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たとえ急いでいたとしても走ることはできず、あくまで優雅に移動することしかできないのが貴族の面倒なところ。
しかも今日はパーティーなので丈の長いドレスに高いヒールを合わせているため、可能な限り急いだというのにその場に着いた時にはすでに始まってしまっていた。
「ディーデリック殿下、今、なんとおっしゃったのでしょうか」
アンネリーセ様の凛とした声が会場内に響く。
皆が彼らを中心として円を描くように遠巻きに囲んでおり、突然始まった王子とその婚約者との揉め事を静かに見守っている。
その表情は好奇心、哀れみ、驚きと実に様々であるが、概ね婚約者とは別の令嬢を伴っている王子の行動を非難するものであるようだ。
しかしおそらくそのことに当の本人である王子は気づいていない。
自身の腕に添えられた小さな手を握り返しながら、王子はまっすぐにアンネリーセ様を見返した。
「何度でも言おう。君との婚約を破棄する」
周囲が息をのむのが聞こえた。
アンネリーセ様は黒い扇子で口元を隠しているが、私のいる場所からは彼女の口元がやや震えているのが見える。
間に入ろうと一歩前に出ると、私の動きに気づいたアンネリーセ様に視線で止められた。
アルフォンスも私を止めるように肩に手を置いたので、仕方なくその場に留まる。
その間もアンネリーセ様は動揺した様子だったが、完璧な淑女たる彼女は一度瞳を閉じて気持ちを落ち着けた後、強い視線を王子に返した。
「理由をお伺いしても?」
「真実の愛を見つけてしまったのだ」
「真実の愛…ですか」
言われて皆の視線は王子の腕にべったりと張り付いている令嬢へとうつる。
彼女はマリアンネ・クライフ男爵令嬢といって私とアルフォンスのクラスメイトで、綿菓子を思わせるふわふわしたピンクブロンドと少し子供っぽさを感じる言動が愛らしいと男子生徒から評判の高い令嬢である。
女生徒からは淑女とは程遠い言動があざとく狙いすぎであると反感を買っており、同性の友人が全くいないことでも有名だった。
いつも周囲を男子生徒で固め、自分から話しかけるのは高位貴族の令息だけという徹底ぶりを見るに、そのことを彼女が憂いている様子は微塵も感じない。
なんでも生まれが平民だそうで、男爵家の養女となった今でも廊下を走って躓いてみたり、可愛らしくも大きな笑い声を響かせたり、高位貴族に気軽に話しかけてみたり、婚約者のいる男子生徒でもお構いなしに二人きりになったり…と実に自由な学園生活を過ごしている。
ひとたびそれらを注意しようものなら、涙を湛えて「マリア、貴族としての振る舞いがよくわからなくって…不快にさせてしまったみたぁい」とすぐに男子生徒に相談に行くので、こちらが悪者にされてしまう。
男爵家の令嬢になってからすでに数年たっているのだからもう貴族令嬢としての振る舞いなどわかっていようものだが、男子生徒はそうは考えないのだろうか。
もし本当にいまだにわからないというのであれば、学園をしばらく休学してでも再度徹底して教育すべきだと思うのだが。
とにかく、女生徒たちの間では彼女に近づかぬべしという暗黙の認識が広くある。
ちなみに少し前まではアルフォンスに執拗に声をかけていたので、彼と一緒にいることの多い私もその被害にあっていた。
とはいえ私の場合はその都度女生徒が味方をしてくれたし、アルフォンスが彼女に強く言ってくれたこともあったので最終的には事なきを得た。
そうでなければ危うく私が彼女を虐めているという不名誉かつ身に覚えのない噂が広まるところであった。
最近は卒業パーティーの準備で忙しくしていたのでこのことは頭の片隅に追いやっていたのだが、嫌な思いをしたことは鮮明に覚えている。
私と同じく生徒会の仕事でアルフォンスは最近ほとんど教室にいなかったのだが、どうやら彼女はその間に第一王子のところに通っていたようだ。
私たちが忙しくしているから彼女を見ないと思っていたのだが、それだけではなかったということだ。
