第1話:美少女配信者「これサビ残?」→世界「命を削って戦う聖女だ……」
白髪赤眼の美少女が、薄暗いダンジョンの入り口で深いため息をついた。
透き通るような白磁の肌。
妖しく煌めく、ルビーのような赤い瞳。
ほんの少し視線を伏せただけで、中世の絵画から抜け出してきた天使のように見える。
触れたら消えてしまいそうな、国宝級の儚さ。
だが、その中身は――。
「……はぁ。昨日まで月三百時間残業してたおっさんに、いきなり美少女配信者やれって言われてもな。引き継ぎもマニュアルもなしで現場投入とか、あの神、絶対に現場を知らない無能な上層部だわ」
橘健太郎、三十八歳。
元ブラックIT企業の社畜SEである。
デスマーチの果てに過労死したと思ったら、なぜか十四歳くらいの絶世の美少女になっていた。
しかもそこは、橘の知る現代日本によく似ているようで、どこか微妙に常識がズレた世界だった。
街には配信文化があり、探索者がいて、地下には異界の迷宮――ダンジョンが存在する。
神様っぽいやつには『その身体で第二の人生を楽しんでください』と笑顔で丸投げされた。
「楽しむ前にまず生活費だろ。予算ゼロで現場に放り込むなよ……」
橘――いや、今の名前はステラ。
彼女は、ダボダボのグレーパーカーの袖から細く白い指を出し、ダンジョン配信用アプリ《DーLive》の配信開始ボタンを気怠げにタップした。
場所は、新宿地下に出現したD級ダンジョン。
通称『歌舞伎町地下迷宮』。
手には初期支給品の、重たい鉄の大剣。
ただしその持ち方は、完全に金曜夜にコンビニから出てきたおっさんだった。
大剣の柄の端っこを片手でつまみ、ぶらぶらと地面スレスレで揺らしている。
肩は落ちている。
目のハイライトは死んでいる。
美少女というより、退勤直後のサラリーマンである。
『ん? 新人?』
『白髪赤眼きた! ビジュ良すぎて画面割れたわ』
『え、かわいすぎん? 即チャンネル登録した』
『待って、その細腕で大剣は無理だって! 折れる折れる!』
『大剣の持ち方、ファミチキ買った時のビニール袋のそれなんよwww』
視聴者数、三人。
コメントはまだ少ない。
だがステラは微塵も気にしなかった。
前職のデスゲームめいた進捗報告会議に比べれば、三人の視線など春先のそよ風である。
「あー、どうも。ステラです。生活費が足りないので、今日はここをサクッと処理します」
『処理?』
『攻略じゃなくて処理って言ったぞこの美少女』
『声かわいっっっ! 脳が溶ける』
『テンション低くて草』
ステラは小さくあくびをした。
「歩き回るのダルいんで、雑魚は一箇所にまとめますね。動線の設計が悪い現場って、だいたい後で炎上するんですよ」
『現場www』
『ダンジョンを現場って呼ぶな』
『この子、ビジュアルと発言のギャップが狂気』
その時だった。
通路の奥から、無数の不気味な足音が響いた。
ゴブリンの群れが、津波のように飛び出してくる。
一匹。
二匹。
十匹。
――ざっと三十匹。
初心者のソロ配信なら、即座に暗転。
配信強制終了レベルの絶望的状況である。
『うわあああ逃げろ!!!』
『多い多い多い! 完全に囲まれた!』
『おい誰か早く探索者管理局に通報しろ!!』
『新人ちゃんがミンチになる、見たくない!!!』
しかしステラは、眠そうな目でモンスターの群れを見つめただけだった。
「うわぁ。金曜十七時半の退勤間際に放り込まれる、クソみたいな差し込み案件の湧き方してる」
『差し込み案件?』
『何言ってんだこの美少女www』
『頼むから早く逃げて!!!』
ステラは、ぶら下げていた大剣を持ち上げた。
気合を入れたわけでもない。
力強く構えたわけでもない。
ただ、面倒くさそうに。
オフィスのコピー機が紙詰まりを起こしたのを直す時みたいな顔で。
「はい。タスク処理開始」
次の瞬間、画面が一瞬だけ乱れた。
カメラがステラの動きを追えなかったのだ。
白い髪が、夜風のように揺れる。
それだけだった。
気づいた時には、ステラは三十匹のゴブリンの中央にいた。
予備動作なし。
踏み込みの気配すらゼロ。
大剣をただ一振りしたはずなのに、重厚な斬撃だけが三十回分、同時に炸裂した。
ズドォォォォン!!!
