森の侵略者
木々の頭上を放物線を描くように飛び越え、そのまま川の岸辺に落ちるように着地した。破らんばかりの勢いで服を脱ぎ、剣と一緒にその場に投げ捨てて、川に飛び込んだ。水は冷たいが、今はありがたかった。
腰まで浸かったところで翼を広げ、私は仰向けに倒れた。広げた翼のおかげで、すぐに水面まで浮き上がる。冷たい流水に晒され、頭も体も強引に冷やしていく。
『だから君は、〝籠の鳥〟なんだよ』
冷えれば冷えるほど、トーマのその言葉が、繰り返される。
籠の鳥──鳴くことしか出来ず、餌は飼い主から与えてもらうしかない、という意味が込められている。天翔民にとっては、この上ない蔑称だ。ましてや、
「地駆民なんかに‥‥‥」
冷めかけた熱が、再び加熱していく。
でも、何一つまともに言い返せなかった──熱に侵食されかけた冷静な部分が、冷徹にそう言った。熱は一気に冷め、しかし冷め切ることはない。そんな中途半端な思いは、酷い苛立ちに取って代わる。
「もうっ!」
跳ねるように体を起こし、
「え‥‥‥」
しかし、川底に着くはずだった足は水中で空回りした。勢いのついた体は、面白いほど転げまわった。
必死に手足と翼を動かして、どうにか水中から飛び出した。見渡すと、岸に置いた服が見当たらない。どうやら、流されたらしい。
私は、すぐに川を遡るように飛んだ。慎重に進みながら目を凝らして探すが、既に日は落ち、明かりになるのは星空と、それを照り返す川の線のみ。それだけでは、まるで見えない。
見つかるか──不安になる私の目に、川岸の小さな光が映った。近づくと、きれいに折り畳まれた私の服と、鞘に納められた剣が、投光器の光に照らされていた。
降りて自分のであることを確かめて安堵しながら、ふと投光器を手に取る。これのおかげで見つけられたが、こんなもの、持って来なかったはずだ。
そもそも──私は、服も剣も投げ捨てるようにして置いていったはずで、畳んだりはしなかったはず。
「‥‥‥」
木々の向こうの、野営地の方を見やる。間違いなく、トーマがやったのだろう。水汲みついでか何かで。
「余計な事を‥‥‥」
服をいじられた羞恥から、つい悪態を漏れた。
でもこれが無かったら──またも冷静な自分が、そう言った。結局、一人では何も出来ない、と。
「──っ」
いきなり足元が、崩れた──翼を広げて体を浮かせるが、何も崩れてはいない。そもそもここは、崩れるような場所ではないのだ。
なのに──恐怖が消えない。震えが止まらない。それどころか、このまま激しい気流に流されていくような気さえしてきた。
「気のせいよ、気のせい‥‥‥」
そう、気のせいだ──私は、その場にゆっくりと降りた。
枝葉が音を鳴らしたのは、その時だった。悲鳴と、輝術を放つのを、間一髪押しとどめる。
「ぬ、濡れたままの裸だからよね、きっとそうよ」
私は、そちらに投光器を向ける。その光が当たると、枝葉は、確かに揺れた。それも、大きく。
何かいる──私は、反射的に剣に手を伸ばし、鞘から剣を抜き放ち、
「がっ?」
衝撃と共に視界が反転し、同時に急速に流れていき、弾き飛ばされたのだと認識した時には、川面に叩きつけられていた。
何度か水中で転げ、さらに鼻から水が入り、頭の中心を刺すような痛みをこらえながら、それでも手放さなかった剣を杖にして起き上がり、岸辺に立ったそいつの姿を確かめる。
〝豊穣の森〟は、その名の通り、多くの生命で満ちている。当然ながら、危険な猛獣も生息している。
川面の照り返しを受けたその身は、丈は私の三倍弱、全身を褐色の体毛と分厚い筋肉で覆う人に似た、しかし人ではない獣。
