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不本意ながら妻は「離婚しましょうか」と告げる  作者: 樫本 紗樹
本編

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20/29

息子の駄々

 ジェームズは昼寝の後、家に帰りたいとは言わなかった。ミラも特に何も言わず、昨日と同じように夕食を取り、入浴し、息子を寝かしつけた。

「ハンナには迷惑をかけてしまったわね」

 ミラは室内に控えていた侍女に声を掛けた。ハンナは笑顔を浮かべる。

「いいえ。王宮で過ごすという貴重な体験をさせて頂けて嬉しく思います。色々と勉強にもなりました」

「そう言って貰えると助かるわ」

 ライラは考えを纏めてからと言っていたが、ミラ自身もうこれ以上王宮には留まれないと思い始めていた。側近の妻の待遇としては破格すぎる。どこからか漏れてナタリーに迷惑をかける前に、屋敷に戻るのが正しいだろう。

「ハンナ、荷物を纏めておいて頂戴。明日の交流会参加後に屋敷に戻るわ」

「いよいよ旦那様を追い出すのですね」

「追い出さないわ」

「でしたら家庭内別居でしょうか」

 ハンナの言葉にミラは困ったような表情を浮かべる。

「前から気になっていたのだけれど、何故離婚や家庭内別居を薦めるのかしら」

 ミラは仮面夫婦を演じ切れていたと思っている。使用人達の前で離婚したいと口走った事も、夫の愚痴を零した事もない。使用人達にとっても今まで通りの方がいいような気が彼女にはする。

「奥様は最近お辛そうでしたから」

「そう見えていたなら私は侯爵夫人失格ね」

 ミラは小さくため息を吐いた。心で何を考えているのかを隠せないようでは、ナタリーの横で交流会に参加する意味がない。彼女の様子を見てハンナは慌てる。

「そのような事はありません。あのどうしようもない旦那様を支えていらっしゃるではありませんか」

「どうしようもないは言い過ぎではないかしら」

「言い過ぎではありません。これほど献身的に支えている奥様を何とも思わない、あの仕事人間に奥様は勿体なさすぎます。もっと手を抜いても旦那様は気付きません」

 ハンナの言葉にミラは困ったように微笑む。確かに今までスティーヴンの為に妻として振舞ってきた。それはただの同居人の頃からで、気持ちが動いてからはより意識していた。

「私、少し我儘になってもいいかしら」

「勿論です。少しと言わずいくらでも」

「ありがとう。それなら明日、いつも以上に綺麗にして欲しいの」

「明日の交流会はそれ程重要なのですか」

 ハンナの問いにミラはゆっくり首を横に振る。

「スティーヴン様に言いたい事を言うつもり。あの無関心男に私がいかにいい妻か思い知らせてやるわ」

 ミラは楽しそうに微笑んだ。つられてハンナも微笑む。

「わかりました。ミラ様の魅力を最大限に引き出せるように頑張ります」

「えぇ、宜しく頼むわね」



 翌日、午前中に女官の仕事を終えたミラは交流会に参加する為に支度をしていた。

「ははうえ、いつかえる?」

「もう少し待ってね」

「やだ。かえる」

「今日は外せない約束があるのよ。それが終わったら帰るから、ね」

 今日はナタリーの長女であるアリスの学友を選ぶ為に、歳の近い娘を持つ貴族女性が集まる事になっていた。ミラは息子しかいないが、それ故に冷静に判断出来ると思うからとナタリーに依頼されている。

「やだ。もうかえる」

 交流会中はリチャードの教育係がジェームズも一緒に面倒を見てくれる事になっている。普段は心配なく預けるのだが、駄々をこねていると任せ難い。

「午後からリチャード殿下と兎を見に行くの、楽しみでしょう?」

 レヴィ王宮の北には森が広がり、兎や鹿などの動物が飼育されている。勿論食用なのだが、それを幼い子供に教える訳ではなく、ただ動物と触れ合うというだけである。

「かえる」

「ナタリー様との大事な約束があるから勝手に帰れないのよ」

 ミラが説得に難儀していると扉を叩く音がした。リチャードの教育係がジェームズを迎えに来たのである。

「ジミー様。リチャード殿下の所へ一緒に行きましょう」

「やだ、かえる」

 ジェームズはそう言うと開いていた扉から素早く部屋の外へと駆け出していく。ミラは慌てて追いかけようとしたが、教育係にやんわりと止められた。

「ご安心下さい。この王宮内では猫一匹迷子になりえません」

「しかし」

「この件は私に任せて下さい」

 教育係の後ろからノルが声を掛けた。ミラは急に現れたノルに驚いて反応出来ないでいると、ノルは一礼をしてジェームズを追いかけていく。ミラがはっとして自分もと思った時、教育係が再び制止した。

「ノル様に任せて大丈夫です」

 ミラは教育係に疑問の眼差しを向ける。ノルは裏方の近衛兵なのだ。誰もがその存在を知っているものではない。現に彼女は先日手紙を渡されるまで名前は知っていても、容姿は知らなかったのだ。教育係は笑顔を浮かべる。

