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王子たちが立ち去った後も会場内は興奮冷めやらぬといった雰囲気だったが、会場内に散っていた生徒会役員の誘導により徐々に落ち着きを取り戻しつつある。
これなら予定していた流れに戻せそうだと安堵したところで、数人の生徒を連れ立って一人の男子生徒が人の輪の中から抜け出していくのを見つけた。
よくよく見ると先導しているのはアルフォンスの友人の一人であり、連れられているのは先ほど証拠を提示した王子の取り巻きや証人に名乗りを上げていた人だ。
一度気になりだすと、どうしても彼らを目で追ってしまう。
そんな私を見かねたのか生徒会長から「行ってきていいですよ」と笑われてしまったのだけれど、そんなにわかりやすかったのかしら。
周りを見るとどうやらほかの生徒会役員も同意見らしく、一様に笑顔を向けられてしまった。
アルフォンスも抜けてただでさえ人手が減っているというのに申し訳ないのだが、こんなにそわそわしていては仕事らしい仕事ができそうにない。
私は先輩方の好意を素直に受け取ることにして、急いで彼らを追うことにした。
彼らの姿はすでに会場には無く焦ったが、出入口から見渡すと、近くにある講義室棟の方へ向かっているのを見つけることができた。
淑女らしい振る舞いを一度忘れて花壇を飛び越え近道したおかげで、彼らが一つの部屋に入っていくのに間に合った。
そうでなければすべての部屋を覗いて回らなければならなかったので、随分時間短縮ができた。
彼らが入ったのはこの棟の一番奥にある狭い講義室だった。
扉についた小窓から中をこっそり覗くと、狭い講義室の中には思った通りアルフォンスをはじめとする先ほどの騒ぎの登場人物が勢揃いしていた。
部屋の窓際に王子とマリアンネ、その正面にアンネリーセ様が立っており、アルフォンスは少し離れた机に軽く腰掛けている。
そこにアルフォンスの友人の指示で、連れられてきた男子生徒たちが不承不承という態度で入り口近くにずらりと並んだ。
男子生徒たちが入ってきたことに驚いたらしく、王子はアルフォンスを睨みつけている。
「アルフォンス、これはどういうことだ。こんな所に集めて何をするつもりだ」
「兄上、もうしばらくお待ちください」
明らかに苛立っている王子に対しアルフォンスは笑顔で話しているが、有無を言わさぬ威圧を感じる。
そしてアルフォンスはそのまましばらく口を開かず、王子は納得のいかない様子でいながらも大人しく黙った。
全員が静かになった中これからどうなるのかハラハラしながら見守っていると、ふいに後ろからポンポンと肩をたたかれた。
「ひゃあ…!」
部屋の中に全神経を向けていたので、びっくりして声を上げてしまった。
急いで両手で口を塞いだが、もう遅い。
結局私は肩をたたいてきた男とともに、部屋の中に招かれることになったのだった。
◇◇◇
「来ると思っていたよ、セシル」
「…ごめんなさい」
アルフォンスはそう言いながら苦笑いを浮かべている。
私は先ほど声を上げた醜態の恥ずかしさと場違いという気まずさに体を縮めて頭を下げた。
私の肩をたたいたのは、アルフォンスの友人であるベルンハルト・ノルデン侯爵令息だった。
ちなみに男子生徒たちを先導していたのはクリスティアン・ルロフス伯爵令息である。
この二人はアルフォンスが幼い頃から一緒に行動していたお友達であると以前紹介を受けたことがある。
私は特別親しくはないが、クラスメイトでもあるので挨拶だけはする仲だ。
そんな彼らはおそらくアルフォンスの命でここにいるが、私は興味本位で近づいたただの野次馬。
だからこそ気まずくて部屋の隅で小さくなっていたのだが、ベルンハルト様が私を気遣って笑顔で椅子を勧めてくれた。
エスコートされるままについて行ったが…勧められた椅子の場所は講義室の前列中央だった。
隅っことか一番後ろとか他にも椅子がたくさんあるのになぜここ? 邪魔だからと暗に嫌がらせされているのかしら。
そう思いつつも邪魔者のくせにここでごねるわけにもいかず素直に座ると、そこは全員の表情が見渡せる観客としては一番の特等席だった。
ベルンハルト様に、せっかくならこの状況を楽しめと言われているような気がする。
いつも笑顔で紳士的な印象だったけど、思っていたよりずいぶんといい性格をしていそうだわ。
さすがアルフォンスのお友達という感じだ。
そう考えながら大人しく座っていると、なんだかピリリと鋭い視線を感じた。
反射的にその方向に顔を向けると、マリアンネの恐ろしいほどに鋭い瞳とぶつかった。
しかしそれはまるで瞬きをする程の短い時間であり、気づけばいつもの可愛らしい彼女に戻っていた。
あれが彼女の本当の顔なのだろうか。
もしそうなら本性はかなり狂暴なのでは?
