現実の真相
まず向かったのは、執政官の館だった。
「執政官は、お忙しい‥‥‥と、先ほど言ったはずだ」
ヘイズに面会を求めれば、出てきたのはやはり補佐官であり、冷たくあしらわれるだけ。そのくらいは、最初から承知の上だ。
「そのヘイズ執政官なんですが、今どこに?」
「何度も言わせるな。執政官は──て、おいっ」
私は強引に廊下を通り抜け、執務室に入る。
やたら大きな執務卓、それらの上に置かれている高価そうな酒瓶、壁にはそれっぽい額に納められた、何が何だかよく分からない絵。それに対して、書棚や執務卓の資料は、妙に少ない上に薄い。
しかし、その部屋の主の姿は、影も見えなかった。隣の寝室にも足を踏み入れるが、やはり豪奢な品ばかりで、ヘイズの姿は無い。
「衛兵っ」
補佐官が叫ぶ。
ここだ──私は、補佐官に聞こえないように深呼吸し、トーマを頭の中に浮かべる。彼なら、どうするか。
おっとり刀で、二人の衛兵がやって来た。その片方が伸ばしてきた手を、私は避け、
「執政官は何処にいるんですか?」
まずは、補佐官に問う。
「答える必要は無い」
「貴方達は、知ってる?」
次に、衛兵に問う。
「答える必要は無い、と言っている」
衛兵ではなく、補佐官が答えた。しかし私は、補佐官には目もくれず、衛兵を見据えたまま。そのうち片方が、一瞬私から目を逸らした。
私は、内心ほくそ笑み、
「確か、十三番坑道でしたっけ‥‥‥一月半ほど前に閉鎖命令を出したそうですが」
「採掘量が減った坑道を閉鎖して何がおかしい?」
「その作業を行った地駆民達は、崩落事故で全滅したそうですね」
「たった八人だ。どうということは無いだろう」
具体的な数字を口にした──つまり、彼も知っている立場にある事は確実だ。
「その八人は、一体誰が、どのように選別したんですか? いわゆる、独身者とか周りとの折り合いが悪かったとか‥‥‥つまりいなくなっても、さほど心配されない者達だったというのは、本当に偶然ですか?」
「答える事など何も無い、と言っている‥‥‥おい」
補佐官は、苛立ったように衛兵をけしかけた。
「放り出せ。そして、二度とここの敷居を跨がせるな」
二人の衛兵は、両脇から私の腕を掴もうとするが、
「結構です」
と、私はそれを振り払った。
「私は、これで失礼します」
収穫はあった──ヘイズ達は、今回の事件に関わっている。
館を飛び出し、そのまま鉱山に向かう。
無数にある坑道の入口だったが、見つけるのは簡単だった。金網の扉で入口を塞がれ、ご丁寧に〝立入厳禁〟の札が下げられている坑道など、そこしか無かったからだ。
金網越しに投光器を照らすと、右横の壁に〝十三番〟と殴り書きされた板が、打ちつけられていた。
金網の扉は、押してみるとあっさりと開いた。中に入り、坑道の奥を見据えるが、ここからでは奥の方は見えない。
「‥‥‥」
行方不明事件の調査だというのを、改めて思い出して、私は急に不安になった。
首飾りを握りしめる。何の飾り気も無い首飾りが、何故か不安を和げてくれた。
「よしっ」
気合とともに投光器を掲げ、坑道に足を踏み入れた。
しばらく進むと、鈍い光を放つ箇所が、周りの岩肌に表れる。
この〝北の結界〟の岩盤には、発光性質を持つ鉱物が含まれている。これを精製、加工して、更に強い光と熱を放つようにしたのが、〝陽煌石〟だ。
これを様々な機器に組み込むと、大型照明や投光器などの光源、暖房や調理器具などの熱源として利用される。トーマが使った焜炉や、今私が手にしている投光器も、それだ。
採掘量が減った坑道とのことだが、僅かながら残っているらしい。その光と投光器のおかげで、視界は十分だった。
「それにしても‥‥‥」
妙だ──どうにも先ほどから、違和感が私の頭から離れない。
長年の採掘によって、坑道はいくつにも枝分かれしている。迷わずにいられるのは、別れ道には一つだけを残して、縄が張られていたからだ。まるで、開けている道以外は、その先に行く必要が無いとばかりに。しかもその縄は、明らかに最近張られたとばかりに、真新しい。
思えば、〝立入厳禁〟の坑道に、鍵がかかっていない事も気に入らない。
そして、あの補佐官達の態度だ。彼らは、明らかに何か知っている──というより、関わっていると見て良いだろう。
町の地駆民達の身の上を調べ、金を掴ませ、用が済んだら口封じ──これらを秘密裏に出来るとしたら、この町の取り仕切るヘイズくらいだ。
でも──と、疑念が断言を妨げた。
もしそうなら、補佐官達のあの態度は奇妙だ。明言は避けたとはいえ、あそこまで露骨に疑惑を向けたのだ。その場で口封じ、とまではいかずとも、監禁拘束くらいは想像していた。
この程度では揺るぎもしない、という自信の表れとも取れるが、せめて監視くらいは付けるのではないだろうか。改めて、周囲の気配を探るが、やはりこの場に自分以外は誰もいない。
「‥‥‥」
どうにも嫌な感じだ。何かが繋がりそうなのに、何で繋がるのかが分からない。
掴めそうで、掴めない。
自分は、何かを見落としている。
「!」
奥の方に、光が見えた。岩肌の光とは違う、明らかに〝陽煌石〟のそれ──つまり、人工的な光だ。
近づくと、それまでの坑道と、様相は打って変わった。