「王太子の幼児教育も近衛兵の担当なのです。現状不穏な雰囲気がないとはいえ、これは慣習です」

「ですがノル様に息子を任せるわけには」

「ノル様は二児の父親で子供の扱いには慣れていますよ。それより王妃殿下がお待ちですから、そちらへお願いします」

 既にジミーの姿は見えなくなっていた。これからジミーを探すとなると交流会には間に合わない。教育係が念押しするように頷いたので、ミラは後ろ髪を引かれる思いのまま、ナタリーの待つ交流会へと向かった。



 国王の執務室では黙々と三人が仕事をしていた。一通りの書類に目を通し終わったエドワードがスティーヴンに視線を投げかける。

「呑気に仕事をしていていいのか」

「仕事が終わり次第ミラの所へ向かう予定です。あとで部屋を教えて下さい」

 スティーヴンは昨夜考えた結果、ミラを一日で説得出来ないと判断をした。それでも何日かかけて説得すると言えば、エドワードも突然帝国へ追放などはしないだろうと踏んでいる。

「今日の交流会はミラが外せないなんて所に気が回るようになったのか」

 エドワードが驚いた様子でスティーヴンを見る。しかしスティーヴンはミラの交流会の内容など知らない。その様子を見てエドワードは気にするなと手を振った。

「私が悪かった。偶然に決まっていたな」

「今日フローラは呼ばれてないよ。そんなに重要な交流会なの?」

「重要でない交流会などないが」

 エドワードはリアンにとぼける。その態度が気に入らずリアンが追及しようとした所で扉を叩く音がした。今日は来客予定もなく、休憩時間でもない。

「どうした」

「ノルです。あの件で伺いました」

「入れ」

 扉が開くとノルが一礼をして室内に入る。そしてスティーヴンを見つけたジェームズが、ノルの手を離して父の元へと駆けていく。

「ちちうえ、ははうえとかえりたい」

 突然の息子の訪問に驚き、スティーヴンはどう答えていいのかわからない。椅子に腰掛けたまま、黙って息子を見下ろしている。

「ちちうえ、ははうえきらい?」

「嫌いではない」

「じゃあ、ははうえとかえろう」

 ジェームズはスティーヴンの脚衣を引っ張った。必死に訴えるジェームズにスティーヴンも心が揺れるが、まだ仕事は終わっていない。

「父親らしい事をしてみたらどうだ」

「陛下」

「ジミーは普段大人しいと聞いている。ここまで来た意思を汲んでやらなければ、屈折した大人になるかもしれない」

 エドワードの言葉を受けて、スティーヴンはジェームズに視線を合わせるように屈む。彼は自分が父親らしい事を何一つ出来ていない自覚がある。それでもこうして自分を頼ってきてくれた息子に応えたくなった。

「わかった。一緒に帰ろう。母上は今仕事中だから終わるまで待てるか」

「やだ、すぐかえる」

 ジェームズは不満をあらわにした。しかし先程エドワードから外せない交流会と聞いてしまった以上、そこに乱入する気にはなれない。

「スティーヴン、抱っこして王宮を散歩してきたら? 愛情を注いでやりなよ」

「抱っこ?」

 スティーヴンは息子を抱いた事がない。どう接していいのかわからなかったので距離を置いていたのだ。リアンは呆れ顔でジェームズに近付く。

「ジミー、こんにちは」

「や!」

「ジミーはいい子だから少し待てるよね~」

 リアンは慣れた手つきでジェームズを抱き上げる。ジェームズは首を横に振って拒否をする。

「やだ、かえる」

「父上に抱っこしてほしくない? 俺より背が高いから見晴らしもいいよ」

 ジェームズはスティーヴンをじっと見つめる。スティーヴンもじっと見返す。ジェームズはスティーヴンに手を伸ばした。スティーヴンはどう受け止めていいかわからず、リアンに説明を受けながら子供を抱きかかえる。スティーヴンは初めて感じる重さに戸惑うが、ジェームズが嬉しそうに笑うので、スティーヴンも頷く。その表情が彼にしては珍しく柔らかかった。

「何だ、そういう顔も出来るんじゃん。ミラさんの前でもそうしなよ」

「そういう顔とは?」

「自分の気持ちに正直になれって事。ねぇ、エディ」

「あぁ。ジミーと一緒に居たいのならそう言えばいい。ミラだって言葉にされないとわからない事もある。ジミーを抱いて迎えに行けば驚くだろうな」

「ちちうえ、うさぎ」

「兎?」

 スティーヴンは勿論ジミーの予定も知らない。しかしエドワードは知っている。

「あぁ、今日はリチャードが森に動物を見に行くと言っていた。ノル、案内してやってくれ」

「かしこまりました」

「うさぎ、リックとみる」

 スティーヴンに抱っこされて上機嫌のジェームズに、スティーヴンも自然と表情を緩める。こうして父子はノルの案内で、当初の予定である森へと向かったのだった。

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