自問
野営地に戻るなり、私は手足を縛られた上に、布巾を噛まされた。その理由を、〝変なこと〟の方がマシ、と言うトーマの言葉の意味と共に、思い知った。
「~~~~~~~~~~~っ!」
口を塞ぐ布巾のおかげで、悲鳴は甲高い呻きに変わった。
一方、トーマはそれが聞こえていないかのように、私の右の脛に刺さっていた石を、短刀と鋏で無理やり引きずり出した。血と肉片がこびりついたその石を放り、手早くその傷口を塞ぐ。
「頑張れ。あと四つだよ」
トーマの気のない激励が、酷く遠い。傷口を抉られる上、肉を引き千切る痛みが、今度は左腿で起こった。
覚えているのは三つ目の、右脇腹の大きな石を引きずり出したところまでだ。幸か不幸か、私は途中で気を失ったらしく、気づいたときには、焜炉の横で敷物に寝かされていた。身を起こすと、体のあちこちから痛みが走る。
「元気そうで何よりだけど、無理するもんじゃないよ」
焜炉を挟んだ向かいでは、トーマが茶碗にやかんを傾けていた。
「私、どれくらい眠ってたの?」
「ほんの小一時間くらいだよ‥‥‥はい、どうぞ」
と、豆茶の入った茶碗を私に差し出し、
「ところで、君さ‥‥‥この森を侵略でもするつもりかい?」
今日の天気でも訊ねるように、平然と言ってくるものだから、私は危うく茶碗を取り落としそうになった。
「な、何よいきなり? どういう意味よ?」
「どうもこうも、言葉通りさ。例えば、あれ」
と、トーマは更地になった場所を指差し、
「あとは」
次いで、川の方──正確には、無我夢中で輝術を放った場所を指差す。
「あっちに至っては、オーマシラを──この辺一帯の主を、消し飛ばす勢いだったからね」
「で、でも襲ってきたのは、あのケダモノの方で‥‥‥大体、こっちは殺されるところだったのよ。なんていうか、無我夢中だったし」
「そのケダモノの縄張りに、君の方が、入り込んだんだろ。暗くなるから遠くへ行くなって、言ったじゃないか。僕が適当なところを選んで野宿してると、まさか思ってたんじゃないだろうね?」
トーマは、素気なく切り捨てるた。
「知らないわよ、そんな事っ。何よ、私が間抜けだから食い殺されても仕方ないって言いたいわけ?」
「‥‥‥まだ分かんないのか?」
トーマは、深々とした嘆息を吐き出しながら、再び更地と川の方を指差し、
「あそこには、君に指一本も触れようとしない、|小さくて大人しい獣もたくさんいた《・・・・・・・・・・・・・・・・》んだ。そのことを、何とも思わないのか?」
「それは‥‥‥べ、別にやりたくてやったわけじゃ」
「君のしたことはそういうことだ。これじゃ恐怖と絶望を撒き散らす、あの伝説の魔翼そのものじゃないか」
「そんなこと」
ない──言いかけた私の目に、更地が映る。一体どれほどの獣が、あの輝力に飲み込まれたのだろうか。
「オーマシラ──君の言うところの〝ケダモノ〟にしたってそうさ」
押し黙る私に、トーマは笑みを浮かべたまま、更に続けた。
「彼は、彼にとっての普通を普通にこなしただけだ」
トーマは、笑っているだけという事に、私はようやく気づいた。
「縄張りを荒す者を攻撃、捕食するってね。間抜けだから食い殺されても仕方がない‥‥‥その通りだよ」
トーマは──怒っている。
「もう一度言うぞ‥‥‥君のしたことは、そういうことだ」
つまり──トーマが救ったのは、私ではなく、
「ああ、そうだよ‥‥‥僕が助けたのは、侵略者に平和な生活を脅かされた、あのオーマシラの方さ‥‥‥とまあ、説法はこのくらいにして」
唐突に、トーマは話を切り替えてきた。
私は、安堵する──それが、自分で思った以上のモノであったことに、私は気づいた。トーマという少年の怒りは、じわりと威圧してくる性質のものだと、私は悟る。
「ご覧のとおり、石は全部取ったし、他の怪我も応急処置はした。あとは君の輝術の出番だ。治癒系輝術、使えるよね?」
「いえ、その‥‥‥」
治癒系輝術──使えることは使える。だが、
「? 何か?」
「‥‥‥私、治癒系輝術は、ちょっと齧った程度で、しかも習ってから、あまり使ったことが無くて」
「だから?」
事も無げに、トーマは問い返してきた。
「ちょっと齧っても何でも、今やらなきゃ困るのは君だよ。明日の朝に出発するから、じっくりゆっくり回復できる機会は、もう今しかないよ」
「どういうこと?」
「誰かさんのおかげで、この辺の動物たちは、みんな逃げた‥‥‥ここまで言えば、もう分かるだろ?」
「でも」
「あのさ‥‥‥君は、確かに〝籠の鳥〟だよ」
不安そうな私に、トーマは苦笑混じりに言った。