石畳の床、研磨されて滑らかになった壁天井、取り付けられた陽煌石の照明──今までのような、岩の中を単純に掘り進めた道ではない。
その通路の奥には、見るからに重そうな鉄扉があった。鋭い突起が鱗のように並んだ造形は威圧的で、まだ真新しい光沢もあってか、妙に禍々しい。
しばらく眺めていた私は、大仰に肩をすくめ、
「これで休憩所とかなら、悪趣味だわ」
呟いて、小さく噴き出した──可笑しさと自嘲がない交ぜになった笑いだった。恐れを誤魔化すための、自分に対する冗談だった。
先ほどからの違和感は、今は恐怖に変っている。その恐怖が、扉を開ける事を止めようとする。今すぐ、来た道を全速で戻れと告げている。
「‥‥‥何を今更」
叱咤と呼ぶには弱々しい呟きだったが、それでも多少の効果はあった。恐怖がわずかに引いた隙に、私は鉄扉を押し開けた。
壁に設けられたいくつもの投光器によって照らされたそこは、やけに広い空間だった。翼を広げて飛び回っても十分なくらい、幅も奥行きも、そして高さもある。
「‥‥‥ぅっ」
その大広間に充満する濃密な腐臭と、何よりその光景に、私は口元を押さえた。
整然と並ぶ、細長くあつらえた鉄の杭。
それらに組み合わされた地駆民達──彼らは、股間あるいは肛門から口にかけて、一直線に貫かれていた。
喉の奥からせり上がる吐瀉物を、どうにか飲み込み、懐から出した布巾を顔に当てる。そんな薄布一枚で、僅かでも和らぐような腐臭ではないが、気持ちだけでも踏ん張ることは出来た。
私は、改めてそれに目を向ける。
ひどい──そんな言葉で評する範疇など越えているが、生憎私は、それ以上の言葉を知らない。
これらはただの腐肉だ──自身にそう言い聞かせながら、目を逸らしたくなるのを必死に堪え、混乱に逃げようとする思考を必死で押さつけて、それらの間を通り抜けて奥へ進む。
ざっと数えても三十以上。トーマの話をさらに上回る数の中には、老若男女を問わず──それこそ十にも届いていなさそうな子供までいた。皆、丸裸のまま手足を縛られ、苦悶の表情を浮かべている。恐らく、生きたままこのような形にされたのだろう。
奥に行くにつれ、腐敗臭が酷くなる。最奥のそれらにいたっては、手足が縛られた箇所から崩れ落ちていた。その数、八──崩落事故で死んだとされる人数と、同じだ。
やっぱり──私の疑念は、確信に変わっていく。奥のそれに気づいたのは、その時だった。
「これって‥‥‥」
人柱ばかり気にしていた気付かなかったが、そこには天井にまで届く巨大な彫像があった。両腕と翼を広げた、雄大な姿を象った天翔民。
いや、
「‥‥‥魔翼?」
翼のみならず、全身が黒く染められていた。頭には角が生え、手足の爪は長く、顔は凶相で牙を剥いている。その禍々しい姿は、伝説に描かれている魔翼そのものだ。
「まさか」
だが、それ以上に目を引いたのは、その彫像の胸元だった。
上昇し、間近で確かめたそれは、一人の天翔民だった。
両手両足両翼、そして心臓──合わせて七本の鉄杭でもって磔にされていた。
「ヘイズ‥‥‥?」
修学所を出て以来だったが、間違いない。
でも何故──今の今まで、彼が黒幕だと思っていた。そのヘイズが、今ここでこんな状態にある。
だとしたら──次に思い浮かぶのは、補佐官だが、やはり先ほどの態度は奇妙だ。今の今まで秘密に進めておいたこれだけの事を、今にも発覚しそうだという輩の態度ではない。
むしろ──どうぞ好きに見てください、とでも言わんばかり。
「ここに来ることも計算の内‥‥‥というか、ここに誘い込むため?」
全身に悪寒が走り、弾かれたように身を翻した──いや、翻そうとした。
「がっ」
いくつもの輝力の光に翼を撃ち据えられ、私は落下した。何とか受け身を取って着地するが、立ち上がろうとする前に、頭と手足を床に押さえつけられた。のみならず、手足に枷のような輪が嵌められていく。輝力を封じ込めるための、封環だった。
「終わりだ」
侮蔑の感情すらも無い、あまりにも冷たい声が上から響く。何とか顔を上げ、その姿を確かめる。
「べ、ベルネス‥‥‥」
その名を口にした瞬間、顔を蹴りつけられた。
「気安く呼ぶな、おぞましい」
私を見下ろす眼は、正に塵芥を見るそれであった。
「穢れているとはいえ、半身は我らの同胞。謀反を企てるにしても、このような非道を行う者ではない、と思っていたのだがな」
ベルネスは、立ち並ぶ人柱を見渡し、次いで彫像の胸元のヘイズを神妙な面で見上げ、
「挙句、私の友まであのような‥‥‥」
そういうことか──私は全てを理解した。頭の中の違和感が、今頃になって解かれていく。
「貴様一人にやらせるから妙だと思っていたが‥‥‥なるほど、今なら父上の深慮遠謀が理解できる」
何やら一人で感激しているが、私は笑いを必死に噛み殺す。この様子では、ベルネスも何も知らない。良いように使われているだけだ。
「貴様の処分は、大聖宮で下す。せいぜい覚悟しておけ‥‥‥まあ、覚悟などと高尚な精神が、穢れた翼にあるとは思えんがな」
吐き捨て、ベルネスは兵士に連れて行くように指示した。半ば引きずられるように歩きながら、私は兵達の中に、補佐官の姿を見つけた。強引に足を止め、
「補佐官殿、貴方の本当の上司は誰なんですか?」
補佐官の人形じみた表情が、僅かに歪む。私は、それを見逃さなかった。