オーマシラ──五十年ほど前に読んだ書物の記憶から、名前と共に生態を手繰り寄せる。豊穣の森では最大級の雑食動物。非常に獰猛で縄張り意識が強く、入った者を見境なく攻撃、獲物として捕食する。
縄張りに入った獲物──私は、剣を構え直した。
その動きをどう汲み取ったか、オーマシラは短い雄叫びを上げながら、私に向かってきた。
私は翼を広げ、上空へ身を躍らせ、
「え‥‥‥」
視界に映ったのは、左右の腕を立て続けに振ったオーマシラと、鈍い風切り音を立てて飛んできた何か。
それが、私の頭ほどはある石だと気づいた時には、両翼に衝撃を受けた。
折れた──鈍い音と、遅れてやってきた激痛が、私にそう告げた。飛ぶ力が抜け、私はそのまま川中に落下した。
急いで立ち上がり、オーマシラを探す。見つけたときには、十数歩先の上流から、オーマシラが突進してきていた。
「悪く思わないで」
頭部に狙いを定め、貫くには十分な威力の輝力を集め、〝貫閃〟を放った。
それを──オーマシラは、前転でかわした。眉間を貫かれる寸前で。
その巨体に似合わぬ身軽さに、私は目を見開いた──だから、次の〝貫閃〟が遅れてしまった。
オーマシラは前転からの起き上がりざまに、川底から拾った石を投げつけた。それも、その大きな両の手一杯に掴んだ分を一斉に。私は防壁を展開しようとするが、間に合わない。
小さくても、私の拳大──そんな石が、文字通りの雨となって降り注いだ。全身を所構わず打ち据える重たい衝撃に耐えきれず、私は倒れた。
「ぐぅ‥‥‥っ」
意識が飛びかけるが、痛みが引き戻した。跳ねるように身を起こしながら、私はオーマシラの姿を探す──までもなかった。
「え‥‥‥」
すぐ目の前にいたから。
その大きな手で顔を掴まれ、川底に押し倒される。そのまま、オーマシラの右足が、私の体を押さえつけた。
「~~~~~~~っ!」
オーマシラの足に剣を突き刺そうとするが、その腕をオーマシラの左足が踏みつけた。
こっちも折れた──鈍い音と激痛に、ついに剣を手放してしまう。残った左手と両足でオーマシラを叩くが、僅かも揺らがない。
呼吸を止めてもすぐに限界が訪れ、空気を求めた肺が強引に動いたため、水を吸い込んでしまう。肺が異物を吐き出そうと何度も咳込むが、水中では逆効果だった。
咳込むうちに、急激に意識が遠くなっていく。苦しさが、次第に身を優しく包むような心地よさに変っていく。その正体を知ったとき、私の思考は恐怖に塗りつぶされた。
死にたくない──後で思えば、その思い以外の全てを吹き飛ばしたのだろう。
加減無しで集約された輝力は、瞬く間に大きくなり、輝きを強くしていく。
身の危険を感じたのか、オーマシラは飛び退いた。重圧が無くなり、私は身を起こしながら肺の水を吐き出し、新鮮な空気を存分に取り込んだ。
その時点で、既にオーマシラは私に背を向け、森に向けて走り出していたが、私は構わず輝力を放っていた。
分類するなら〝貫閃〟だろうか。しかし、今私が放ったのは、オーマシラはおろか、周囲を諸共飲み込まんばかりの、巨大な激流。それは、木も岩も関係なく砕きながら疾り、オーマシラを飲み込んだ。
そして──弾けた。
「‥‥‥?」
光の激流は、何かにぶつかったように幾筋にも割れ、それぞれに散っていく。その眩しさが、私の麻痺した思考を動かした。
目を細めながらも、私はそれを見ようとするが、この位置からではよく見えない。やがて、それが収まると、残っていたのは激流の疾った傷跡と、球形の光に覆われたオーマシラだった。
これが壁となって、オーマシラを守った──それは見れば分かる。だが、壁と言っても、向こうが透けて見えるくらいその密度は薄い。こんなのが、あの激流を防いだというのか。