轟音と共に、ゴブリンの群れが跡形もなく吹き飛ぶ。
衝撃波が、ダンジョンの岩壁にヒビを入れた。
静寂。
あとに残ったのは、白髪の美少女と、床にバラバラと転がる大量の魔石だけだった。
『…………』
『…………』
『は?』
『え?』
『今、何が起きた?????』
『画面がバグったと思ったらゴブリンが全滅してたんだが』
『エフェクトと威力が世界トップランカーのそれ』
『この子、ガチでやばい。可愛い顔して化け物だ……』
ステラは床に転がった魔石を見下ろし、少しだけ眉をひそめた。
「……ドロップ渋くない?」
『第一声それ!?』
『三十匹ワンパンした後の感想がドロップ率www』
『強者の視点がゲーム廃人なんよ』
「いや、これだけ湧かせるなら報酬設計ちゃんとしてほしいんですよ。作業量と見返りが釣り合ってない」
『ダンジョン運営に給与交渉してる』
『ステラ様、敵だけじゃなく運営思想まで斬ってる』
ステラは、ふぅ、と深く重いため息を吐いた。
そしてポケットから、ガサカサと音を立てて【コンビニの濡れおしぼり】を取り出した。
国宝級に儚げな美少女が。
世界遺産に登録すべき美麗な顔面を。
新橋のガード下で見かける居酒屋のおっさんみたいに、ガシガシと力任せに拭いた。
「あ゛ーーー、しんど。一歩目のステップ、マジで腰にくるわ。サロンパス貼りてぇ……」
『顔の拭き方ァ!!!』
『「あ゛ーーー」って言ったぞ今!』
『美少女が出していい濁音じゃないwww』
『おっさん仕草なのに顔が良すぎて最高に助かる』
『腰にくるって何歳のコメントだよww』
ステラはそのまま、通路の端の冷たい床にどさりと座り込んだ。
優雅さのカケラもない。
神秘性も皆無。
それは完全に、終電を逃して駅のホームで絶望しているサラリーマンの体育座りだった。
「このダンジョン、無駄に通路長すぎません? 基本設計した人、新人? 効率悪すぎるでしょ。歩かせる仕様、ほんと嫌いなんですよ。次までに修正しといてほしい」
『ダンジョン設計にダメ出ししてるwww』
『攻略者じゃなくて仕様書の監査担当なんよ』
『え、待って。今の神技を使って「ちょっと疲れた」で済むの……?』
『もしや、自分の命を削って放つタイプの固有スキルか?』
『あの圧倒的な一撃だ。精神や肉体に想像を絶する代償があるに違いない……っ!』
ステラは単に重度の運動不足だった。
三十八歳のアラフォー感覚のまま、十四歳の華奢な身体を無茶に動かしたせいで、筋肉が悲鳴を上げているだけである。
しかし。
外見は、今にも壊れてしまいそうなほど美しい少女。
戦闘は、物理演算を置き去りにした人外の領域。
そして息切れは、どこまでも儚げ。
そのギャップの結果、コメント欄は勝手に深読みを始めて急速に狂い始めた。
『自分の命を削って人類のために戦ってるんだ……』
『こんな細い身体で、世界のためにあんな負荷を背負うなんて……』
『守りたい、この吐息』
『いや守られるのはこっちだろ』
『ステラ様……あなた様はどれほどの重荷を隠しておられるのですか……!』
『さっきの「あー、よいしょ」、古代の殲滅詠唱説あるな』
気づけば、いつの間にか口コミが爆発していた。
視聴者数は三人から一気に四千人を超えている。
スマートフォンの通知が狂ったように鳴り響く。
チリン。
チリン。
チリンチリンチリンチリン!
