- 立夏に偲ぶ - (3)a
――まもなく発車します……
ベルの音とともにアナウンスがあり、慌てて残りの階段をのぼると車内に乗り込んだ。
空席はあるが、移動するのも面倒だしこちら側は下車するまで開かないしと、そのままドアにもたれ、バッグから本を取り出した。
さして嬉しくもないゴールデンウィークも終ろうとしている日の朝である。
年の頃は三十前後か。落ち着いた雰囲気も醸し出しているので四十代でも納得されそうだ。女性にしてはやや背は高く、すらりとした細身の体型だ。
顔立ちに印象はなく、ややカジュアルな服装も車内にうまく溶け込んでいる。
たとえは悪いが十人にこの女性のモンタージュを作成してくれと依頼すれば、バラバラなものができるだろう。実際に、髪を短くし後ろに撫でつけ、かっちりしたスーツを着ていたら、見知らぬ男性と思われたこともあった。
つまりこの女性はまったく印象に残らない、どこにでもいそうな特徴のない女性である。
本を黙々と読みながら、休日の朝早くから電車に乗る羽目になったことに対し、腹の内で呟く。
(なんだって昨日のうちに、上の方で手を打たないんですかねぇ。クレーム処理は迅速対応に尽きるだろうに。おかげでこっちにまで火の粉が飛んできたじゃないですか……)
早朝にしつこく呼び出しをかけるとは、よっぽど手が足りないか、はたまた大事レベルまで膨れ上がったのか。
つらつら考えながらページをめくっていると、視界の端にピンク色の塊が映り込んできたので、本から目をあげて外を眺めた。
眼下には桜並木が線路に沿って植わっていた。咲いているのは八重桜か、若葉とともに穏やかな風に揺れて、濃い桜色の花が咲き誇っていた。
しばらく眺めていたが、再び目線を本に戻すと、花びらが一枚ちょこなんとのっていた。先程まで目にしていた桜色とは違い、濃い紅……いや赤黒いといってもいいかもしれない。まるで、血を滴らせたかのような花びらが――。
軽く本を閉じると、バッグから今度は手帳を取り出し一枚剥ぎとる。
二つに折って花びらを挟んで本の後ろに差すと、何事もなかったかのようにまた読書に戻った。
本を読んでいても桜を眺めていても無表情だった口元は、いつしかあるかなきかのような笑みが浮かんでいた。
正午を過ぎて、ようやく一区切りついたので手早くお昼ご飯を食べ終わると、どうせ休日だからチャイム鳴らないし、そもそも理不尽な休日出勤だしと勝手に自己判断して、少し長めの休憩をとることにした。
疲れた頭にも栄養を与えるために、もう少しで終わる読みかけの本を取り出す。
ほどなくして読み終わると、珍しいことに口元がへの字になっていた。
どうも本の内容に対し――二十代の女性作家の処女作で、一枚の写真(表紙にもイラストされている若い男女が写っている)から展開される物語だ――不可解な気分になった。
周りを見まわして、同じように休日出勤している哀れな犠牲者が何人かくつろいでいるので、席を立って人気のない小部屋に移動する。ちょっと調べ物をするためにだ。
(今は便利なツールがあるが、深く探るにはやっぱり原始的なものでないと……)
だが調べ終って部屋から出てくると、口はさらにへの字に曲がっていた。
「あれ、どしたの?」
その表情を見た同僚が不思議そうに聞いてきた。
「いや……休日残業まではしたくないなぁと……」
「あぁ、これ終るかねぇ、今日中に……」
二人して心底嫌そうな顔をして深いため息をこぼしたが、一人の口元にはまたしてもあるかなきかのような笑みが浮かんでいた。




