声が漏れた。
フィオリアは数秒、瞬きすら忘れて固まる。
処刑ではなく、求婚。
「……私の国を滅ぼした人が?」
「はい」
「正気ですか?」
「正気です」
淡々と返され、フィオリアは絶句した。
(なんなの、この人。
泣かせたいの?
怒らせたいの?
それとも、ただ私を侮辱しているの?)
「亡国の姫を、哀れんでいるのですか?」
「いいえ」
エルシオンはまっすぐフィオリアを見た。
「あなたが私に必要だからです」
その瞬間、胸の奥がすうっと冷えた。
ああ、そういうことかと理解してしまった。
フィオリアの祖国エルファードは、精霊の国だ。
自然と共に生き、人が魔力を宿す唯一の国。
その力ゆえに、多くの国から狙われ続けてきた。
そして今、この男は。
亡国の姫を手に入れ、民を従わせようとしている。
フィオリアは小さく笑った。
「私を旗印に使いたいのですね」
「さあ、どうでしょう」
「白々しい方」
フィオリアはゆっくりとエルシオンへ歩み寄る。
そしてーーバチン!!と大きな音。
小さな白い手が、空を横切っていた。
エルシオンの頬がじんわりと染まる。
「馬鹿にするのも大概になさって!
私なんかが生きていたって、私の民の心は、あなた達には屈しない。
こざかしい真似をせずに、殺すなら殺しなさい!
父や私の民を殺したように!!」
エルシオンが持っている銀の剣の柄を掴み、その切っ先を自分の首にあてがうフィオリア。
その姿を見て、今まで無表情だったエルシオンはふっとこぼすように笑った。
「勇敢な姫君だ。
ーーただ、いくつか誤解があります」
エルシオンはフィオリアの手から剣を静かに外した。
「我々は、あなた達を滅ぼしに来たのではありません。
ドラグニグに攻め込まれたエルファードを保護するために来ました」
「……嘘」
「嘘ではありません。少なくとも城内のエルファードの民は私達が保護し、生きています」
即答だった。
「民想いのあなたが死んだら、エルファードの民は本当に希望を失うでしょう」
睨み続けるフィオリアに対し、エルシオンはわずかに微笑んだ。
そして、静かに手を差し出した。
「今は私と来てください。悪いようにはしません」
しばらく考え込んだフィオリアだったが、今はその手を取るしかなかった。