画面に、高額な赤色のスパチャが滝のように流れ始めた。
『ステラ様、どうか無理しないで!』
『医療費、いや命の対価に使ってください!』
『お願いだからいいもの食べて生き延びて!』
『【速報】我が推し、一瞬で聖女に認定される』
ステラは光り輝く画面を見て、少しだけ目を丸くした。
「お。画面からお金降ってきた」
『言い方www』
『スパチャを自然現象扱いするなwww』
「これが噂に聞くインセンティブか」
『インセンティブwww』
『歩合給みたいに言うなwww』
ステラはカメラに向かって、ぺこりと事務的なお辞儀をした。
「あざす。これで今夜は、もつ煮と発泡酒いけます」
『モツニ……?』
『ハッポウシュ……?』
『聞いたことがない。もしや、失われた古代の秘薬か……!?』
『過酷な戦闘の後に飲む、肉体への負荷を和らげる特殊な高位回復薬に違いない』
『ステラ様、普段どんな過酷な生活環境に身を置いているの……』
『国を挙げて支援しなきゃダメなやつだこれ!』
『もっと投げろ! ステラ様にエリクサーを捧げろ!』
ステラは床に落ちた魔石を雑に拾い、パーカーのポケットへ放り込んだ。
その扱いは、ほぼ小銭だった。
そして袖をまくり、腕時計を見る。
「よし。五分で今日のノルマ達成。じゃ、定時なんで帰ります。残業は悪なので」
『え!?』
『もう終わり!?』
『もっとステラ様の神技が見たい!』
『待って、定時って何!?』
『定時……。世界を救う高潔な者にも、遵守すべき大いなる法があるんだな……』
ステラは画面に向かって、だるそうに片手を振った。
「お疲れ様でしたー。各自、直帰で」
プツッ。
配信終了。
開始から、わずか五分。
あとに残されたのは、脳を完全に焼かれた四千人の視聴者と、爆速で立ち上がるネットの掲示板だった。
⸻
【速報】DーLiveに無感情の白き戦姫、降臨
【悲報】新人美少女配信者、D級ダンジョンを五分で電撃退勤
【考察】ステラ様の言う「定時」とは、人類が侵してはならない絶対領域の隠語説
【急募】高位回復薬『モツニ』と『ハッポウシュ』の入手方法について
【議論】「ドロップ渋くない?」に込められた神の経済思想
⸻
この日。
世界はまだ知らない。
白髪赤眼の美少女ステラが、世界を救う高潔な救世主などではなく。
ただの、心底疲れ果てた元社畜おっさんであることを。
一ミリも世界を救う気はなく、ただ「働きたくない」という一心でタスクをこなしているだけだということを。
そして、後に世界中を巻き込んで既存のダンジョン攻略の常識を覆す、謎の巨大思想――。
『定時退社教』が、ここから産声をあげたということを。
当のステラ本人は、その頃――。
駅前のコンビニのチルドコーナー前で、半額シールの貼られたもつ煮のパックを愛おしそうに見つめていた。
「……今日はインセンティブも入ったしな。発泡酒、一本だけ金麦にするか」
そう言ってステラは、三秒悩んだ。
そして結局、いつもの安い発泡酒をカゴに入れた。
「いや、調子に乗ると固定費が死ぬ」
世界最強の美少女配信者。
本日の勝利報酬、税込三百九十八円。
そして、浮いた二十円。
彼女にとっては、人類救済より重い成果であった。
(第1話・了)
ここまでお読みいただきありがとうございます!
中身おっさんの美少女配信者、ステラ様の初配信でした。
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次回、面倒なA級配信者が来ます。