そして彼女のその行動が実を結んだようで、あろうことか真実の愛とやらが芽生えた様子。
……王子、なんて見る目が無いの。
真実の愛という言葉に、マリアンネは王子にうっとりとした視線を向けている。
王子も愛おしそうに見つめるので、すっかり二人の世界だ。
「それはそちらのご令嬢と婚姻を結ぶということでしょうか」
確認のために告げられた言葉に、王子は視線をアンネリーセ様に戻した。
「そうだ。マリアはまだ一年だから、彼女の卒業を待つことにはなるが」
「確認ですが…私とこのまま婚姻を結び、彼女の卒業後に愛人とするというお考えはないということですね」
「当たり前だ」
静かに告げるアンネリーセ様に対し、王子は明らかな不快感を滲ませた。
「マリアを愛人になど…なんてことを言うんだ。それほど自分が王妃になりたいというのか、浅ましい」
「マリアは他の人とディーを共有するなんて嫌です。マリアだけのあなたでいてほしいのぉ」
「もちろんだよ、私はマリアだけのディーだ」
「ディー…」
「マリア…」
王子の「浅ましい」発言に眉を寄せていると、より気持ちの悪い空気になっていた。
それにしても王子はもっと頭の良い人かと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。
恋は盲目と聞いたことはあるけれど、真実の愛とはこうも人の思考を鈍らせるものなのだろうか。
初恋もまだの私には理解し難い。
それともマリアンネと一緒にいるうちに、知能が著しく下がってしまったのだろうか。
「かしこまりました。それではすぐに父に報告の上、殿下有責のうえ婚約白紙の手続きを進めさせていただきます」
どう考えてもアンネリーセ様に非は無いように見えるので、「殿下有責」「婚約白紙」という言葉は私も同意見だ。
「婚約破棄された」という傷を彼女の経歴に残す必要は無いように思えた。
しかしどうやら王子は気に食わなかったらしく、再び不快な気持ちを隠しもせずアンネリーセ様を睨みつけた。
「私が有責、だと?」
「はい。何か問題でも?」
「当たり前だろう。私の気持ちを繋ぎとめることもできなかったというのに、その責は君に無いというのか」
とんでもない発言に、私は思わず扇子で口元を隠した。
そうでないと「あなたの頭大丈夫?」と言ってしまいそうだったのだ。
政略結婚における「気持ちを繋ぎとめる」ことの意味とはなんなのだろうか。
まさか王子たる人がこのような発言をするとは考えられない。
同じ考えの人が多いのだろう、周囲の人間も怪訝な顔を隠せていない。
このように大多数にとっては呆れを通り越す発言だが、王子は止まらない。
「そもそも君はマリアを虐げていたというじゃないか。優しいマリアがそのことを不問にすると言うので黙っていたが、そちらがそういう態度であればすべてを白日の下にさらしても良いのだぞ」
「私が彼女を虐げていた…?」
「この期に及んでとぼけるつもりか、本当に浅ましい女だな」
「ディー、もういいんです。そりゃあ、一言謝ってほしいとは思いますけどぉ…。マリアはディーさえ傍にいてくれるならそれでいいんですよぅ」
「ああ、それに引き換えマリアはなんと慈悲深い…」
聞いているこちらがイライラしてくるやり取りが繰り広げられる。
なんて拷問なの。
周囲のほとんどが白い眼を向けているところを見るに私と同じ気持ちの者が多いのだろうが、一部の生徒には王子と同意見の者もいるらしく「さすがマリアンネ」という声も聞こえてくるから驚きだ。
「皆目見当もつきませんので、ぜひ私が彼女を虐げていたというお話についてお聞かせいただけますか」
「なるほど、あくまでとぼけるというのだな。いいだろう。お前の悪行をこの場で明らかにしてやろう」
そんな空気の中にあってなおも凛とした佇まいで問いかけるアンネリーセ様を王子は挑発的に睨みつけた。
そしてマリアンネに組まれた腕をとくと彼女の両肩に手を置いて「任せろ」と優しく微笑んだ。
二人の女性に対する表情や態度が非常に対照的で、それぞれへの思いが顕著に表れている。
マリアンネがうるうるとした瞳で見守る中、王子は彼女から離れて一歩前に出た。
