32.
「じゃあ、演奏するわね」
私はそう言って、肩にヴァイオリンを乗せ、顎で挟む。
ヴァイオリンを演奏されるなんて思っていなかったのか、リリーは目を見開いて私を見つめる。
誰かの為に演奏するなんて一体いつぶりだろ。なんか緊張する。集中しないと……。
横でルイスの視線を感じながら弓を走らせた。
前世の全盛期程指が動くわけじゃないけれど、今の私が今できる全力で音を奏でる。
彼女がこんな小さな部屋でずっと過ごす窮屈さなんて忘れてしまえるような壮大な音をもっと出せるはず。自由に空を羽ばたくような音を……。
もっともっとだ。もっと心に響け。
演奏をしている間は指の痛みなどすっかり忘れてしまう。そのぐらい集中できる。
音に強弱をつけて、繊細さを忘れずに、魂を込める。
額に汗がじわじわとにじむのが分かる。
誰かを思い誰かの為に演奏することがこんな胸を熱くさせるなんて思わなかった。どうか私の音がリリーの助けになりますように。
これは私からリリーへの応援曲だ。
「鳥が飛んだ」
私が曲を弾き終えると、リリーがそう小さく呟いた。
息を切らしながら彼女の方に目を向ける。
え!?
リリーの目から大粒の涙がとめどなく流れ続けていた。
「今のは一体何!?」
レイが頬を赤くして勢いよく扉を開けて部屋の中に入ってきた。
おおお! そんな反応がもらえるなんて喜びの舞だ。
「今、鳥が飛んだ! 私には見えたよ! 私も飛べる? 自由に外で走りまわること出来る?」
リリーが興奮気味で声を上げる。小さな子が病気と一生懸命戦ってるんだ。ヘレナ、早くここに来てあげて。
「ルイス! 今のは誰の演奏だ!?」
「俺超感動したよ!」
「今、演奏していた子に是非会わせて!」
窓の外から沢山の声が聞こえてくる。
私の音が風に乗って、他の人の耳に届いたようだ。ゆっくりルイスの方を見る。
彼はただ目を見開いたまま私をじっと見ている。
「え~、ルイス? そんなにがっつり見つめられたら恥ずかしいんだけど」
ルイスはハッと意識を取り戻す。そして、その勢いで私の手を力強くと握る。
「あんた、凄いな! 天才だ! 俺、音楽なんて全く分からないし、興味もなかったけど、キャシー、あんたの演奏は心が震えた」
その期待に満ちた煌めく目で見られるのっていつぶりだろう。
そんな風に褒め殺しされると、どうリアクションすればいいのか分からない。
「私、こんなに素晴らしい曲を聞いたのは生まれてはじめてだわ」
レイも隣でうっとりとしながらそう言う。
「キャシーさん、有難うございます。私、元気が出ました。キャシーさんの曲は私に生きる勇気をくれました」
「大げさだなぁ」
「大げさなんかじゃないです! 私、ここ最近本当に生きる意欲が湧かなくて……。だから、今、キャシーさんが私の為だけに弾いてくれたその曲を生涯忘れません」
「また弾きに来るよ。あ、あとキャシーさんじゃなくていいよ」
リリーの表情がパッと明るくなる。そして、少し照れくさそうに口を開いた。
「じゃ、じゃあ、キャシーお姉ちゃんって呼んでもいい?」
ルイスと同じ茶色の瞳が光っているのが分かる。
んんんんん! めっちゃ可愛い。私、こんな妹いたら溺愛するわ。
「もちろん」
私は満面の笑みで答えた。