「皆さん、お待たせいたしました」
アルフォンスが話し始めると、待っていたとばかりにさっそく王子が口を開いた。
「これはどういうことなんだ。なぜこんなところに連れてきた。先ほどの“余興”と言っていたのはなんだ。お前は何を考えている」
「兄上、落ち着いてください。私は感謝されこそすれ、責められる謂れはありません」
矢継ぎ早にアルフォンスに詰め寄るが、彼はどこ吹く風だ。
笑顔を崩さずぴしゃりと言いのけ、まだ何か言いたそうな王子から視線を動かした。
そして王子に対面するアンネリーセ様の目の前へと移動すると、丁寧に頭を下げた。
慌てたのはアンネリーセ様だ。
「アルフォンス殿下、そのようなことをされては困ります」
「いいえ。今回のこと、本来謝罪のしようがありませんが…」
「アルフォンス、その女にお前が頭を下げる必要は無い」
謝罪をしようとするアルフォンスの肩に王子が後ろから掴みかかる。
しかしアルフォンスはその姿勢を崩さなかった。
「アンネリーセ嬢への此度の無礼、謝罪は改めて父とも相談いたします。今しばらくこの茶番にお付き合いください」
「いえ、こちらこそ私の意図を組んだご対応を有難うございました。おかげでパーティーの雰囲気を損なわずに済みましたわ。しかし、アルフォンス殿下をこのようなことに巻き込むことになってしまって…申し訳ありません」
王子を無視して二人は謝りあう。
アンネリーセ様の言葉を受けて顔を上げると、アルフォンスはくるりと振り返り、アンネリーセ様を庇う様に王子と対面した。
「さて、兄上。先ほどアンネリーセ嬢に申し上げた通りこの件は父上に進言いたしますので、そのおつもりでいてください」
「婚約破棄のことであればあの女の非道を含め私の方から父上に言うつもりだ」
「いいえ、この件は私の方から進言いたします。そして…」
アルフォンスは一拍置くと、一瞬だけ私に視線を向けた…気がした。
あれ? と思う間に、彼の視線はすでに王子にあった。
一瞬のこと過ぎて気のせいだったように思えた。
「そうなると、恐らくあなたは今後王位継承権を得ることが…かなり難しくなるでしょう」
「なんだと、どういうことだ」
「言葉の通りですよ、兄上。…ベルン、クリス」
名前を呼ばれ、ベルンハルト様とクリスティアン様がそれぞれ持っていた書類をアルフォンスに手渡した。
「こちらが先ほど兄上たちがおっしゃっていたアンネリーセ嬢の悪行についてまとめたという書類です。そして、こちらがそれらの真偽を調査した結果です」
両手の書類を振るとバサリと音がした。
これだけたくさんの証言に対し、一つ一つ真偽を調べていたとはいつの間に?
この疑問は私だけではなかったようで、王子も疑わしそうに顔をしかめる。
「何を言っている。事前に真偽を調べるなどできるはずがないだろう。なにより、それらは全て真実だ」
「そうです、すべて本当のことですよぅ。アルフォンス様もアンネリーセ様に騙されているんですね、かわいそう!」
王子につられたのかマリアンネも声を上げる。
しかしやはりアルフォンスは表情一つ変えない。
「兄上が証言を集めていることは知っていましたので、こちらも事前に調査していただけのことですよ。しかしまさか今日のような公の場でそれらを出すような愚かなことをするとは思っていませんでしたが」
「な…愚かだと!」
「ええ、兄上は本当にこれらの証言の真偽をご自身で確かめられたのでしょうか。彼女の言葉を鵜呑みにし、自ら名乗りを上げた証人の言葉を調べもせず信じたのでは?」
「それは…」
「本当のことだから信じるも何もないんですぅ。アルフォンス様ひどぉい」
王子は怒りで顔を赤くしたが、アルフォンスの指摘が思い当たったのか勢いが弱まった。
そんな王子の様子に焦ったのか、マリアンネは後ろから抱き着くようにして王子の腕に己の腕を絡めた。
さらにアルフォンスを上目遣いに見つめたが、アルフォンスはそんな彼女を視界にも入れていないようだ。
「こちらで調べた結果、すべての証言は偽りもしくは誇張したものであることが確認されています。そうだな、ベルン?」
アルフォンスが声をかけると、ベルンハルト様が一歩前に出て王子に対し頭を下げた。
「ノルデン侯爵家長男のベルンハルトでございます。殿下、恐れながら発言をお許しください。先ほど時間をいただきまして殿下が提示された証拠とこちらの調査書類を突合させていただきました。その結果、そちら側の証言は全て捏造であったと主張いたします」
「何…」
「事前に得た情報と同一だったということは僥倖であったな」
「はい、アルフォンス様。誠に」
開いた口が塞がらない王子に対し、アルフォンスたちはお互いに満足そうに顔を合わせ頷き合っている。
「それから、クリス」
今度はクリスティアン様が並んで立たせていた男子生徒とともに前に出た。
「ルロフス伯爵家次男のクリスティアンと申します。王子殿下、以後お見知りおきを。さて、先ほど会場内にて証言者として名乗りを上げた彼らですが、証言を撤回すると申しております。また証言をまとめた書類について署名を強要したとの言もありました」
言葉もなく王子が彼らに目を向けたが、男子生徒たちは皆気まずそうに下を向き、王子と目を合わせようとしない。
発言は無かったが、その様子だけでクリスティアン様の言葉が事実なのだと示していた。
「しかし少なくともマリアがカフェテリアを利用できないこと、池に彼女の私物が落ちていたことは事実だ。私はこの目で見た。それに足を怪我していたのも本当だ。しばらく包帯を巻いて脚を引きずっていたのだからな。まさかそれらも偽りだというのか」
王子は食い下がるが、アルフォンスは小さく首を横に振る。
「彼女がカフェテリアを使えないのは以前彼女自身が問題を起こしたことがあるからです。せっかくですから、その件はここに偶々同席しているセシリア嬢に証言していただきましょうか」
突然名指しされ驚いてアルフォンスを見ると、彼の瞳が一瞬だけ細められた。
この顔は知っている。
生徒会の活動の中で何度となく向けられた『お前にもこれくらいはできるよな?』だ。
私は椅子の音を立てないように静かに立ち上がると、その場で丁寧にカーテシーをした。