家族三人で帰ろう
ミラは気持ちを心の奥底に隠して交流会に臨んだ。侯爵夫人として感情を表に出すのはよくない。それにこのレヴィ王宮は行き交う人も多く、迷子になる方が難しいのだ。交流会が始まる前にナタリーだけには事情を話した所、ノルはこの王宮全ての構造を知っているから大丈夫だと微笑まれた。ナタリーにまでそう言われてはミラもノルを信じるしかない。
交流会がお開きとなり、参加していた貴族夫人達は帰っていく。ミラが残るのはいつもの事なので誰も気にしない。それ故にレヴィ王宮でミラが暫く暮らしていると誰も気付いていなかった。
ミラは今日の交流会参加者の中でこの人の娘なら、という人をナタリーに伝える。ナタリーも意見が同じだと頷き、これで今日の交流会は終了である。
「ナタリー様。申し訳ありませんが、ジミーが見つかり次第屋敷に戻ろうと思います」
「スティーヴンとまだ話し合っていないでしょう?」
「屋敷ならいつでも話し合いが出来ますから」
ナタリーは困惑の表情を浮かべた。彼女は昨夜、エドワードからスティーヴンの帝国追放の話を聞いていたのだ。勿論これはスティーヴンを動かす為の方便であり、ミラと夫婦として向き合って欲しいという希望が込められている。
「心配しないで下さい。私は言いたい事を言おうと決めました。どうしても響かないようなら、妻の仕事は手を抜こうと思います」
ミラは楽しそうに微笑んだ。その表情を見てナタリーも微笑む。
「今日のミラはここ数日の中で一番綺麗だわ。スティーヴンも驚くわよ」
「まさか。あの人は青い口紅でも塗らない限り気付きません」
ミラの言葉にナタリーは反論をしようと思ったが、スティーヴンなら確かに気付かないかもしれないと思い直し、残念そうな表情を浮かべる。
「陛下やリアンは細かい所まで気付くのに、どうしてこうも違うのかしら」
「スティーヴン様に期待さえしなければ、大きな問題ではありません」
ミラは結婚してから、夫に誉め言葉など一度も言われた事がない。今まで言われなかったのに急に言われるのも今更恥ずかしいので求めてはいない。今日綺麗にしたのも、今までの自分とは違うと自分に言い聞かせる為だ。
「ははうえー」
聞き慣れた息子の声が聞こえてミラが振り返ると、スティーヴンに抱きかかえられたジェームズが一生懸命手を振っていた。ミラは初めて見る光景に夢なのではないかと、ひっそりと掌を抓る。そうしているうちに二人は彼女の方へ近付いてきた。
「ははうえー、ちちうえとうさぎ、みたよ」
ジェームズの言葉にミラは首を傾げ、スティーヴンに視線で問う。
「ノル様がジミーを執務室へ連れて来て下さって、そのままリチャード殿下と一緒に兎などを見に行った」
「スティーヴン様もご一緒されたのですか?」
「なりゆきで」
「お仕事はどうなさったのですか」
「陛下にジミーを連れて行けと言われたのだ」
ミラは何が起こったのかわからず困惑する。仕事を休んで息子と遊びに行くのを許可するエドワードが、どうにも理解出来なかったのだ。
「ミラ。明日の交流会は欠席でいいわよ」
困惑しているミラにナタリーが優しく微笑みかける。ミラは慌ててナタリーの方へ視線を向けた。
「ですが」
「いいの。スティーヴン、私の我儘で長らくミラを拘束して悪かったわ。おかげで例の件はもう解決しそうよ」
ナタリーはあくまでも表向きの理由でスティーヴンに対応する。スティーヴンも一応こういう空気は読める。それにシルヴィの件が解決しそうなのはエドワードから聞いていた。
「いいえ。王妃殿下のお役に立てて何よりです」
「ははうえー、かえろ」