改めて、光の壁を見据える。刃のような鋭い突起が四本、オーマシラの周りを回っていた。短剣ほどの大きさのそれらは、不意にその回転を止める。すると、光の壁は静かに消えた。どうやら、これらが壁を形成していたらしい。
回転を止めた四本の刃は、オーマシラから離れていく。残ったのは、腰を抜かしたまま動けない、オーマシラのみ。この森最大の巨獣が、動けぬほど怯えていた。
その足先に、突然光が走り、地面が爆ぜた。私がそちらに目を向けると、オーマシラの真上に、四本の刃が浮いていた。その先端が光ると、次の瞬間には、それが矢のように撃ち出される。矢は、腰を抜かしたまま動けないオーマシラの周囲の地面に突き刺さり、土を巻き上げる。それで、オーマシラは我に返ったらしい。跳ねるように身を翻し、風のように森の奥へと駆けていった。
それを確かめたのか、刃達は別の方に飛んで行く。私の頭上を過ぎって向かった先には、
「な‥‥‥」
私の背後数歩分の位置──その灰色の全身鎧は、川面に触れるか否かの高さに、音も無く浮いていた。
集まった四つの刃が、両肩と両腕にそれぞれ納まると、鎧は私の方に近づいてきた。私は、身構えようと立ち上がるが、
「ぃっ‥‥‥」
全身から痛みが走り、その場に尻餅をついた。
「やめときなよ。だいぶ酷いことになってるから」
兜の向こうから、笑い声が聞こえた。
「その声‥‥‥」
兜のせいでくぐもってはいるが、間違いない。
「トーマ、なの?」
「はい、正解」
触れてもいないのに、面当てが独りでに引き上げられる。露わになったのは、トーマの顔だった。
私は、トーマの身を包む鎧に目を向ける。
〝鎧〟と称するのも、少々違うかもしれない。金属なように見えて、陶器にも見える。形は鋭角的で、しかし流線的にも見える。何より特徴的なのは、端々から小さく発光していることだ。
詳しいことは分からないが──これは、聖地のどこにも存在しないだということは、確かだ。
「貴方、一体‥‥‥」
「その前に、ちょいと失礼」
と、トーマは私を抱き上げた。鈍重そうな鎧で覆われているくせに、その手つきは、優しく手慣れている。
「あ、念のため」
と、面当てが再び下りる。
「途中で引っぱたかれたりしたら、たまったもんじゃないからね」
何のことかと聞き返そうとして、気づいた──と言うか、思い出した。
自分は今、完全に丸裸であることに。
「ちょ、何見てるのよこの痴漢っ!」
身をよじるが、がっちり押さえられているため、ビクともしない。
「はいはい、喚くのは良いけど大人しくしてろよ、負傷者」
「ぐぬっ‥‥‥」
改めて自分の有様を見れば、手足と言わず、体中が血と痣に塗れていた。中には、石が突き刺さったままの箇所も、いくつかある。
「言っておくけど、変なことしたら」
「本当に残念だよ。僕には、怪我まみれの血まみれの女体を見て喜ぶ趣味が無い」
わざとらしい嘆息が、面当て越しでも聞こえた。
引っぱたくどころか、〝貫閃〟で兜ごと撃ち抜いてやろうかと、半ば本気で思っていると、
「暴れるなよ」
トーマの体が、私を抱えたまま浮かび上がる。音も予備動作も無く、それ以前に、翼も無いのに飛ぶ方法など、私には想像もつかない。とりあえず分かるのは、トーマの全身を包む鎧が、その力の源であることだ。
「何なの、その鎧? そもそも、〝鎧〟と呼んでいいのかしら?」
「第六系全領域複合兵装‥‥‥要は、ただの鎧さ」
「どこが〝ただの〟よ‥‥‥」
これが、私たちが〝鎧〟と呼んでいる代物よりも遥かに発達したものであることくらい、私にだって分かる。
「それより」
私を抱く力が、妙に強くなった。まるで、逃がさないとばかりに。
「君の言う〝変なこと〟のほうが、まだマシかもしれないから、そのつもりで」