瞳はアンネリーセ様をとらえ、強く睨みつけている。
「マリアが一人でいるのを見計らって、あることないことさんざん罵ったそうだな」
「あらまぁ」
「それにお前は彼女がカフェテリアを使えないように手をまわしたな。おかげで彼女は裏庭で食事をしなければならなかったんだ」
「食堂で召し上がればよろしいのに」
「教科書など物がいくつか紛失したこともあった。私も一緒に探したが、やっと見つけたと思ったら池に浮かんでいたんだぞ」
「池に物を捨てるなんていけませんね」
「それだけじゃない。階段から突き落とされ、そこに君がいたというじゃないか。奇跡的に怪我は軽い捻挫だけだったが、なんて恐ろしいことをしたんだ」
「階段から落ちて捻挫だけとは、丈夫でいらっしゃること」
ひとつひとつ攻め立てる王子に対し、アンネリーセ様は淡々と相槌を打っている。
その様子が気に障ったのか、王子はさらにいら立ちを露わにした。
「何を他人事のように。少しは申し訳なさそうにできないのか。だいたいそのいつも淡々として無表情なところが一緒にいて気が休まらない一因だ。その点マリアは…」
パチリ。
長々と話し始めそうになった王子の言葉を、アンネリーセ様が扇子を閉じる音が遮った。
「ディーデリック殿下、一つ申し上げさせていただきます」
「な、なんだ」
「それだけのことをおっしゃるのですから、証拠があるということでお間違いないですね」
「もちろんだ」
威圧を含ませた彼女の視線に王子はややたじろいでいたが「証拠」という言葉に自信を取り戻したようだった。
王子が振り返ると、待機していたと思われる彼の取り巻きが二人出てきて王子の後ろに並んだ。
彼らは一様に紙の束を持っている。
「先ほど言ったものはほんの一例だ。かわいそうなマリアが多くの虐め被害にあっていたという証言と署名はこれだけある。それが証拠だ」
王子の自信たっぷりの言葉に何人かが「私も証人だ」「俺も証人だ」と名乗りを上げだした。
この声と証拠の紙の束を前に「もしかして本当?」という声も漏れだした。
こうなるとあとはアンネリーセ様の反応を待つしかない。
固唾をのんで見守る中、アンネリーセ様は扇を静かに閉じ、それまでのキリリとした表情を一転させふわりと柔らかく微笑んだ。
「まあまあ、それでは言い逃れできませんわね」
そう認める発言をしたものの、王子の証言通りの悪行を行ったとは思えない程優しい微笑みに誰もが目を奪われ感嘆の声をあげた。
攻め立てていた王子すらも見惚れているようだ。
そうして張りつめていた空気が幾分か和らいだところで、私の隣にいたアルフォンスが前に出た。
「兄上、ヴラーウ公爵令嬢そしてクライフ男爵令嬢、ありがとうございました。皆様、今回の余興はお楽しみいただけましたでしょうか」
彼がそのよく通る声とともに円の中心に登場したことで、皆の視線はアルフォンスに向く。
するとそのことを確認してから、彼は恭しく礼を行ってから人好きのする笑顔を皆に振りまいた。
「今回は兄上とご令嬢お二人に協力いただき、平民の間で流行しているという『婚約破棄』を題材とした小説から演目をご用意いたしました」
アルフォンスの説明に、困惑していた周囲の者たちも「なるほどパーティーの余興だったのか」と納得する空気が広がり始めた。
「少し過激な内容でしたので驚かせてしまったかもしれませんね。しかしそれは主演の三名の演技力があってこそ。皆さま、是非大きな拍手をお願いいたします」
そう言って彼が大きく手をたたくと、皆がつられるように手をたたき始めた。
そうしているうちに本当に余興だったと感じ始めるのか演技を称えるような声まで聞こえだした。
さすが人たらしのアルフォンス、空気が完全に変わってしまった。
ちなみに当事者である三人の中で皆に笑顔で応えているのはアンネリーセ様だけである。
あとの二人はこの空気に飲まれ、困惑顔のまま。
そしてひとしきり三人を称えたうえで、アルフォンスは「それでは引き続きお楽しみください」とその場を締め、当事者三人とともに会場から立ち去ったのだった。