「でも、君が今いる場所は、籠の中じゃないよ」
何のことか分からず、私は怪訝そうにトーマを見返す。そんな私を、トーマは真っ向から見据え、
「だからもう、無能は通用しない。事情なんて関係ない。そんなのは、行動しない理由にならないよ」
嘲るでもなく、叱るでもなく、ただ淡々と、トーマは告げた。
「何かあったら、大声上げるなりなんだりして。んじゃ、おやすみ~」
トーマは、馬車の中に引っ込む。数秒としないうちに、呑気な寝息が聞こえてきた。一方、焜炉の前に座る私は、周囲を注意深く探る。
獣はおろか、虫の鳴き声すら無い。聞こえるのは、風と枝葉の音だけ。本当に、この近辺で動くものは、自分達だけらしい。
獣たちが恐れてるのは、ここで起こった〝異常〟である──言い換えれば、元凶を恐れてるわけではない。この一帯から出たら、またオーマシラのような猛獣が襲ってくる可能性は、十分あるわけだ。その時、まともに動けない私は、お荷物になる。
何を今更──冷静な自分が、冷徹に言った。
まともに動けた今までだって、十分にお荷物だったではないか。鳥車にしても、缶詰にしても、結局は彼に尻拭いさせている。護衛と称して行動を共にしているが、これではどちらが護ってもらっているのか、分からない。
『今まで何をしてきた?』
『何かしたことがあったか?』
トーマの問いが、何度も繰り返される。
剣や輝術を習い、修学所では死に物狂いで首席を勝ち取り──その答えは、違う気がする。
予備大蔵書室に籠って、蔵書整理しつつ知識を吸収して──それも、違うと思う。
「私は、何をしてきた?」
いつの間にか、それは私自身の問いになった。そして、いくつも答えを出してみるが、どれも違う。
「私は‥‥‥」
トーマに言われた時は、咄嗟の事だから、と思っていた。なのに、いざ冷静になって考えても、答えが出なかった。これではまるで──。
「ああ、そうか‥‥‥」
答えが出なくて、当然である──出せる答えが、そもそも無いのだから。
「何一つ、してこなかった‥‥‥」
当然だ。黒い翼を持つゆえに忌み嫌われ、疎まれてきた自分には、殆ど何もやらせてはもらえなかった。そもそも、〝予備蔵書室監理士〟も、半聖半魔を体良く押し込める方便だったではないか。そこで大人しくしていろ、と。
言い換えれば──大人しくしてさえいれば、生活は満ち足りていた。何もしなくても、食う寝るには困らなかった。
自分から何かする必要など、無かったのだ。
『それじゃ、これからはどうだ?』
『何かしようと考えてるか?』
トーマに問われるまで、考えたことも無かった──という事に、たった今気づいた。
『その〝力〟で、何をしようとしてる?』
自身の内に、意識を向ける。途中休眠を挟んだとはいえ、半日であれだけの輝力を放ったというのに、まだ余裕がある。この輝力量、知っている限りでは、ミカエルにも匹敵すると思う。
それだけの力が、自分にはあった。
それだけの力を持ちながら、今まで何もしなかった。
それだけの力があったことを、今まで知ろうともしなかった。
『十数年しか生きてない地駆民の幼生ごときにさえ出来ることが、君には出来ないじゃないか』
「‥‥‥そうよ」
それだけの力を持ちながら、駆鳥一羽従えられない。
それだけの力を持ちながら、缶詰一つ空けられない。
それだけの力を持ちながら、一人では何も出来ない。
その結果が、
『だから君は、〝籠の鳥〟なんだよ』
「‥‥‥そうよ」
自分は、ごときに守られている、〝籠の鳥〟だ。
自分は、何もしてこなかった。
自分がこれから何をするべきか、考える事もしなかった
自分を囲う〝籠〟に不満と退屈を感じながら、そのくせ甘んじていた。
『でも、君が今いる場所は、籠の中じゃないよ』
『だからもう、無能は通用しない。事情なんて関係ない。そんなのは、行動しない理由にならないよ』
「‥‥‥ええ、その通りよ」
私は、輝力を全身に巡らせる。
治癒系輝術〝包養〟──達人が施せば、千切れた手足も再生出来るとされる、癒しの光。残念なことに、私は達人どころか、修学所で習ってからは書物で少々齧った程度の素人だ。そうでなくても、輝力量よりも精密さと集中力が要求されるこの輝術が、あまり私は得意ではない。
さっきまでなら、そこで諦めたろう。しかし、私は治癒を続けた。特に、翼と手足を優先的に癒していく。
「無能は行動しない理由にならない、か‥‥‥」
気に入らないが、トーマの言う通りだ。ここはもう、大聖宮ではない。誰かに何とかして貰う場所ではない。
それに──地駆民に何とかしてもらってばかりいるのは、やはり我慢がならない。