ジェームズがミラの服を引っ張る。彼女はそれをやんわりと咎めた。
「ジミー。ナタリー様の前で行儀の悪い事をしてはいけないの」
「かえろー」
「ミラ、お疲れ様。私も子供達の所へ戻るわ。暫く家を空けていて滞っている事もあるでしょうから、交流会に関しては無理に参加しなくてもいいからね」
「ありがとうございます」
ミラが礼を言うと、ナタリーは微笑みながら王宮の方へと戻っていった。
「ミラ、荷物は既に馬車に積んである。屋敷へ戻ってからゆっくり話をしたい」
「馬車まで用意されているなんて随分と用意周到なのですね」
「馬車は陛下が勝手に手配をした。あの人は案外お節介なのだ」
スティーヴンとジェームズを見送った後、エドワードは近衛兵を呼んでリスター家に迎えの馬車を寄越すようにと連絡をしていた。勿論国王命令にするわけにはいかず、リアンがギルバート宛に手紙を書いたのだが。
「ちちうえー、あるくー」
ジェームズにそう言われ、スティーヴンは息子を下ろした。するとジェームズはスティーヴンとミラの手を取り、間に入って笑顔を浮かべる。
「いっしょにかえろ」
ミラはジェームズに我慢させていたのだなと思うと泣きたい気持ちになったが、ここは泣く所ではないと耐える。彼女は笑顔をジェームズに向けた。
「えぇ、父上と一緒に家に帰りましょう」
「うん」
「スティーヴン様、歩幅はジミーに合わせて下さいませ」
ミラは不安で歩き出す前にスティーヴンに注意をする。
「あ、あぁ。気を付ける」
スティーヴンは今日森でジェームズと手を繋ぎながら、いつも通りに歩いて息子を泣かせていた。何故わかったのだろうとスティーヴンは疑問に思いながら、慎重に息子が転ばないように歩き出す。その様子を見てミラは微笑んだ。
三人はゆっくり馬車置き場まで歩き、馬車へと乗り込んだ。スティーヴンとミラは向かい合わせに座り、歩き疲れて眠りに落ちたジェームズをミラが優しく抱きしめている。
馬車が動き出し、ミラは何げなくスティーヴンの顔を見た。昨日はあまりしっかり見なかったのだが、今こうしてじっくり見てみると違和感しかない。
「スティーヴン様、もしかして睡眠不足なのですか?」
「あぁ、最近深く眠れない」
「ハーブティーは?」
ミラに聞かれて、スティーヴンは彼女が出ていった日の夜の出来事を話す。それを聞いて彼女は困ったように微笑んだ。
「そうでしたか。それでは話し合いは明日にしましょう」
「いや」
「いやではありません。しっかり眠らなければ思考は纏まりません。話し合うのなら納得いくまで話し合いたいのです」
ミラは真剣な表情をスティーヴンに向けた。中途半端な話し合いなどしたくはない。その意志が彼にも伝わり、彼は力なく頷く。
「わかった。ちなみに明日は休みだ」
「え?」
ミラは驚きを隠せなかった。結婚してからスティーヴンが王宮へ行かなかった日などない。王太子や国王に休日がないので、側近も休日がないのだろうと彼女は勝手に解釈をしていたのだ。
「しっかり休んで、常時を取り戻せと陛下に言われた」
「まさかハーブティーがないだけで睡眠不足になり、仕事が出来なくなるとは思っていませんでした」
「いや、原因のひとつだとは思うが全てではない」
「左様でございますか」
ミラはまた可愛くない受け答えをしたと思ったが、言葉を発した後なので遅い。自分も上手く話す為にゆっくりと休む必要があるかもしれないと、スティーヴンに視線を向ける。
「お互い今夜はゆっくりと休み、明日の午後に話し合いをしましょうか」
「あぁ、わかった」
それきり会話は途切れ、馬車は静かにリスター侯爵家へと向かって行った。




